どらや記

どらやきはつぶあんが吉。

留学と責任、あるいは留学経験を語ることについて

 

留学を終えてもう一か月になる。帰国前はわりとゆったりしていたけど、いざ帰ってみると引っ越したり家具や日用品を集めたり区役所や大学事務所へいったりバイトを再開したりというのがいっぺんにやって来て、思っていたより慌ただしい。もちろん勉強もする。最近はやっと落ち着いてきて本を読む時間もちゃんと取れるようになってきたけど、そんなこんなで思いのほかばたばたしてしまった。夏休みの計画は早くも破綻しようとしている。

 

そんななか、先日大学の留学センターと学科の教授からそれぞれ留学の体験記を書いてくれという話がきた。拒否する理由もないので快諾したのだが、あとになってこれはわりと面倒なのではないかと考え始めるようになった。むろん、そういう話が来ることは前々から容易に想像できたので、この依頼自体になんら意外性も面倒さもない。問題はむしろ、留学の経験と、その経験をめぐる語り――厳密にいえば、経験をめぐって要請される語り――との間に本質的に大きな差異があることであり、その差異こそが面倒なのだ。

 

どういうことか。

 

ぼくはこれまで、留学中に「留学(生)とはなにか」という問いに関していくばくかの考察を行ってきた。たとえば昨年12月の「交換留学の本質」という文章では、交換留学(ここでは広く1年程度の留学と考えてもらっても構わない)の本質は、勉強や外国の人々との交流といったものではなく、また「視野が広がる」とか「深くものを考えるチャンス」になるといったことでもなく(もちろんそれらはすべて重要だが)、むしろ明確な「本質」を追求すればするほどそこに潜むある種の中途半端さへの自覚によって意気阻喪させられるという宙吊りの感覚であり(「ではなぜ1年/半年しか行かないのか?」という一言によってあらゆる「本質」は脱構築される)、同時に海外を志向しつつもやはり自国の拠点(≒大学)は捨てきれないというこの奇妙な両義性を生きることであるといった。

またこの宙吊りの感覚と奇妙な両義性に注目することで、1年程度の留学とはじつは、けっして4年間在籍する学部の留学生に、ましてや現地の学生にはなれない/ならないのだが、しかし/だからこそ留学へいくというある種のアイロニーを起点にもつ経験であるということがわかる(※1)。宙吊りであろうが両義的であろうが、留学そのものは非常によい経験だし、その経験自体が幸福に満ちていようが苦痛にまみれていようが、やはりその後の人生を豊かにしてくれるはずだ。

 

そして3月の「観光的に学ぶこと」では、いわば「『アットホーム』の入れ子構造」とでも呼ぶべき観光客の限界に関する考察から、じつは宙吊りで両義的な留学生はきわめて観光客的なのだという話をした(※2)。「アットホーム」の入れ子構造とは、要はぼくたちが旅先において「アットホーム」だと感じるあたたかなもてなしの裏にはつねに、現地人=「村人」同士の真にアットホームないとなみであるもてなしの準備があって、かりにそうした準備に参与したところで、その準備の裏にはさらに準備の準備の……準備が続くことになり、ぼくたちは観光客である限り根源的な準備には参与できないということを意味している。「観光的に学ぶこと」では単なる導入部分として語られていたが、ここではかりにこれを「アットホーム」の入れ子構造と呼んでおこう。

同記事でもいったとおり、ここで語られた観光(客)の限界はそのまま交換留学(生)にも当てはまる。観光客が決して現地人になれないように、交換留学生もまた学部の留学生や現地の学生にはなれない。そして観光がその限界を受け入れることから始まるように、留学もまたその限界を自覚することから始められなければならない。留学はけっして観光ではないが、しかしおどろくほどに観光的な経験である。ぼくは2つの文章を通じてこのような結論を出した。これが、留学の経験そのものの性質である。

 

では、留学をめぐって要請される語りとはなにか。

 

ネット上や大学の留学関係の資料に目を通したことのある人ならご存知のように、留学の体験記とは往々にして自分がなにに/いかに一生懸命取り組み、いかに実り多く、場合によってはいかに現地に「溶け込んだ」かなどが世にも眩しい筆致でつづられていくものであり、あたかも留学とはそうしたまじめで「充実」した「成長」の物語でしかないかのような錯覚を覚えさせるものである。そこに宙吊りの感覚や奇妙な両義性へのおそれや不安は微塵も存在しない。ましてや、自分たちのふるまいが、そして「新鮮なもの」を見つめるそのまなざしが、はたして街やキャンパス内を歩く観光客のそれとどう違うのか、そうした問いや不安など決して語られない。換言すれば、留学(生)は観光(客)的だが、それをめぐる語りはちっとも観光(客)的でないのだ(もちろん留学体験記以外の語りも存在するが、ここではいわゆる留学体験記の話をする、その理由は後述する)。

この点に関して、たとえばそうしたきまじめな語りをしてしまう留学生はみんな「交換留学の本質」に無自覚なのだ、彼らはみんな無邪気なのだといって批判してみせること自体はあまりに容易だ。事実、「交換留学の本質」を書いていたときのぼくはそう考えていたし、それは本文を読めば明らかである(※3)。

 

しかし、本当にそうだろうか。その批判はある程度は当てはまるかもしれない。だが、おそらく問題はそれほど単純ではない。というのも、そうした批判には、そもそも留学経験をめぐる観光(客)的な語りとはなにか、そしてそれはいかにして可能かという問いが完全に欠落しているからだ。この点を明らかにしない限り、ぼくたちは多くの留学体験に関する語りと同じように、きまじめで「意識の高い」語りを続けるか、あるいは「交換留学の本質」への不安におびえながら、ただただほかの留学生の語りを無邪気だと批判し続けることしかできなくなってしまうだろう。

 

ならば、観光(客)的な語りとはなにか。ぼくたちはすでに、なにが観光(客)的な語りでないか――厳密にいえば、ぼくたちがどのような語りを観光(客)的でないと呼ぶか――を知っている。それはすなわち、ぼくたちが「交換留学の本質」と呼ぶ、留学生に避けがたくまとわりついてくるある種の宙吊りの感覚や奇妙な両義性に、換言すれば自分がじつは観光客と非常に近似しているということに無自覚なままに、いかに「充実」していたか、いかに「現地に溶け込んだ」かなどが具体的な事例をもって語られる経験談のことだ。つまり、これは逆にいえば、ぼくたちは「交換留学の本質」に自覚的になることで観光(客)的な語りが可能になるということである(※4)。

 

とはいえ、本当にそうなのか。かりにそうだとしても、それだけでよいのか。留学生は、自分が観光客的だと自覚しさえすれば観光(客)的な語りができるようになるのだろうか。

 

たとえば、語りの題材についてはどうか。単純に題材についてのみ考えるならば、もっとも観光(客)的な語りが旅や観光についての紀行文であるのは間違いないだろう(※4)。紀行文とはたいてい国内なり国外なりの旅について、どこへ行き、なにを見聞きし、どんなものを食べ、どんな人と交わり、あるいはそれらについてどんな感想を抱いたかがつらつらと語られるものである。いささかくどくなってしまうが、ここではあえてこれを一般化し、どこかへ行き、そこでなにがしかの「新鮮なもの(ネタになるものと卑近に換言してもよい)」を見聞きし、経験したときに発せられる、そうした経験にまつわる語りのことを紀行文的=観光的な語りと呼ぶことにしよう。

紀行文的=観光的な語りはあくまで題材のみに関係する。つまり、題材が紀行文的でありさえすれば、語られるメディアが映像であろうとひとつながりの絵画であろうとテクストであろうとそれは紀行文的=観光的であり、またその語りが嫌味なほどに晦渋な表現方法を採っていても、その語りの紀行文性はいささかも失われない。また、これまで何度も取り上げてきた「交換留学の本質」「観光的に学ぶこと」といった文章たちは、経験を語るものというよりむしろ留学論であり、まったく紀行文的=観光的でないということになる。

 

そしてここで重要なのは、留学に関する語りもまた、往々にして紀行文的=観光的な語りの方法を取ってしまうことだ。留学の経験が語られるとき、たいていどの国・大学へ行き、どんなことをし(勉強、ボランティア、サークル、旅……)、どんな人と出会い、そしてそれらについてどんな感想を抱いたかが語られるものである。つまり、ぼくたちがしばしば観光(客)的ではないといって批判してきた、留学にまつわる「意識の高い」語りの数々は、素朴に題材にのみ注目した場合、じつはきわめて観光(客)的だったということがわかる。いや、逆にいえば、留学の経験を語ることについて、それ自体が観光的であるかないかを決めるのはその題材ではない、いい換えると――いささか語義矛盾の感があるが――たんに紀行文的=観光的であるだけでは観光(客)的な語りとはいえないのだ

 

いったん整理しよう。ぼくたちは、留学生が本質的に持つ宙吊りで両義的なある種のあいまいさが観光客にも見られることを確認し、それゆえに留学という経験は観光のそれに近いのだといった。一方で、観光的であるはずの留学の経験に関して語られる体験談は、得てしてそのあいまいで観光的な側面が切り捨てられがちである。ぼくはこれを語りが観光(客)的でないといって批判した。では観光(客)的な語りとはなにか、それは少なくとも語りの題材に関してみる限り明確に定めることができない。なぜなら、留学経験の語りは、たとえ自分が観光客的であることに無自覚なままであっても(つまりあいまいで観光(客)的な側面を切り捨てていても)、題材の次元において知らず知らずのうちに紀行文的=観光的になってしまうからだ。

 

語りの紀行文性=観光性は、メディアの形式や表現の方法とは無関係に存在する。それは、メディアや表現方法に関して、とりわけ観光的なものをこれと特定することがたいへん難しいことも意味している。にもかかわらず、ぼくが観光(客)的でないといっている留学経験の語りは往々にして紀行文的=観光的である。こうしてみると、ぼくが観光(客)的な語りであると呼ぶもののカギは、その題材でもメディアの形式でも表現方法でもなく、やはり「交換留学の本質」、つまり留学(生)の観光(客)的側面に自覚的であるかどうかにかかってくるということになる。そうであるならば、留学に関する観光(客)的な語りとは、ひとまずかりに、題材が紀行文的=観光的であるかないかに関わらず(たいていはそうなってしまうのだが)、そうした語りの中に自分が「交換留学の本質」に自覚的であることをにおわせることだということができる。

 

とはいえ問題は、はたしてそんな語りが可能なのかということだ。留学をしていた自分がじつは観光客的であることを自覚し、それをにおわせながら、しかもたんに「留学(生)は観光(客)的だ」と告発するだけに留まらないような――そこに終始すればもはや経験の語りではなくただの留学論になってしまう――留学の経験の語りが。

