暁命堂雑記

ときどき書きます。

鹿

 紂王が球琳金華に偃蹇たる煙火の裡に塵埃となった爲に、人間は忽ち周の世になつた。雪谿の既に溶けて了つた春先の事である。革命の知らせを受けた兄弟はいそぎも懇ろにせず、須臾のうちに軀に七穴を開けむばかりの勢いで胸裡に膨れ上がらむとする正義を抱へたまゝ、棲家を飛び出した。二人は康衢の好奇の眼も顧みず、糊口の憂慮の念も催さないで千里も一日と驅けに驅け抜いて、たう〳〵或る日の夕刻首陽山へ辿り附いた。

 周は不義の國であつた。周の文王は殷によつて西伯に任ぜられた。つまり周は殷の諸侯であつた。諸侯でありながら主君を殺すのは不義の至りである。加之、文王の子武王は、父の葬儀も丁重にせぬ内に文王の威光を頼りて紂王を誅した。此れもまた不孝の極みである。此處に於いて、兄弟は周の粟を食らふを好しとせず、二人して山中に逃げたのであつた。

 ざく〳〵と一刻ばかり只管石径の斜めなるを歩き續けた二人は、少し戸惑つてゐた。邊りに食べられさうな物が絶へて無かつたのである。天は宵に近い。首陽まで驅け續けた肉體は疲弊し、喉も渇いてゐた。邊りに生えてゐたのは、東月の斜光に些か燦燦として照る靑苔か、何だかよく分からぬ背の高い針葉樹位であつた。それから、それから石も澤山あつた。弟は團子の樣に圓圓とした石を拾つて盆槍然と眺めてみたが、やがて杳然とした深林の奥目がけて投げ捨てゝ了つた。

 ぼちやと云ふ音がした。弟は目を瞠つて、くらい林の奥を覗き込んでみた。まう一度投げ込んでみると、矢張りぼちやと云ふ音がした。邊りが暗いのもあるが、木木の先に何が有るかは絶へて分からぬのであつた。とは云へ、此の先には水があるに違ひなかつた。二人は欣喜して、互ひに慫慂し合ひつゝ林間を走つた。

 間も無く木木が無くなつて、湖に辿り着いた。暗中目測に堪へぬの感はあるが、せい〴〵奥行十間足らずの樣だつた。二人は岸にこゞんで、がぶ〳〵と水を飲み始めた。枯渇した身に這入る清水ほど美味いものは無い。美味いよ兄貴なんぞと云ひながら、二人は何時までも飲み續けた。

 昧爽岸邊で醒めた二人は、自身の更に幸運なるを悟つた。昨晩は水を得た喜びと暗さと疲勞とで氣附かなかつたが、二人の目前に一軒の蝸牛廬があつたのである。人のゐる氣配は無い。戸口には蓁蓁と薇が生えてゐるのが見えた。すでに廬を結ぶ手間も無くなつた。飲食の心配も無い。此處でかうして細細と隠遁しておけば、市井では兄弟が義士として人口に膾炙し、あはよくば來者の傳へ聽く處の者となつて徃くのでは無いだらうか。二人はそんな事を考へながら薇を二三束むしり取つて中へ這入つた。

 外から足音がするのを聞いて、二人は薇を齧る手を止めた。外を見ると、一人の老婆が此方へ向かつて歩いて來てゐた。老婆は背が圓く非道く尖つた眼をしてをり、くすんだ黃綠の襤褸を着てゐたが、それは黃綠と云ふより寧ろ全ての色を混ぜて水で薄めた樣な下品で汚い色だつた。背は稲穂のやうに垂れてゐたが、筇は突いてゐない。諸手を腰に當てたまゝ歩いて來た。

 「吾吾は不義の國である周を嫌い、周粟を食らふを好しとしなかつた義士である」兄は、老婆から何も云はれぬ内からづか〳〵と歩み寄り、いやに胸を張つて云つた。弟も慌てゝ兄に續き「義士である」と、稍荘厳に繰り返した。老婆は暫く上目遣ひに二人を睚眥してゐたが、そのまゝの表情で乃ち「周粟を拒むくせに周の薇は食らふのぢやな、望み通り來者の傳へ聽きて笑ふ處の者と爲れるぢやらうて」と云つた。兄弟は、薇をどさと落として了つた。老婆は續けて「わしの見ぬ處でだうしやうと勝手ぢやが、間違つても殺生を起こさうなんぞと考へるでないぞ」と云つて何處かへ去つて徃つた。