繰り返しになるが、ここで事をややこしくしているのは、この問題が基本的に語りの題材の次元とは無縁である(つまりどんな事例を語れば観光(客)的なのかという問いがそもそも成立しない)ということだ。考えてみれば当然のことだが、たとえ自分たちの経験が観光(客)的であると自覚したところで、その瞬間から留学先での経験自体が劇的に変化するわけではない。とつぜん外国語が上手になったりするわけでもないし、急に友達がたくさんできるようになるわけでもない。つまり、「交換留学の本質」を自覚しようがしまいが、結局経験そのものは変わりようがないのだ。題材の紀行文性=観光性が語りそのものの観光(客)性と無関係なのはこれが原因である。

 

題材の選択だけでは留学経験の語りが観光(客)的かそうでないかを分けることができない。この点を踏まえつつ観光(客)的な語りの可不可について考えるなら、おそらくここで問題は二つの場合に分かれることになる。すなわち語りの量(長さ・文字数)が大きく制限されているかそうでないかである。

 

冒頭でいったとおり、ぼくはいま大学の留学センターと学科の教授の二方面から体験記の執筆を要請されている。そして、どちらも文字数はせいぜい千字あまりである。文字数というと一見大して本質的な問題でないように感じるが、この強制された短さは思いのほか本質的に留学経験の語りそのものの性質に作用している。というのも、たったの千字という限られた字数にあっては、紀行文的=観光的に事実をいくつか羅列するか、あるいは留学(生)と観光(客)の類似を簡単に示しただけでかなり文字数を使ってしまうからだ。

つまり、千字程度という条件下で、たんなる紀行文的=観光的な事実およびその感想の羅列に留まらず、しかも留学論(留学の経験を具体例や註釈として使ってしまうようなそれ)になってしまわないようにそのあいだを行くこと、そのバランスを取りつつリーダブルな文章を書くのはじつに至難の業である。もちろん、それは貴様の技量が足りないだけだといわれればまったくなにもいい返せないが、とはいえそういう人は、ぼくも含めた世の中の留学生がみなそれほど――いや、あなたほど――文章に巧みでないこと、それゆえたんに技量の問題に還元するだけでは留学経験の語りの問題は解決しないことを認識したほうがいい。

 

一方で、留学経験が語られる場所が、たとえばぐだぐだと文章を書き続けられるブログであったり、だらだらと語り続けられる酒の席などであったりすれば、問題はそれほど複雑ではない。こういう場合、たいてい語り手と聞き手の技量と体力次第で観光(客)的な語りは成立するだろう。さきほど問題を二つの場合に分けたのはこういうことである。そしていうまでもなく、これら二つの場合の中でより重要で深刻なのは、前者である語りの量に大きく制限があるほうである。それは、ぼくたちの問題意識がそもそもちまたの留学体験記への批判から始まっていたことからも明らかだろう。

 

留学(生)は、考えれば考えるほどに観光(客)的である。しかし、ひとたびその経験を語ろうとすると、とたんにそうした観光(客)的なあいまいさが消去された紀行文的=観光的な「努力と成長」の物語になってしまう(念のため補足しておくと、ぼくは紀行文そのものを否定する気は全くないし、むしろ紀行文は好きなほうだ。ここでいっているのはむしろ、留学経験の語りが単なる事実と感想の羅列に終始することの危うさである)。かといって、観光(客)的なあいまいさそのものを明確に述べようとすれば、容易に留学論と化してしまい、経験の語りの形式を放棄しかねない。そして、そのどちらでもあって、なおかつどちらでもない観光(客)的な語りというたいへん難しい戦略を、しかも留学体験記という非常に分量の限られた場所で十全に成し遂げるのはさらに難しい。あまりいいたくはないが、限りなく不可能に近いと思う。

 

留学の経験は観光的だが、それを語ることばは得てして非‐観光的となってしまう。そこで語りそのものの観光性を追求すれば、今度はあまりに少ない分量が重くのしかかってくる。留学体験記という形式で留学の経験を語ること、ここには端的にいってアポリアがある。ぼくが冒頭で面倒だといったのはこのことだ。これを考慮すれば、ちまたの留学体験記が一見非‐観光(客)的であることを無条件に批判できなくなってくる。もしかすると、ほかの多くの留学生も観光(客)的な経験を非‐観光(客)的にしか語れないことに戸惑いを覚えていたのかもしれない。ではぼくたちはどうすればよいのか。

 

ここで一度発想を変えてみよう。この文章の註2でいったように(こういうやり方はあまり良くないと思うが)、ぼくが3月の「観光的に学ぶこと」という文章で「交換留学の本質」を観光客との類似で語ったのには、思想家の東浩紀が『弱いつながり』(幻冬舎、2014年)で提示した「村人と旅人のあいだを行き来する」生きかたとしての「観光客」の概念の影響を少なからず受けている。そこでは観光客は無責任で軽薄であるが、しかしその軽薄さ、無責任さにこそ可能性があると述べられている(同書52‐53ページ)。

ぼくはここまで幾度となく留学は観光に似ているといってきた。もっといえば、留学は観光の一形態であるといってもよいかもしれない。そうであるならば、観光客が無責任で軽薄であるように、宙吊りの感覚と奇妙な両義性を併せ持つ留学生もまた無責任で軽薄であるということができるのではないだろうか。

 

観光客が軽薄な足取りで国境を越え、普段なら見向きもしないような場所(たとえば美術館や博物館)にいってしまうように、留学生も軽薄な足取りで国境を越え、普段行きもしないような場所やイベントにいったりするだろう。いやそもそも、海外の大学での学びを希求しながらも結局日本の拠点(≒大学)を捨てきれない時点ですでに中途半端で軽薄この上ない。

そして観光客も留学生も、それぞれ訪問先や現地人と関わりを持ちながら、一方で現地人にはならずにそこを去ってしまう。著しく秩序を乱したりしない限り、大した責任など発生しない。観光客が無責任であるように、留学生も無責任である。

たとえばぼくたちは海外へ観光にいこうが留学にいこうが、訪問先でなんとか現地の人とコミュニケーションを取ろうと試みる。留学先だと授業や試験を受けたり議論をしたりもする。たとえそこでなんらかの失敗があったとしても、良くも悪くも相手はさほど気にしない。自分自身は勝手に焦り戸惑うだろうが、多くの現地人は結局さいごには「まあ(しょせん)外国人だから」とか「外国人なのにすごい」などといって適当に茶を濁してく(れ)るだろう。よっぽどストイックな人でない限り、相手にそういわれたら同じく「いやいやそんな、アハハ」などといって誤魔化してしまうはずだ。

 

観光客が軽薄で無責任なように、留学生もまた軽薄で無責任である(※5)。換言すれば、これまで留学(生)が観光(客)に似ているといって来たときの観光(客)性とは、「交換留学の本質」であるのと同様に、まさにこの軽薄さ、無責任さでもあった(もちろん、留学生が怠惰だといいたいわけではない)。

 

たしかに留学生は軽薄で無責任である。しかし、この断言には留保が必要だ。なぜなら、留学生とその責任をめぐる状況は留学中と帰国後で大きく変わってしまうからだ。ぼくは、さきほど現地人とのコミュニケーションの例を取りあげた。同様の経験をした留学生や観光客は決して少なくないと思う。しかし、観光客と違って、留学生はひとたび帰国してしまうと、たちまち周囲から「1年も留学に行っていたならきっと外国語がペラペラに違いない!」という視線を向けられ、なにかにつけてその国のことを尋ねられたりする。ぼくもまだ帰国して1か月しか経っていないけど、こういうことを経験したのは1度や2度ではない。

何度もいって来たとおり、留学生は観光客的である。しかし、それは留学中だけのことだ。留学生は帰国した瞬間から、あたかも自分たちがはじめからまったく観光客的ではなかったかのように、あたかも専門家(とはいわずとも少なからず詳しい人)であるかのように、周囲から責任を要請されてしまう。この違いは、象徴的にいえば、留学生が外国語でなにか失敗をしたとき、留学中は「まあ(しょせん)外国人だから」といわれることに対して、帰国後は多く「1年間も留学にいっていたのに…」という驚きを含んだ反応をされることが端的に表している。

 

さて、おそらく多くの人が勘づいているように、ここで留学生の責任の転換について言及したのは、ほかでもなくその転換が、留学の経験とその経験をめぐる語りの性質の差異と密接に関連しているからだ。ぼくたちはここであえてこのように大胆にいってみることもできる。つまり、留学の経験が観光的なのは、それがもっぱら留学中の、つまりまだ留学生が無責任だった時に得られるものだからであり、もう一方でその経験をめぐる語りが非‐観光的なのは、それを語る留学生がすでに帰国し、周囲から責任ある存在とみなされてしまっているからなのだ。そのうえ、その経験の語りが大学やその他諸機関から要請される留学体験記としてなされる場合、留学生は周囲から漠然と求められる義務や責任のほかに、先に留学した先輩として、後輩に対する責任が同時に発生することになる。帰ってきた先輩は、もはや観光客ではいられないのだ。(先輩‐後輩という語がどれくらいの鮮明さを持っているかは各人次第だが、いずれにせよぼくは先輩という立場の居心地の悪さがすこぶる嫌いである)。

 

ここでもう一度まとめておこう。何度もいって来たとおり、ぼくたちがもともと問題にしていた留学の経験と語りの差異とは、すなわち留学は観光的な経験だが、それをめぐって行われる語り(とりわけ留学体験記と呼ばれるもの)は軒並み観光的でないというものだった。またここで「観光的でない」というのは、題材やメディアや表現方法に関してではない(題材だけを見れば、紀行文的=観光的でない留学経験の語りを見つけるほうが難しい)。それはむしろ、留学をしていた自分が軽薄で無責任な存在であったこと、このことへの気づきがあるかどうかということだった。しかし、いわゆる留学体験記に関していえば、この点を自覚しつつ観光(客)的な語りを十全に展開するのはたいへん難しい。なぜなら、留学体験記にはたいへん厳しい字数制限があることに加え、それを書き・語るときには留学生がすでに軽薄で無責任な存在ではなくなってしまっているからだ。軽薄で無責任な経験を、まじめで責任ある存在として語らねばならないこと。留学経験を語ることの難しさはおそらくこの一文に尽きている。

 

ここまで「交換留学の本質」や観光(客)、責任などのことばを使いつつ留学経験に関する観光(客)的な語りとはなにか、あるいはそれはいかにして可能かということを考えてきた。しかし、上記の要約を見ても分かるとおり、それはたいへんあいまいで、なおかつ困難に満ちている。とてもじゃないが、これで満足に解答を提示できたとはいえないだろう。さきほど、留学体験記という形式で留学経験を語ることには越えがたいアポリアがあるといった。留学経験の語りの問題には、おそらく端的にこれといって明示できる解決方法はない。

それを踏まえつつも、ではどうすればよいかという問いに一定の解答を出すならば――少なからず不本意ではあるが――やはり帰国した留学生としての、さらには先輩としての責任を全うするしかないといわざるをえない。なぜなら、留学生は帰国した瞬間からもはや観光客的ではなく、現地人に対して責任を持つ「村人」と化してしまうからだ。

 

だから、ぼくはおそらく観光(客)的な経験をいたって非‐観光(客)的に語ることになるだろう。それはやむを得ないことだ。しかしそれでもなお、できるかぎりで、留学をしていたころの自分が宙吊りで両義的だったということを、軽薄で無責任な観光客だったというその記憶を切り捨てないようにしながら語らねばならない。なぜなら、それもまた、これまで3つの留学論(経験の語りではない)を書いてしまったぼくが果たすべき責任だからだ。

 

****

 

1:1年程度の留学生が学部の留学生になれない/ならないからこそ留学にいくというこの発想は、おそらく学部の留学生と現地の学生(つまり北京大学なら中国人の、早稲田なら日本人の学生)との関係にも当てはまるだろう。つまり、学部の留学生は現地人にはなれないが、しかし/だからこそ正規の留学生として四年間在籍する(しかない)のだ。

 

2:ここで「観光客」という比喩を用いたのは、表面的には「観光的に学ぶこと」にもあるとおり、ぼくが山西省の太原へ観光し、そこの友人宅へお邪魔している際に「アットホーム」の入れ子構造に気づいたことに起因しているが、この後本文でも確認するとおり、おそらくはもっと深いところで思想家の東浩紀が『弱いつながり』(幻冬舎、2014年)で提唱した「村人と旅人のあいだを行き来する」(53頁)生きかたとしての「観光客」の概念の影響を強く受けている。「交換留学の本質」を書いていた時点では「観光」の概念をまだ念頭においておらず、それゆえにやや悲壮感漂う展開となっているが(留学は宙吊りで両義的な経験である、しかし、それでもなおわれわれはそれを自覚しながら生きてゆかねばならないのだ!)、これがいささかでも肯定的な議論となったなら、それは「観光」概念への気づきゆえである。なお、「観光客」に関していえば最近話題沸騰の『ゲンロン0』(ゲンロン、2016年)がたいへん重要だが、「観光的に学ぶこと」が書かれたときにはまだ出版されていなかったので、この註の文脈では取り上げない。

 

3:たとえば「だから、この宙吊りの感覚や奇妙な両義性に盲目を決め込んだまま、したり顔で語られる『意識高い』交換留学の『体験記』は、たとえどれだけ興味深くて『ためになった』としても、ぼくにとってはあまりにも無邪気に見えるし、それゆえにたまらなくつまらないのだ。」などと書いている。

 

4:必ずしも紀行的な語りがテクストの形式を取る必要はないが、ここでは便宜的に紀行文という。

 

5:とはいえ、留学生の中にはきまじめな人が多いので、留学生は無責任だといってもこれを否定する人がきっといることだろう。彼ら/彼女らはたとえばこういうはずだ。すなわち留学生は日本の代表なのであって、その限りで日本や日本人に対して責任があるのだと。実際に、ぼくは留学先で自分は日本の代表なのだとなんの躊躇もなくいう人を見てきたし、そういう人々はたいていこういうはずだ。

しかし、彼らは一方で外国(ことに自分が行った国)に関して、個別的な事例を過度に一般化して語る言説に対しては非常に敏感である。たとえば日本で中国人が犯罪をしたとき、ネット上では決まって「だから中国は…」という手の言説が噴出するが、そういうとき彼らはきっと「犯罪をした人だけが中国人ではない」とか「それに自分が中国で出会った人は……」などといってこれを批判するだろう。むろん海外に行かなくても分かることだが、留学などで海外にいくとむやみに主語を大きくして語ることにいささか敏感になってしまう。犯罪者や一部の非常識な人を挙げつつ、十把一絡げに外国(でなくてもなんらかの共同体)を語ってしまうことは批判されるべきだし、ぼくもそれにはまったく異存はない。

しかし、そうしたことを承知していながら、なぜ彼ら/彼女らは自分だけは日本を代表できると思うのだろうか。もちろん、異なる共同体に属する人と会うとき、自分の挙動がそのまま自分の属する共同体の印象を左右することがあるのは間違いない。しかし、そのことを自覚して身を慎むことと自分が国家を代表しうると思い込むこと、ましてや自分は日本や日本人に責任があるなどと思ってしまうことは全く別である。たった一人の犯罪者で国家そのものを判断できないように、たった一人の留学生なんかに国家は代表できない。それでもなお自分が日本の代表だと言い張るなら、それはもはや、たんなるナルシシズム以外のなにものでもない。

読書メーターとめまい

先日知り合いに「読書メーター」をすすめられた。読書メーターはウェブ上のサービスで、おもに読んだ本を自分のアカウントに登録することで、読書の記録をとったり読書の傾向が似ているほかのユーザーと交流したりできるものだ。一種のSNSだといってもいい。おそらく少しは本を読みネットを使う人の間では有名なはずで、ぼくもいちおう存在は知っていた。そしてそれが結構いいといわれたのではじめてみた。

 

bookmeter.com

 

 

だが、会員登録して1時間あまり経ったとき、ぼくはひどくめまいがしてウィンドウを閉じた。

 

なぜめまいを催したのか。その原因は少なくとも3つある。それはつまり、登録の限界、還元の暴力性、それから読了の誇示への恥じらいである。

 

本の登録に限界があること。これは必ずしも読書メーターだけの問題ではない。というのも、読書メーターでは基本的にamazon.co.jp(以下アマゾン)に出品されている本しか登録できないからだ。つまり、アマゾンに出品されていないような少し/おそろしく古い本、絶版本、同人誌、それから一部(あるいは多く)の海外の本は登録できないということになる。また元も子もないことをいえば、論文なんかそもそも望むべくもない。しかし、ぼくたちの読書経験は決してアマゾンの奥地から一歩も出ないような窮屈なものではないはずだ。

それから海外の本に関していえば、洋書=西洋の本はさすがに割合充実しているが、東洋(ぼくの場合だと中国)の本は圧倒的に少ない(翻訳も少ないし原書はもっと少ない)。そしてアマゾンにないということは、すなわち読書メーターに登録できないということでもある。いちおう「オリジナル」の本として登録する機能がついているが、これははっきりいってすこぶる面倒くさい。あまりの面倒さにぼくはめまいがした。

 

還元の暴力性。これは読書メーターの記録の方法に由来する。そこでは、登録された本のページ数や本が登録された日時によって、ぼくたちユーザーが一定期間にどれだけ本を読んだかがグラフを用いて量的に示されるようになっている。そこで用いられる単位はもっぱら冊数およびページ数である。これは一見きわめて妥当であり合理的な方法のようである。

 

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読書メーター読書メーターとは」より(https://bookmeter.com/about

 

しかしこれが意味するのは、簡単にいえば『はらぺこあおむし』も『純粋理性批判』も『ゴルゴ13』も同じ「1冊」であり、同じ「1ページ」として「読書量」を示すグラフに還元されてしまうということだ。もちろん、読書量を記録・管理するには現状これがもっとも優れた方法(の1つ)であることは間違いない。とはいえ、そもそも単純な計量化はつねに質的なものの切り捨てを伴うものであり、それは読書経験も例外ではない。『国民クイズ』と『孟子正義』が同じ緑のグラフに吸収された瞬間、ぼくはふとめまいがした。

 

読了を誇示することへの恥じらい。これは読む本によって、あるいは人によって感じ方が異なるだろう。ここでいいたいのは、つまり読了の誇示とは(それが再読を意味するものでない限り)、とりもなおさず過去における未読を暴露する行為にほかならず、場合によっては、それはたまらなく恥ずかしい行為であるということだ。たとえば、ぼくは大学で中国の文学や思想を学んでおり、とうとう4年生になってしまったが、いまここで「論語」を読んだ、魯迅を読んだなどというのは(再読でない限り)なかなか恥ずかしいことである。なぜならいま「論語」や魯迅を読んだというのは、大学で何年も中国の文学を学んでいるのにまだ「論語」や魯迅も読んでいなかったのだといっているのに等しいからだ。

もちろんだれでも初めはあらゆる本に対して未読の状態だから、読んでいないのは仕方がない(そう思わないと死ぬ以外に未読のプレッシャーから逃れるすべはない)。だが、ここで重要なのは、なにもそれをわざわざウェブ上で公開する必要はないのではないかということだ。たしかに、読了を誇示するのに恥じらいを感じない本はある。比較的新しい本や、大して有名でない本なんかはそうだ。しかし、ぼくは文学部の大学4年生になってしまったいま、たとえば『資本論』第一巻を初めて読んだなどとあまり大きな声でいいたくない[※1]。なにとはいわないが、たいそう有名な本を登録してしまった時、ぼくはひどくめまいがした。

 

読書メーターにまつわるめまいの原因はおおかた明らかになった。今後ぼくがめまいを催さないようにするには、これら3つの問題を乗り越えなければならない。そのために要請されるのは、以下の3つの戦略である。

 

1:アマゾンにない「オリジナル」の本もめげずに登録する。あるいは読書メーターに登録できる本をもっと増やすために将来頑張って海外の本を大量に翻訳し、アマゾンをもっと豊かな密林に仕立てあげること。 

 

2:古典とか思想書のせいでグラフがしゅんとしてもめげない。あるいは読書メーターには読後の感想を書く場所がある。ここを充実させることでグラフにあらわれない読書経験の質的な記録が可能かもしれない。とはいえ、そもそも感想が充実しているかどうかというのは、その読書経験そのものが充実していたか/タフであったかどうかを必ずしも示すわけではない(ものすごく頑張って格闘し、なんとか読み終えたが結局半分くらいしか理解できていない気がするというのは、それはそれでよい読書経験だと思うが、その場合読後の感想がきわめて充実したものとなるとは考えがたい)。やはり「グラフにならないものがある」という熱い気持ちを抱き続けるしかないだろう。

 

3:恥じらいなど気にせず開き直ること。多少恥ずかしくてもめげずに公開すること。さきほどもいった通り、だれだって初めは読んでいないのだから仕方ない。さあ恥じらいなど捨てたまえ、古来「無知の知」というではないか!!

 

以上3つの方法は、大胆に換言すれば「とにかくめげない」という一点に尽きる。しかしぼくは、読書経験の記録にそこまで根性を発揮できるほどまじめな人間ではない。したがって、読書メーターによるめまいを回避するには、当然の論理的帰結として、読書メーターそのものからの逃走という戦略以外に選択肢はない。それゆえ、ぼくはもう二度と読書メーターを開くことはないだろう。それはやむをえないことだ。

 

 

1:『資本論』第一巻はいちおうわりと前に読んだ。

童貞は政治を語ってはいけないのか? ――ショッピングモールでつかまえて

黑夜给了我黑色的眼睛

我却用它寻找光明                ——顾城《一代人》

 

 

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4 森友学園問題について言いたい事を言う放送《東浩紀×津田大介×茂木健一郎》

 

先日YouTubeにアップされたこの動画の後半で、16歳の男子高校生リスナーが「日本の選挙制度には問題がある。どうしたらよくできるか」みたいな質問をした際に、批評家の東浩紀とジャーナリストの津田大介から「いや童貞が政治や社会を語るなよww」的な返しをされていた(※1)。

 

かれらのことばが冗談かどうかはさておき、童貞は、ほんとうに政治や社会を語ってはいけないのか? ブログなのでもったいぶらずに結論からいうと、童貞には政治や社会を語る権利はあるが資格はないというのがぼくの意見だ。

 

これは一体どういうことか。

 

政治や社会を語るということは、たとえば「法とはなにか」、「政治とはなにか」、「権利とはなにか」あるいは「責任とはなにか」などといったことについて考えること(あるいはそうした諸問題に対する暗黙の合意の上で具体的なことがらを議論すること)である。そして、そうした根元的な問題にあまねく(そして暗に)通底しているのが「人間とはなにか」という問題なのだ。なぜなら、大胆にいえば、政治や法、権利などといったものはすべて人間がよりよく生きていくために作り出した制度であるからだ(※2)。

 

また、「人間とはなにか」と問いかけることは、人間を定義することにほかならない。定義とは、差異の確認である。つまり、ぼくたちがなにかを定義するのは、それ(ここでは人間)がいかに類似の概念/存在と異なっているかを明らかにするためである。逆にいえば、ぼくたちが定義を必要とするのは、つねに類似の概念/存在があることに気付いたときなのだ。

 

ちかごろ人間を再定義しようとする機運が高まっているのは、ほかでもなくロボット工学や人工知能の台頭とそれへの不安が原因なのであるが、そもそもぼくたち人間が人間の定義を必要としたのは、当然ながら自身を動物と区別する必要/欲望を感じたからである。人間は動物と(いかに)異なるのかという議論は、たとえば中国の戦国時代の『孟子』に早くも登場している(※3)。「人間とはなにか」という問題は(少なくとも東アジアの)道徳に関する議論にも通底しているといえるだろう。(もちろん、この問題がいまなお重要さをいささかも失っていないことは、べつにコジェーヴアーレントなどという固有名を持ち出さずとも明かなことだ)

 

ところで、いまを生きるぼくたちにとって人間と動物を感覚的に区別するのはさほど難しくはない。というのも、ぼくたちは物心がついたころから動物園、ペット、自然のドキュメンタリー番組などといった形で動物を人間とは異なるものとして対象化して消費/享受することに慣れ切っているからだ。それゆえ、いま人間を定義する、すなわち人間と動物を明確に区別する必要/欲望が生じるとするならば、それはたとえば「われわれはいまや動物よりも高度な知能を持つ生物となってしてしまったのだ」と誇らしげになる瞬間にではなく、むしろ「じつはわれわれもまたあの動物たちと同じなのではないか」と疑ってしまう瞬間にこそあるのだ。

 

そして、いまを生きるぼくたちにとって、この疑いが生じる最も普遍的な瞬間は、おそらく恋愛と性愛の差異の中に隠されている。というのも、性愛(/性欲)のディスクールは恋愛/友情のディスクールとは全く異なる地平で展開されるからだ。

 

ぼくたちは、小さいころから道徳教育などを通じてかけがえのない個人を尊重しようということをやたらに聞かされて育ってきたし、それはある程度人間関係の基本であると考えている。(もちろん、それを疑ったり否定したりすること自体はあまりに容易だ)友情や恋愛が本質的(あるいは理念的)にここを起点としているのは、その手の「さわやかでまっすぐ」なフィクションがいつまでも喜んで消費されることをみれば明らかである。

 

恋愛(/友情)のディスクールが、程度に差はあれ「かけがえのない個人」を起点にしている一方で、性愛(/性欲)のディスクール相手を交換可能なモジュールとして対象化することから始まる(※4)。そこでは本質的には「かけがえのない個人を大事に」などといった人間関係の道徳は必要とされていない。例などだれでもいくらでも挙げられるだろうが、たとえば一晩限りの関係は成立するのに、初対面の人と一度だけ昼過ぎの日比谷公園をぶらぶらするだけの関係がほぼ成立しないことを想起すればよい(※5)。

 

相手を交換可能なモジュールとして対象化すること、それによって「かけがえのない個人」という人間関係の道徳的基盤――それ自体かなり疑わしいのかもしれないが!――を一時的に捨て去ること。おそらくもっとも多くの人がはじめて「じつはわれわれもまたあの動物たちと同じなのではないか」と疑う瞬間は、ほかでもなく性愛のディスクールが前提として求めるこのふるまいの中にあり、同時にそれによって自分は動物ではなく人間であるという確信が根底から揺さぶられる不安の中にある。

 

童貞が無条件に嘲られたり、偉そうに政治や社会を語るななどといわれたりするのは、ほかでもなくかれらの生活感覚に人間性とは矛盾した動物性の台頭による根底からの揺さぶりが感覚的に欠けており、その点で「人間とはなにか」という問題およびそれが暗に通底している各問題系への接続が片手落ちにならざるをえないとみなされるからだろう。

 

むろん、その揺さぶりを実感する機会は性愛と恋愛(ある側面における動物性と人間性の差異のほかにも無数に存在する。しかし問題は、人々が(あえていうならば世の中の元‐童貞たちが)その他のすべての機会にもまして、性愛と恋愛の差異に揺さぶられること、もっといえばその矛盾を矛盾のまま自分のなかに共存させた状態へ到達することを決定的な契機だと認識していることにある。人間(ヒト科の動物ではない)に関する議論は、自分が動物なのではないかと本気で疑うところから始まるのだ。

 

いい換えてみよう。大自然に身を置くライオンやゴリラは、たとえば田舎の中学生が土曜日の午後にショッピングモールでデートをするような、生殖と全く無関係の恋愛を決して行わないだろう。(その意味で、しばしば恋愛の物語に触れたことのないものは決して恋愛をしないだろうといわれるのはもっともなことだ)

 

性愛と恋愛が矛盾をはらんで共存するというのは、とりもなおさずショッピングモールの中学生とジャングルのゴリラがシームレスにつながることである。童貞は、いわばショッピングモールの向こうのジャングルを知らないのだ。

 

さて、ここまでいってきたのは、端的にいえば童貞がいかに動物性へのおそれに欠ける(とみなされている)かであり、それはまた政治や社会の問題の根本に通底している「人間とはなにか」という問題のもっとも重要なカギとなる感覚の一つであるということだった。これこそが、かれらに政治や社会を語る資格がない理由である。

 

権利に関しては、これはそれほど複雑な話ではない。単に言論の自由参政権などといったことばを想起すれば事足りるだろう。

 

では、権利はあるが資格がないとはどういうことか。それはすなわち、社会的には正しいが、しかしそのふるまいによって浴びせられる数多の罵倒や嘲笑から、社会は決して守ってくれないということだ。換言すれば、童貞がしたり顔で政治や社会を語ることを問答無用に抑圧する公的な力はどこにもないが、しかし社会は周りの人々の嘲笑や憐みに対して例外なく永世中立の原則を貫いてくるということだ。

 

もう一度いうが、童貞が政治や社会を語るなと嘲笑されるのは、かれらに権利がないからではなく、資格がないからである。なぜなら、かれらは感覚的に性愛と恋愛(動物性と人間性)が矛盾をはらんで共存する状態へと到達しないままに、いつまでも土曜日のショッピングモールをさまよい続ける存在にほかならないからだ。

 

ただ、ここでもっとも矛盾に満ちているのは、ぼくもまたショッ(筆者急逝のため未完――編集者注)

 

  

 

1:なお倍速で通してみたが、個人的には前半(1,2)より後半(3,4)の方がかなり面白かった。

 

2:Frans de Waalの『チンパンジーの政治学』は、こないだ北京の本屋で安く買えたがまだ読んでいない。読んだら考え方が変わるかもしれない。

 

3:「人之所以異於禽獸者幾希,庶民去之,君子存之。舜明於庶物,查於人倫,由仁義行,非行仁義也。」『孟子』離類下 

 

4:ここでは、モジュールということばを、いくつかの部品的機能を集め、まとまりのある機能を持った組み立てユニットという意味で使用している(参照Wiki)。劇場版『スタートレック』でヴィージャーが人類のことを「炭素ユニット」と呼んでいたが、イメージとしてはあれに近いかもしれない。

 

5:ここではそうした商売があるかどうかということは問題にしていない。

積読という病

本棚に本を並べきれなくなると、とりあえず横向きに(表紙を下にして)積んでいく。そうすることで、まだ読んでない本が縦に横にたまっていく。

 

この状態、動作、あるいはそうしてたまった本を積読(つんどく)という。

 

積読は、基本的に手持ちの本を読み切っていないのにもかかわらず本を買ってしまうというたいへん無計画な人におこる状況なので、これはお金の管理ができないのと同じく一種の病である。

 

しかし、この症状はまださほど重大ではない。なぜなら、積読はあくまでも具体的かつ物理的な限界(金銭、空間…)によって制御されるからだ。たとえば、いまぼくは北京におり、日本における限界≒物価を優に超越しつつあるため、日本にいたときほど本の値段を気にしなくなった。

 

しかし、ぼくはいま部屋に本棚が一つしかないことと、調子に乗って買いすぎると持って帰れなくなる(あるいは送るのがかなり面倒になる)ことという物理的制約を受けているため、ある程度積読の症状を抑えることに成功している。

 

物理的抑制が有効に作用しているからこそ、積読は有限性を保ちうる。これは、逆にいえば、その物理的抑制が撤廃された瞬間、病魔はその恐るべき凶悪の面目を露呈するということだ。そして絶望的なことに、ぼくたちはもはや病魔を食い止められない段階へと突入している。その臨界点とは、ほかでもなく通販の誕生なのであった。

 

通販の誕生によって、ぼくたちは興味のある本を自分のアカウントへ無限に登録することが可能となった。これは、換言すれば、ぼくたちは物理的抑制に制限された積読の欲望を我慢することなくほしいものリストへと流し込むことができるようになったということだ。

 

こうして、もはや買ってすらいない(当然読んでもいない)書籍たちがどしどしと積まれていき、買っても買っても(そして、読んでも読んでも)ほしいものリストの本が減らないという絶望的な状況、これを積読2.0とよぼう。積読という病は、ウェブの到来によって物理的抑制への抗体を獲得し、圧倒的に強力なモデルへとアップデートされたのである。この状況を前にして、ぼくはもはや絶望以外のことばを見出しえない。

 

積読は、まだ食い止めることができた。だが、積読2.0に、治療法などない。

これは、アマゾンの世界進出によって拡大したパンデミックなのだ。

観光的に学ぶこと

先日、山西省に住んでいる友人の家へ1週間弱おじゃましてきた。客をもてなすこと自体たいへんなことなのに、くわえて、ぼくが初日から食あたりか何かによって2日ほどしたたかにお腹を壊してしまい、たいへん迷惑をかけてしまった。とはいえ、その間なにやらなぞの液状の漢方をいただいたり、友人のおじいさんとひまわりの種を食べながらのんびり抗日ドラマ(※1)をみたりするなど、不思議で有意義な時間をすごさせてもらった。それ以後の日程も含めて、ほんとうに感謝している。

 

こういった話は、しばしば留学中における「充実した」体験談のひとつとして語られることになるだろうし、実際に、少し調べればこの手の「充実した」話なんていくらでも読むことができる。大学もまた、留学を考えている人に「先輩の体験談」を読むように促してくる。

 

しかし、留学先からさらに観光へ出かけるという体験のなかでぼくが強く感じたのは、充実感でも成長でもなく、むしろ観光(客)のある種の限界であり、それは同時に交換留学(生)の本質的な限界でもあるということだった。端的にいうなら、それはつまり、観光客および留学生は、現地人(つまり村人)にはなれないということだ。

 

当然、それはぼくが友人一家のもてなしに満足がいかなかったからとかいう理由では全くないし、むしろ逆である。彼らはぼくが想像もしていなかったくらいにねんごろにもてなしてくれたし、帰るときにはお土産もたくさん持たせてくれた。その上、常々ここを自分の家だと思いなさいとか、今後友人が留守の時でも泊まりに来ていいとかいってくれた。

 

その言葉どおり、ぼくは観光へ来たにしてはかなり「アットホーム」なひとときを過ごすことができた。(へんな話だが、他人の家のトイレをあれほど存分に利用したのは冗談抜きで人生初だったし、またこれが最後であることを強く望んでいる)

 

しかし/だからこそ、ぼくはあの時自分が村人ではなく観光客なのだと痛切に自覚せざるをえなかった。なぜなら、ぼくの「アットホーム」なひとときは、いわばねんごろな準備の末に演出されたものであり、その準備こそがほかでもなくアットホームな村人=現地人のいとなみであるからだ。そして、ぼくたちは観光客である限りその準備に関わることはできない。よしんば準備らしきものに携わったとしても、その背後には、観光客のあずかり知らぬ準備の準備(あるいは準備の準備の準備の……準備)が行われていることだろう(※2)。

 

たとえいくら「アットホーム」な空間/瞬間に身をおこうとも、観光(客)は決して村人にはなれない(そして、あえていえば根無し草の旅人でもない)というこの関係性の限界は、さきほどちらりと言及したように、そのまま交換留学(生)の本質にもあてはまる。

 

数か月前に書いた「交換留学の本質」という記事を思い出してほしい(読んでいなかったら、そういうものがあるのかと認識してくれればそれでよい)。そこでいったのは、べつに勉強をしろだとか、友達をつくれだとかそういった話ではなく、むしろ、そもそも交換留学とは目的も「本質」もなんだかよく分からない宙吊りの経験であり、なおかつ海外を志向しつつも、もとある拠点(≒大学)は捨てきれないという奇妙な両義性をはらんだものであるということ、逆にいえば、この宙吊りの感覚や奇妙な両義性こそが交換留学の本質なのだということだった。

 

さきほどいった、観光客は村人にはなれない(そして、拠点のない旅人でもない)という関係性は、じつは2つの本質のうちの後者である奇妙な両義性をいい換えたものにほかならない。つまり、滞在先とは別に帰る場所を持つ観光客が滞在先の村人になれないように、1年や半年程度の交換留学生は、どう頑張っても決して現地の学生や学部の留学生にはなれないのだ。

 

たとえば、ぼくはいま北京大学で主に中文科の授業に出ており、学部生のように課題をこなしたり試験を受けたりしている(量は少なめかもしれないが)。ほかにも漢文の勉強会に参加したり、漢詩の朗詠会(なんかすごい字面だ!)に参加したりもした。そうして少しは友人もできたし、それらをネタにして「ぼくめっちゃ頑張った!」とか「もう充実しすぎィwww」みたいな話を展開することも可能かもしれない。(ぶっちゃけそれほど充実しているとは思っていないが)

 

しかし、ぼくは中文科の学生たちが、みんな入学時に配られる中文のシャツを持っていることを知っている(※3)。昨年秋に入学した友人たちは、「百年中文」と書かれたやたらにかっこいいシャツを持っている。そして当然ぼくはもっていない。中文科に所属していないからだ。

 

べつに、ぼくもかっこいいシャツが欲しいとかそういう話ではない。ただ、留学当初にそのことを知ったとき、ここでは学生証なんかではなく、そのシャツこそが村人の証としてきわめて象徴的に機能していることに気づき、またそれゆえに学生証(滞在許可証?)しかもっていないぼくは決して村人にはなれないということ、この限界にいささかむなしさを感じたのだ。(たとえなんらかの方法でぼくがそのかっこいいシャツを手に入れたとしても、むろん、それはもはや村人の証でもなんでもない)

 

その限界やむなしさを乗り越えるには、当然の論理的帰結として、ぼくも村人になるということ以外に選択肢はない。それはつまり、さっさと早稲田を退学して試験勉強をし、北京大学の正規の留学生のための試験に合格するということを意味している。しかし、「交換留学の本質」の中でもいった通り、やっぱりそうはできないというのも本心だし、結局日本でまた勉強することになるだろう。

 

たとえどれだけ「充実」していようとも、どれだけ現地人の中に「溶け込んで」いようとも、交換留学とはつねに学部生ではないこと、さらにいえば、現地(人)へ接近しつつも、それにはなれない/ならないことという両義性をはらんだ経験にほかならない。そして、その限りにおいて、1年や半年程度の留学(生)は、村人との間に決定的な差異(あるいは断絶)を持ちながら、村(人)へ接近すると同時にそれにはなれない/ならない観光(客)と本質的に共通しているのだ(※4)。

 

このようにいっても、おそらくこれを否定する交換留学生はいるだろう。彼ら/彼女らはおそらくこういうはずだ。自分の経験は観光客のように無責任で表面的なものではなく、もっと深くて、挑戦的で、「充実」したものなのだと。場合によっては、その具体的な体験がつぶさに語られるかもしれない。

 

むろん、ぼくもその経験そのものを否定するつもりは全くない。そうしたかけがえのない経験たちはきっと人生を豊かにしてくれるはずだ。

 

しかし、ここで最も強調すべきなのは、充実した経験や獲得した知見の深さを以てこのアナロジーを否定しようとするそのしぐさこそが、まさに交換留学(生)が観光(客)的であるという主張を強く裏付けてしまうというこのアイロニックな事実である。

 

前回の芝生に関するふざけた一風かわった文章でも取り上げた社会学者のマキャーネルは、いみじくも次のように述べている。

 

「観光客は、観光客が嫌いだ。神は死んだが、同僚よりも神聖にみられたいという人間の欲求は生きている。そして、同僚よりも秀でたいとする宗教的衝動は、マックス・ヴェーバーが見出した、労働のエートスにだけでなく、いくつかの余暇行為にも看取される。[……]観光についての観光的批判の奥底には、社会や文化のより深遠な理解について、他の「単なる」観光客を超えたいという願望がある。」(p10、強調筆者)(※5)

 

ここでは「社会や文化のより深遠な理解」だけが願望の射程に含まれているが、その願望が、より「充実した」観光的経験へも向けられていることは、たとえばむやみに「穴場」を求めたり、定番の観光地ではない、地元民しかいかないような場所(そこには飲み屋も含まれる)への観光体験に満足し、なおかつ誇らしげに語ってしまったりするぼくたちの精神的傾向を考慮すれば、容易に理解できる(しかしそれらの「穴場」は、観光客のまなざしにふれた途端、もはや無傷ではいられない)。

 

つまり「単なる」観光客よりも、より「充実した」経験をし、深い知見を獲得しようと試み、場合によってはそれを誇示しようとするのは、観光客のもっとも根源的な欲望の一つなのだ。

 

したがって、「単なる」留学生よりもさらに「充実した」経験を求め、やたらに誇示しようとする多くの留学生の欲望は、もっとも根源的な部分で観光客とつながっている。同様に、彼ら/彼女ら(むろん、ぼくも含まれる)が「充実した経験」を語るとき、その経験を織りなす対象へ向けられたまなざしは、「無責任で表面的な」観光客のそれとまったく変わらない。もう一度いうが、それを否定することには、おおかた自分の首を絞めること以外に何も効果がない。

 

観光客が「観光客らしくない」体験を求めるように、留学生は、つねにより「普通の留学生じゃできない」体験を求め誇示したがるが、結局どちらも村人=現地人にはなれない。そして、たとえ自分の努力や「充実度合い」を以てこのアナロジーを否定しようとしても、それは観光的経験のマウンティングとでもいうべき絶えざる欲望の連鎖を加速させ、かえって自身の観光(客)的たるゆえんを露呈するのみなのだ。交換留学(生)は観光(客)的だときいてムッとした人は、この厳然たる事実を前に慄然としなければならない。

 

さて、ここまでいってきたことは、端的にいえば、宙吊りの感覚と奇妙な両義性を本質として持つ交換留学(生)は、きわめて観光(客)に近似しているということだった。ぼくはもはや交換留学に関して、期間が1年なのか半年なのか、あるいは1か月なのかなどといったことに制度面以外の差異を見出す(さらには意識的/無意識に、そこに優劣を見出そうとたくらむ)ことになんら意味を感じない。留学生は、本質的に観光(客)的かそうでないかで分けられるべきなのだ。

 

そしてぼくは間違いなく観光客である。だから、村人といかにうまく関わるかを考えると同時に、観光(客)的な留学生として、(できればマウンティングの連鎖に陥ることなしに)いかに観光的に学ぶかを考えるべきだと思っている。観光客は普通、無責任で気まぐれで表面的である。だからぼくは、交換留学もまた、無責任で気まぐれで表面的であるべきだと考える。それは決して怠惰を意味しない(※6)。むしろ、村人=現地人(あるいは当事者)にはなれないという観光客の性質を意味している。

 

マキャーネルは、観光とは「社会の分化に対して執行される儀式」であり、「近代的全体性の超越を求める、ある種の集合的奮闘、近代性の不連続性を乗り越えようとする方法、近代性の断片を統一的な経験に取り込む方法」なのだといった(※7)。いま社会(たとえば「社会階級、ライフスタイル、人種的集団、エスニック・グループ、年齢層、政治・専門職集団」など)はおそろしく高度に細分化しており、絶えず複雑化しながら再編成されている。この状況についてあれこれ分析するのがぼくの目的ではないのでこれ以上なにもいわないが、マキャーネルがいったように、観光(客)はこうした分化や境界を超越する可能性をもっているともいえるだろう(※8)。

 

当然、だからといって「観光でみんな仲良く世界市民」みたいなことは微塵も思っていないが、いま非常に細分化した社会の枠組みを超えるものについて考える、あるいは枠組みを超えてものを考えるには、たとえ無責任で気まぐれで表面的だといわれようと、観光(客)的に境界を超えながら自分のなかでそれらを総合するほかない(少なくとも、それが最も主要な手段の1つではある)のではないだろうか。というのも、ここまで細分化してしまっては、あらゆるものごとに対して村人=現地人≒当事者でいるのは限りなく不可能に近いからだ。交換留学(生)が本質的に観光(客)的であるとするならば、その本質的な価値あるいは可能性もまた、この点にあるのではないだろうか。

 

観光的に学ぶこと。それは、留学に際してにわかに国家や社会的階級を代表しようときまじめになったりすることではない。むしろ、もっと気まぐれでフリッパントに振舞いながら、あちこちに引かれた境界線たちを無責任に飛び越えつつ、絶えず境界線を越えるものについて考えていくことなのだ。

 

 

※追記

では、観光(客)と交換留学(生)の違いはどこにあるのだろうか。あえていうならば、それは「学び」の有無にある。これはべつに狭義の勉強を表しているのではないし、観光(客)には学びがないという意味でもない。「学び」の有無とは、換言すれば、大学など何らかの教育/研究機関に所属しているかどうかということだ。

 

さらに即物的にいうと、たとえば北京大学の建物には、しばしば入口に観光客の立ち入りを禁止する張り紙や立て札が設置されているものがある(「遊客止歩」などと書かれている)。「学び」の有無とは、畢竟そこに入る資格があるか否かというその一点に尽きている。逆にいえば、ぼくは本質的にはその程度の違いしかないと思っている。しかし/だからこそ、単に観光に行くことと、観光的に「学ぶ」こととの間には画然とした相違が認められるべきだし、交換留学(生)の本質的な可能性をめぐる議論はこの差異を起点にしなければならない。

 

 

1:主に日中戦争をテーマにした一連のドラマのこと。内容は基本的に似たり寄ったりで、中国のとある集落に侵略してきた日本軍を現地の人民がやっつけるというものがおおく、だいたい常に放映されている。当然、みんながそれをみながら「日本人憎し」と日々怒りに震えているわけでもないし、ぼくの周りにいる若い人たちは、そもそもそうしたドラマを嫌っていたりさえする。基本的に、人々はネタとして消費しており、ときおりそれをベタに受け取ってしまう人がいる、という程度に認識しておくとよいと思う。

 

2:滞在中に友人宅で火鍋をごちそうになった。なるほど家族そろってお鍋などというと、たいへん「アットホーム」な感じがする。しかし別の日に、例のおじいさんが、この間友人の両親が火鍋の作りかたを自分に聞いてきたので教えてやったとぼくに誇らしげに語ってくれた。ぼくはそれを聞いてとても嬉しかったけど、一方でアットホームな瞬間とは、火鍋を囲むひとときにではなく、むしろ火鍋の作りかたを尋ねるその一幕にこそ存在したのだと感じた。

また、ある時には1泊2日の旅行へ連れて行ってもらった。出発前日にみんなで準備をしたが、その荷物はもともと家にあったものか、あるいは前もって買っておいたものだときいた。準備のための準備とは、たとえばこういうものを意味している。

 

3:厳密なタイミングはわからないが、友人から学生たちがそのシャツを着て入学式に臨んでいる写真を見せてもらったので、だいたい入学時かと思われる。

 

4:宙吊りの感覚についてもだいたい共通点が導き出せるだろうが、いまあまり適切な例がないことと、これ以上文章が長くなってもよくないので、ここではあえて取り上げない。

また、4年間在籍する学部の留学生は観光(客)的でないのか、という疑問があるかもしれないが、これに関しては、ぼくは学部の留学生じゃないので、よくわからないとしかいえない。ただ、制度上は村人である上、ぼくが知り合った学部の留学生はおおかた家庭環境や中等教育に関して中国的なバックグラウンドを持っており、そうした人々はあまり観光(客)的でないといってよいだろう。

 

5:マキャーネル 安村克己ら訳『ザ・ツーリスト』(学文社 2012年)

 

6:いまぼくが一番時間と労力を割いているのは間違いなく勉強だが、そんなことは留学の本質とは無関係なのでどうでもいい。「留学に来てめっちゃ勉強頑張った!こんなのはじめて!」などといってしまう人は、(たとえそうでなくても)日本でたいして勉強やってませんでしたと暴露してまわるようなものなので、そんな恥ずかしいことはあまりしない方がよいと思う。

 

7:マキャーネル(2012年)13頁。

 

8:この可能性を思想・哲学の文脈から照射しているのが思想家の東浩紀(『弱いつながり』、あるいはきたるべき『ゲンロン0 観光客の哲学』など)であり、あるいは「消費社会」、「アイデンティティ」などの概念から観光(客)の可能性を分析しているのが社会学者の須藤廣(『ツーリズムとポストモダン社会』など)である。個人的には、観光あるいはレジャーといったものに対する関心は、実践女子大教授で哲学者(?)の犬塚潤一郎の啓蒙による部分が大きい。

枯れきった深緑の草ぐさを、ぼくらはどうみればよいのだろうか?

日本でもニュースになったであろう中国の春節(=旧正月)もすでに終わりを迎えようとしている。一般的に、春節の祝賀ムードは陰暦の正月十五日(上元、新年最初の満月)の夜、いわゆる元宵をもって終わる。(※1)この日は元宵節とよばれ、お祭りが各地で開かれたりする。今年は今月11日が元宵節にあたり、10日夜から各地で祭りが行われるようだ。

 

では、春節から元宵節までの間人々は何をしているかというと、むろん人によるのだけど、今日では中国各地、あるいは諸外国へ観光にいくことがわりと多い(※2)。これは日本でもよく知られていることだろう。ぼくのいる北京大学へもずいぶん観光客がきた。北京大学は関係者とその同伴者以外は所定の手続きをしないと入れないので、学生証を持っているぼくは何度か見知らぬ観光客に頼まれて、あたかも同伴者であるかのように親密そうに振舞いながら校門を突破させられたりした。また、春節の間も休まず開いているわずかな食堂は、明らかに学生(あるいは職員)らしからぬ人々でごったがえしていた。

 

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そんな中、先日ふとみつけたのが以下の光景だ。

 

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これはぼくの寮の敷地内にある芝生の植え込みだが、なぜかすでに枯れきっていた草ぐさが世にもきれいな緑色に塗装されていたのだ。

写真ではわかりにくいかもしれないので、比較対象として同じ日に撮った北京大学内の芝生を見てみよう。

 

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さっきの写真と比べると、あまりに生気を失っており寂しげだが、もちろんこちらがありのままの姿にほかならない。いうなれば、さっきの写真の草は、ただの草ではなく、より草らしく加工された草なのだ。

 

これに関しては、おそらくここ数日間の出来事のはずなので、観光客の目を意識した行為だとみて間違いないだろう。というのも、ぼくらが住んでいる留学生向けの寮にはホテルが併設されており、そこもいま多くの観光客が利用しているからだ。

 

なので、ここで問題なのは、どうして枯れ草が深緑に染まったのかではなく、むしろそれは一体なんなのか、換言すれば、ぼくたちはそれをどのようにみればよいのだろうか、ということになる(とはいえ、緑のペンキで一気呵成に塗りたくってしまう感性自体、少なからず戦慄的であるが……)。

 

さきほどもいったとおり、この「深緑の枯れ草」の目的は観光的な演出にある。そこで、『ザ・ツーリスト(THE TOURIST)』(邦訳は安村克己ら訳、学文社、2012年)で知られる社会学者のディーン・マキャーネル(Dean Maccannell)を召喚しよう。

 

彼は観光対象を分析するにあたってたいへん有益な手段をいくつか提示しているが、その一つとして表舞台‐舞台裏の区別がある。つまり、観光地には観光客にみせられる――いやむしろみせるための――表舞台と、表舞台を演出するための準備がなされる場所、つまり観光客にはみせられない舞台裏があるということだ。これ自体はアメリカの社会学者アーヴィング・ゴフマンが提示した(※3)ものだが、マキャーネルはこの両者は単なる2つの要素ではなく、シームレスな6つの連続体のうちの両極であるといった。以下簡単にまとめよう(※4)。

 

第一段階:いわゆる表舞台。たとえば一般的なレストランのホール。

第二段階:部分的に舞台裏風に飾り立てられた表舞台。たとえば壁に漁の網をかけた漁村っぽい雰囲気あるシーフード・レストラン。

第三段階:舞台裏にみえるように全体的にしつらえられた表舞台。マキャーネルは「テレビの月面歩行のシミュレーション」を例として挙げているが、彼もいう通り、第四段階との境界が曖昧だという「問題をはら」んでいる。

第四段階:観光客にみせるために開放された舞台裏。たとえば楽屋の公開サービス。舞台裏は公開された時点で機能的には表舞台となってしまう

第五段階:観光客に覗かれてしまってもよいように整備されているが、普通は公開されない舞台裏。たとえばレストランの厨房。

第六段階:いわゆる舞台裏。観光客はみることができない。たとえばスタッフの専用トイレなど。

※舞台裏の役割は、単に表舞台の準備のためだけでなく、表舞台の「確固とした社会的現実性[……]を保持する」ための神秘性を保証する――つまり、なにもかも可視的(過視的!)な現代社会にあって、みえないことが真正性を演出し、神秘性を担保する――ことにもある。それゆえ、「たとえ実際に秘密はなくても、それでも舞台裏とは、とにかく秘密があると信じられる」のだ。隠されるから秘密や神秘性がみいだされるのであって、その逆ではない。

 

このマキャーネルの6つの基準にしたがって見ると、くだんの枯れ草は観光客に見せるために演出された第一段階の表舞台であるということができる。むろん、ぼくたちはそんな当たり前のことを確認するためだけにマキャーネルを召喚したのではない。ぼくたちが考えねばならないのは、あの植え込みという空間自体がどの段階に属するかではなく、むしろ枯れた芝生が深緑に着色されていくきわめてスリリングな瞬間が一体どの段階に属するのか、という問題なのだ。

 

このことに着目すると、じつはこのマキャーネルの区分方法が片手落ちであったことに気付くことができる。つまり、この分類には、ある一つの場所がある時には表舞台になり、ある時には舞台裏になるという時間的変化への視点が完全に欠落していたのだ(※5)。 

 

これは至って簡単なことだが、重要な視点である。たとえば、閉園時間を迎えた遊園地を想像してみるとよい。閉園後のディズニーランドでは、おそらくメンテナンスやパフォーマンスの確認などが行われているだろう。そして、観光客はそれをみることができない。そのため、閉園後のディズニーランドに関しては往々にして荒唐無稽な都市伝説が語られることがある(※6)。それは、間違いなく、日中華やかな表舞台として機能していたディズニーランドが閉園とともに第六段階の舞台裏に転じたからにほかならない。そこが純粋な舞台裏である以上、秘密がなくても、秘密はあると信じられてしまうものなのだ。

 

また、さきほどメンテナンスといったが、その主要なものには清掃がある。清掃は普通、観光客に見せるためにするものではない。清掃とは、機能的に舞台裏に属するものだ。しかし、少し考えればわかるように、それは必ずしも単一の段階に属するわけではない。

 

遊園地で考えれば、それが行われているのが閉園後(第六段階)なのか、開園中(第五段階)なのかに分けることができる。つまり、開園中の園内の清掃とは、表舞台に一時的に登場した舞台裏(第五段階、見られても構わないもの)だということができる。そこでは、一つの場所に表舞台と舞台裏が同時に存在しているのだ。この表裏共存の状態は、観光対象の性質が空間/構造の差異のみならず、時間の差異にも依拠していることを表している。

 

開園中の清掃に関しても、ぼくたちはさらに分けることができるだろう。たとえば、よく知られているように、ディズニーランドでは園内の清掃さえパフォーマンスとして行われている。そこでは、清掃が見られてもよい(が、極力目につかないようにすみやかに遂行される)舞台裏ではなく、表舞台として見せるための舞台裏(第四段階)として存在している。つまり、この時清掃が機能的に表舞台となるのだ(あえて付け加えておくと、ぼくは別にディズニーランドが特別好きなわけでもないし、なんなら小学生のころ両親に連れていってもらったきりいっていない)。

 

遊園地とその清掃を簡単に見ていくなかで、ぼくたちは観光対象の表舞台‐舞台裏という性質が、単に空間的/構造的差異のみならず、時間的差異によっても決定され、なおかつ表裏の異なる段階に属する舞台が、ある種の時(空)間的偶然として共存しうることも確認した。冒頭でいった「深緑の枯れ草」を理解するには、およそこれで十分だろう。

あの芝生は観光客のまなざしを考慮してより草らしくされた草であり、いわば純粋な表舞台(第一段階)である。しかし、残念ながらぼくたちはそれらが深緑に塗りたくられた瞬間を目にすることはできない。なぜなら、その加工の過程は観光客には絶対に見られてはならない舞台裏(第六段階)であったからだ。それゆえ、塗装はおそらく人気のない深夜か早朝に行われたことだろう。

 

観光対象の表舞台‐舞台裏という区分が「ある場所で演出される社会的パフォーマンス」、つまり空間的/構造的な差異によってなされるとき、純粋な舞台裏(第六段階)はつねに観光客に対して閉ざされている。表舞台に立っているぼくたちが舞台裏をみることができないのは、そこにあるものが物理的に遮断/隠蔽されているからであり、ぼくたちは(実際にみていなくても)舞台裏があること自体は認識している。

 

一方で、一つの観光対象の表裏の区分が時間的差異に依拠している場合、ぼくたちが表舞台から純粋な舞台裏をみることができないのは、それが物理的に遮断/隠蔽されたからではなく、それが表舞台への転換と同時に消失してしまうからだ。換言すれば、表舞台‐舞台裏という性質が時間性によって決定されるとき、両者が純粋であればあるほど(つまり第一段階か第六段階に近いほど)、相互に消失し合うという特徴を持つのである。

 

もしかすると、読者の中には、そもそも観光対象はそんなに単純な状態で存在していないといって批判する人がいるかもしれない。たしかに、ふつう観光対象は空間的/構造的な表裏の舞台と時間的な表裏の舞台の両方の側面を持ち合わせているものだ(ホール、営業時間、バックヤード、キッチン……)。

 

しかし/だからこそ、ぼくはここで「深緑の枯れ草」に注目したい。というのも、ここには空間的舞台裏がほぼ存在しないことによって、純粋かつ高度に時間的な表裏の舞台の展開をみることができるからだ。芝生の植え込みという空間が時間性によって表舞台へと転換したのであって、そこに隠蔽すべき舞台裏などない。そこには、芝生しかないのだ。(あえて厳密にいえば、業者の倉庫がそれにあたるかもしれないが……)

 

枯れきった深緑の草ぐさを、ぼくらはどうみればよいのだろうか――それは、観光客へ向けられた華やかな(?)表舞台であり、同時にその時間性によって隠蔽すべき舞台裏を消去することによって、舞台の表裏を決定づける時間性という要素への気づきをもたらしてくれる場所なのである。

 

 

 

 

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ふ、ふむう……

 

 

註 

 

1:詳細は、たとえば松浦友久編『漢詩の事典』(大修館書店 1999年)605頁以下。また、ぼくがかつて編集人をつとめていた同人誌『乾文學』三月特別號に趙君という中国人留学生のエセーの翻訳とぼくの解題を掲載したことがある。見てくれるとぼくがたいへん喜ぶ。

 

2:春节假期热门景区客流爆棚,有游客在寒风中滞留三四个小时_中国政库_澎湃新闻-The Paper (2月8日閲覧)観光地が飽和状態になり、各地でトラブルが発生しており、事前に通知するなどの対策もうまく効果を発揮していない。予約数やチケットの販売量の管理などの対策を急ぐべき、という旨の記事。

 

3:アーヴィング・ゴフマン 石黒毅訳『行為と演技』(誠信書房 1974年)。

 

4:マキャーネル 安村克己訳『ザ・ツーリスト』(学文社 2012年)122頁以下。

 

5:マキャーネルは表舞台‐舞台裏という区分に対して「観光経験の理念的両極」(p122)と述べており、(広く読めば)この批判はあたらないという人がいるかもしれない。しかし、かれの分析に時間的差異への視点が欠落していたのは、第五段階の舞台裏として「キッチン、工場、船内」(p123)という空間的状況に続いて「交響楽団のリハーサル」という時間的状況を列挙していながら、じつはそれが唯一時間的な差異によることを明記しなかったことからも明白である。ここまでこの点にこだわる理由は、本文でいった通りこれが単純であり同時に重要な視点だからだ。(マキャーネルはその後に「ニュースの漏洩」も挙げているが、情報は単に空間的でも時間的でもないだけでなく、可視的でもあり不可視でもあるという至って不思議な性質の持ち主であり、今回の議論では処理しきれないのでここでは取り上げない。)

また、この問題は、この本の邦訳が「高度近代社会の構造分析」であるように、マキャーネルの方法が多分に構造主義的であることに起因するのだろうし、構造主義的な議論に対してもっと時間をみろというのは少し卑怯な気もする。とはいえ、表舞台‐舞台裏の区分に時間軸を導入するとよりよく整理できるのは間違いないし、なによりぼくたちは芝生について考えねばならない。ここで怯んでいるわけにはいかないのだ。

 

6:たとえば、閉園後のディズニーには怖い都市伝説が…秘密のイベントとは!? | これはヤバい!ジブリやディズニーの怖い都市伝説(2月8日閲覧)など参照。

 

 

そこには、虚構しかない。――小説的、没現実的な空間2

天安門へいった。

 

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天安門を知らないという方はおそらくいないと思うが、簡単に説明すると、天安門とは北京市の中心部に位置する城門で、かつては故宮(いわゆる紫禁城)の正門だった。ここの楼上で毛沢東中華人民共和国の建国宣言を行ったり、中国の国章に天安門が描かれたりするなど、いまや中国の象徴となっている。(ちなみに政府があるのは天安門の奥ではなく、ここの西側に隣接する中南海という場所だ。天安門の奥、かつての故宮には故宮博物院がある)

 

この有名な天安門広場だが、実際にここになにがあるかを知っている人は日本だと意外に少ないのではないだろうか。そこで実際に地図を見てみよう。

 

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天安門広場の地図。

画像:http://www.onegreen.net/maps/HTML/25816.html

 

これが天安門広場の略地図だ。地図だとあまり大きさが伝わらないかもしれないが、じつは南北880メートル、東西500メートルとかいう頭のおかしい規模を誇っている。なので、人民大会堂(中国の国会議事堂)から国家博物館(地図中では「革命博物館、歴史博物館」と表記されているが、いまは国家博物館という)まで歩いて移動するだけで結構疲れてしまう。

 人民英雄記念碑というのは、革命や戦争に殉じた「同志」たちをまつる無名戦士の墓(ベネディクト・アンダーソン的な)で、その南の毛沢東記念堂はその名の通り毛沢東をまつった建築で、毛沢東の遺体が安置され、一般公開されている。

 

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上から、国家博物館、人民大会堂、人民英雄記念碑、そして毛沢東記念堂。

 

さて、勘のよい方なら気づいたかもしれないが、先日記念館について熱く語ったぼくがここで天安門を取り上げた理由は、この広場にある国家博物館を紹介するためだ。天安門のあたりにある博物館といえば故宮博物院のほうが有名かもしれないが、じつはここにはもう1つ大きな博物館がある。故宮は有料だが、こちらはなんと無料で入れてしまう。たいへん素晴らしい。

 

例によって金属探知機を通り抜けてから入館する。この博物館は、建物内で北区と南区に分かれている上に全4階建てで地下1階もあるというたいへん巨大なつくりになっているので、そんなにじっくり見なくても、全てまわると5時間くらいかかってしまう。おまけに夕方4時半には閉まるので、ぼくは一度でまわり切れず、後日もう一度いかねばならなかった。

 展示は基本的に企画展示で、体裁も落ち着いており、まさしく論文的で典型的な博物館という印象を受ける。(詳しく書いていると終わらなくなるので省略するが……)今回重要なのはむしろ常設展のほうで、これは「古代中国」と「復興之道」の2か所に分かれている。前者は北京原人とかの話から清王朝までの歴史を博物館的な文化財の展示によって淡々とたどっていくものだが、清末から現代までをたどる後者は打って変わって、抗日戦争記念館を彷彿させる激しい展示を展開している。早い話が、北京原人まで遡って共産党政権へ歴史を接続し、その正統性を主張しようという魂胆なのだろう。

 

ぼくが「復興之道」を見たのはほかの全ての展示を見た後だったのだが、入ってすぐに「第一単元 天地開闢以来の大事変」と書いた大きなパネルがどどーんと目の前に現れたのにはさすがに面食らった。

 

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前々回の記事で見たように、抗日戦争記念館は「満州事変で日本軍の侵略を受け、われわれは国共合作して立ち上がったのだ」的な始まりを見せるのだが、こちらでは「帝国主義の列強の侵略を受け、マルクス主義に目覚めたわれわれは五四運動(北京から全国に広がった日本帝国主義反対運動)によって立ち上がり、団結して共産党を結成した」ということになっている。

 

この違いは、とりもなおさず「日本を倒したわれわれ中華民族」と「資本主義に打ち勝った共産主義のわれわれ」という、2つの国民国家の歴史的起源としての「われわれ」が多重人格的に共存していることを表している。

 つまり、戦争記念館であれば、日本を打倒したことが最も重要であるため、物語の始点、つまり「われわれ」が立ち上がったのは満州事変以後になっており、1945年9月3日の戦勝記念日(日本がポツダム宣言に署名したつぎの日)が決定的な日になっている。一方で、国家博物館の「復興之道」では、日本と中国の戦いよりも資本主義と共産主義の戦いに主眼が置かれており、「われわれ」が立ち上がったのは1919年の五四運動および1921年の共産党結成においてであり、最も決定的な日は1949年10月1日、つまり国共内戦に勝利して中華人民共和国が成立した日になっている。戦争は国民党との共闘であったため、戦争記念館ほどには大きく語られていない。こうした「われわれ」の分裂は中国だけでなく日本や韓国でもみられる(※7)ことであり、(素人ながらも)いまの外交関係(とりわけ東アジアの関係)を考える上でたいへん重要な問題であると思う。

 

少し話がそれてしまった。「復興之道」の展示に戻ろう。展示は前後半に分かれており、前半が列強の支配から共産党の成立、国民党との闘争、それから太平洋戦争までを描き、後半が国共内戦から中華人民共和国の成立を描き、経済成長を経ていまに至るという流れになっている。戦争記念館ではすっとばされていた戦争以後が語られていたが、悪名高い大躍進政策や、中国最大の内戦ともいわれるイデオロギー闘争である文化大革命は当然のように抜け落ちていた。例によって新しい絵画や銅像、モニュメントがあちこちに設置されており、中学生の団体も来ており(巨大な博物館のほかの展示室では一人も見かけなかった)、最後には期待通り感想を書くノートが設置されていた。

 

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展示の一例。

 

ここでみなさんは、きっと不思議に思われることだろう。なぜなら、かつて提示した小説的な記念館と論文的な博物館という見立てでは、国家博物館の「復興之道」を説明することができないからだ。ぼくたちは、ここでこの見立てを一度崩さなければならない。

 

とはいえ、少し考えると問題はそれほど複雑ではないことがわかる。もう一度天安門広場の地図を見てみよう。そこにあるのは人民大会堂と国家博物館、人民英雄記念碑、それから毛沢東記念堂などだった。現代をいきるぼくたちにとって、天安門広場といえばこうしたものが存在する象徴的なイメージが定着しているが、当然ながら、もともといまのような状態であったわけではない。

 下の写真は清の時代の天安門および広場を写したものだ。明や清の時代には、天安門は故宮の正門として機能しており、勅書の公開、科挙の合格者や裁判の結果などを発表する場所だった。広場はいまよりもずっと狭く、広場というより大きな丁字路といった方が適切かもしれない。当然、天安門に皇帝の肖像が掛けられるといったことはなかった。

 

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清の時代の天安門広場。奥にみえるのが天安門

画像:http://blog.sina.com.cn/s/blog_4bad45ac0100a9bj.html

 

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 清朝期の天安門広場の地図。

画像:http://blog.sina.com.cn/s/blog_4bad45ac0100a9bj.html

 

20世紀になると、天安門は北京を掌握した権力者によって利用されていく。かつては孫文蒋介石の肖像がここへ掛けられ、戦時中は日本軍が「建設大東亜新秩序」というスローガンを掲げたこともあった。また、スターリンの死に際して彼の肖像写真が掲げられたこともある。意外なことに、結構いろいろなことをやっているのだ。

 

天安門広場が現在のかたちになったのは中華人民共和国が成立した現代(※8)になってからで、1954年と1958年の二度に渡る天安門広場拡張計画によるものだ。1954年には丁字路の先にあった長安左/右門、中華門および丁字路の外側にあった役所や倉庫などの建築が撤去され、広場が拡張されたほか、人民英雄記念碑が建設された。

 1958年には建国十周年を翌年に控えたこともあり、さらに大規模な拡張計画が提案、実施される。この時、広場の総面積は44ヘクタールも増加し、東西に人民大会堂と中国革命博物館および中国歴史博物館(つまり、のちの国家博物館)が建設された。そして約20年後の1977年、毛沢東の死去に際して毛沢東記念堂が建設され、天安門広場はほぼ現在の形に至る。

 

もちろん、天安門自体がもともと政治の中心地に位置していたことは間違いないのだが、こうしてみてみると、中国の象徴として現在の地位を築き上げるのは随分最近になってからだということがわかる。

 つまり、毛沢東の肖像をはじめ、人民大会堂や国家博物館、人民英雄記念碑、それから毛沢東記念堂といった天安門広場にある象徴的なものは、全て中華人民共和国成立後に天安門(広場)を機能的/地理的な中心から象徴的な中心へと転換させるべく徐々に付加されていったものなのだ。(もちろん、この性質転換が可能だったのは、ここが五四運動の現場になるなどもともと象徴的な性質を帯びていたからでもあるのだが)

 

 大胆に換言すれば、現在の天安門広場は、共産党によって象徴性を塗りたくられた虚構の空間にほかならない(当然ながら、ぼくはここで虚構という言葉をうそ・まがいものという意味で使っていない。むしろ、物語的想像力に満ちた、という程度の意味で使っている。というのも、ぼくは国家にはそうした物語的想像力が必要だと思っているからだ――念のため)。

 したがって、天安門広場にある国家博物館は、博物館であるという前にまず天安門の意図的な象徴化の過程で生まれたことを念頭に置かねばならない。さきほどもいったように、共産党政権を歴史に接続し、正統性を主張することが、ここでは最も重要な目的だった。(そう考えると、国家博物館は王朝が交代するたびに国家事業として前の王朝の歴史書が書かれるというこの国の伝統の変相した形態だといえるかもしれない)いうなれば、国家博物館とは、論文的な博物館的空間に小説的な物語的想像力が介入した場所なのだ。

 

天安門広場との関係から見ることで、ぼくたちは国家博物館にある「復興之道」という異質な空間についてある程度明らかにすることができた。天安門広場には博物館がある。しかし、その周りは虚構=物語で満ちている。いや、それ自身もまた虚構を抱え込んでいる。

 

つまり、そこには、虚構しかないのだ。

 

最後に、もう一つ論点を付け加えよう。

ここまで見てきたように、「復興之道」の構造的異質性について理解するためには、たんに小説的記念館/論文的博物館という二分法で整理するだけでなく、天安門広場という場所との関係性の中で見る必要があった。

 とはいえ、たんにこの両者の関係だけを見てしまうと、どうしても「共産党のプロパガンダだ!」とか「中共の偏った歴史観だ!」みたいな世にも残念な話になってしまいがちである。しかし、ここまで話を進めてきたぼくたちは、この関係性から1つ興味深い考察を引き出すことができる。

 

盧溝橋と抗日戦争記念館の関係を思い出してみよう。そこからは、もともとあった盧溝橋(じつは、かのマルコ・ポーロも褒めたとかいう伝説もある由緒正しい橋だ)のそばに強い物語性を持った小説的な戦争記念館が建設されることによって、現実の橋が記念館の熱気に気圧されるかのように地味な空間に成り下がってしまう(こういってよければ現実が埋没してしまう)という状況を見て取ることができた。

 一方で、天安門は、共産党の歴史の中で幾度も虚構的な象徴を付与されることによって、論文的な構造をもつ博物館に小説的な要素が介入するという状況を生み出した。

 

つまり、一見どちらも「洗脳だ!」とか「共産党のプロパガンダだ!」とかいわれがちな戦争記念館と国家博物館の「復興之道」の展示だが、それが建築された空間およびその場所に流れた時間に着目すると、じつは全く正反対の構造および関係性を持っているのだ。

 

表面的には「共産党のプロパガンダ」かもしれないが、その裏には小説的/象徴的な空間と論文的/無‐象徴の空間とのきわめてスリリングな相克関係が展開されている(※9)。ぼくらは、単純な記念館/博物館という二分法に安住せずに、常に外側の空間および時間との相関関係によって展開される場としてこれらの展示に対峙しなければならない。

 

「悲憤慷慨」も「無限の反省」も、すべてはその先にある。 

 

 

 

 ****

 

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お酒がとうとうなくなってしまった。みんなからっぽだ。

ぐぬぬ~。酒のみて~。

 

 

註 

 

7:東浩紀「ダークツーリズム以後の世界」(東編『ゲンロン3』(ゲンロン、2016年)所収)24頁以下。なお、ここではドイツの思想家イマニュエル・カントの、国際関係論を構想するにあたり、国家をもつ民族はひとつの人格とみなしてよいという主張に対し、東氏は文学者の加藤典洋の『敗戦後論』(講談社、1997年)を引用しつつ、昨今の外交問題は、それぞれの国家が1つの人格を持つのではなく、むしろ人格分裂をおこしていることにあると述べている。その時、分裂の契機となるのは「戦争や虐殺」といった大きな傷であって、それが言説の場を歪めるのだという。(たとえば日本は敗戦という傷を抱え、韓国は植民地支配と朝鮮戦争という傷を負っている)

そうであるならば、国家博物館の「復興之道」と抗日戦争記念館の展示は、とりもなおさず中華人民共和国が列強による国土分割と、日本の侵攻という2つの傷を抱えていることを示している。また、中国に関する問題をさらに複雑にさせているのは、この国が文化大革命という第三の傷を抱えているためだといえるのかもしれない。政府は公式見解で文革を完全否定しており、いまなお多くが謎に包まれたままになっている。しかし、改革開放以降、経済の民主化グローバル化が進んだ80年代以後の人は、多くの面においてそれ以前の人々とは全く異なる価値観を有しているとされており、ここにも「われわれ」が再定義されるような断絶を見て取ることができるのかもしれない。なお、80年代以降台頭してきた「中産階級」の実態を掴むにはジャーナリストのふるまいよしこ『中国メディア戦争――ネット・中産階級・巨大企業』(NHK出版、2016年)などが参考になる。

 

8:中国では、近代や現代という時代区分を表す言葉が日本と全く異なる射程をもっている。一般的に、日本では1878年明治維新(あるいは1853年の黒船来航)から1945年の敗戦までを近代と呼び、それ以降を現代と呼んでいるが、中国では多くの場合、1840年アヘン戦争から1919年の五四運動までを近代と呼び、それから1949年の中華人民共和国成立(これ以降の体制を中国では「新中国」と呼んでいる)までを現代と呼び、それ以降は当代と呼んで区分している。(それゆえ、たとえば批評家の柄谷行人の『日本近代文学の起源』は『日本現代文学之起源』と翻訳されている)しばしば、中国人にとって近代という言葉の意味が日本人のそれと一致しないのは、かれらにとって近代が不名誉で触れたくない時代であったからだという人がいるが、たとえその感情が本当であったとしても、むしろ、たんに時代区分の意識の差にあると考えるべきだろう。

また、この時代区分の差異は、中国(人)にとって終戦が日本(人)ほどの断絶を意味していないことを表している。もしかすると、読者のなかにはこのことを意外に思う方がいるかもしれない。しかし、それは日本にとってアヘン戦争や五四運動が大した断絶として存在していないことを考慮すれば至極当然のことのように思われる。もちろん、この時代区分を生む断絶の違いは、少なからず注七における「人格分裂をおこす傷」の問題と関連している。

 

9:とはいえ、読者のなかには、国立の歴史博物館とは得てしてそういうものだと考える方がいるだろう。それに、そもそも歴史を語るという行為そのものに選択と価値判断という批評性が存在している以上、歴史を扱う博物館と記念館の差異を語ることは無意味なのかもしれない。しかし、ぼくはそれでもなお(少なくとも中国においては)博物館と記念館との構造的な差異にこだわるべきだと考える。なぜなら、たんに中国の記念館と博物館はあまりにも様相が異なっている上に、本文でもいった通り、こうした展示施設は、構造的に区別することによって初めてそれらが存在する空間およびそこに流れた時間との関係性において把握できるようになるからだ。