 それから數日間、兄弟は薇の束を捨てゝ、盡日物を食らふ事無くじつと堪へた。或る払暁、突然霞が廬を掩蔽した時、二人は空腹に堪へられなくなつて外へ出た。廬の外には春霞が一面に廣がつてゐるので、腕を伸ばした先に何があるかは絶へて分からぬのである。とは云へ、腕の先には指があるに違ひない。それ位邊りは白色に滿ちてゐる。兄は實に弱つたと許りに肩を竦めているが、隣の弟はやけに鼻息荒く佇んでゐる。霞を食らふを得たりと云つて、鼻から口から烈しく呼吸をしてゐる。深く霞を吸つてみると、豈にはからんや、舌上には僅かに水の甘味が漂ひ、その甘味の消えぬ間に鼻腔の奥や咽頭の邊りに妙に冷冽な感覺がして、それが忽然として胃の中へ蓄積して行くのである。とは云へ、後世に云ふ仙人の食らふ霞は、本來は霊木や霊地なんぞの氣を表すもので、春に浮く本物の霞ではない。兄弟は、云はゞ初めて倒錯した形に於いて霞を食らつた者であつたのかもしれない。兄は、より多くの霞を食らはんと欲して闇雲に驅ける弟の音を聞きつゝ、頼り無い滿腹を得るまで食事をしてゐる。足音が消えた頃、矢張りぼちやと云ふ音がした。

 次の朝には、兄弟は湖の畔で、こんもりと盛り上がつた蒼色の苔のもとにこゞんでゐる。霞が露になつて表面は些か燦燦としてをり、見るからに柔らかである。二人は苔を少し摘まんでみた。すると苔はもす〳〵と音ならぬ音を鳴らして剥がれていく。掌を轉がる苔はふんわりして、中には空氣と水とが豐かに含まれてゐる。さうして底の方には薄く土が附いてをり、其處は至極湿潤でありながら微かにざら〳〵してゐる。口に入れると、苔は根菜の葉の樣に極端な苦味を伴つてとろけ、一方で恰も口内に依依とした樣で留まらむとする土の優美な甘味が相對的に際立つて感ぜられる。微笑む弟の顏を見た時、齒と云ふ齒が不氣味なまでに鮮やかな綠に染まつてゐたので、兄は俄かに恟然として了つた。

 銀色の女鹿が軈て杳然とした深林の奥から歩いて來ても、二人は湖の水で渇きを癒さむとしてゐる。鹿は月の樣に輝いて豐満を極め、だらしなく乳をぽた〳〵と垂らしながらこゞんだまゝの二人の下へ近附いて來る。立ち止まつた鹿の足元には小さな乳溜りが出來てゐる。兄弟は無言のまゝ見つめ合つてゐる。二人は長らく獸肉から離れてゐる。豐かに肥え太つた女鹿は、二人にとつて至高の魅惑である。二人はどの樣にすれば上手く屠る事が出來るかを考えてゐる。兄は二人で抑へて絞めてやらうと考えてゐる。一方で、弟は溺死させるのが効果的だと考えてゐる。なぜなら、眼前の太つた女鹿の力は、慢性的に衰弱した自分達を凌駕しうるかもしれなかつたからである。だが二人掛かりで湖に突き落としてやりさへすれば、後は浮き上がつて來るのを待てば好いのである。御馳走は目前にじつと佇んでゐる。兄弟は堪らなく嬉しい氣持ちになつた。

 まさに弟が兄に自分の意思を傳へやうと決意した時、鹿が大きく嘶いた。二人が驚く間も無く、女鹿は逃げ出して徃く。兄弟は慌てゝ追いかけたが、女鹿は忽ち霞の中に見えなくなつて了つた。

 がつくりと膝を突いた時、突然霞がさつぱり消えて無くなり、二人はこれまで食べて來た物が、本當は全然大した物ではなかつた事を気附かされた。湖の水面が、笑ふやうにぴく〳〵と風に波立つてゐた。それぞれの手に萎れた薇を握りながら、兄弟は庵のそばに倒れ込んで、やがてぴくりとも動かなくなった。

花火

 男が早稻田の、丁度夏目坂通りを登つた處に在る下宿に住んでゐた。北向きの六畳一閒には、茶色い本棚が數多有つた――否寧ろ本棚しか無く、最早本棚が壁と爲つてゐたのである。男は日常凡そ如意の時は必ず書物に向かつて飽きる事が無かつた。實家からの學資も奬學金も、竝べて書物に尤も充てられた。男の部屋は、果たして渠が住む部屋に本が置いてあるのか、或ひは書物の住む部屋に渠が置かれてゐるのか、だうも分からぬ有様であつた。

 男の常常説く處はかうであつた。曰く「書の裡には自分の未だ知らざる情報が埋蔵されてゐる。其れが己の血肉、即ち知識と爲る事に對して堪へがたき愜心を催すのである」と。渠はいつも此の「知識」と云ふ處に力を入れて云つた。男は書淫であつた。畢竟渠は書に、或ひは書に内在する知と云ふ蛾眉に戀してゐたのである。

 男が尤も好んだのは漢籍も殊に唐詩であつた。渠は日夜李杜を打ち誦じて已まず、其の覚へたる處の詩は軽く数百に上つた。

 或る日の晝下がりの事である。男は薄汚い褥に仰臥して、茜さす日の閒に杜甫を讀んでゐた。然しだう云ふ訳か、俄かに、本來四角い筈の絶句が何だかくの字を倒にしたやうに曲つて見え始めたのである。個個の漢字も皆海老のやうに奇妙に反りかえつてゐる。はてなと思つて少し目を閉じてみた處、やけに瞼裏に光が明滅する。弱つたと思ふや否や、男は激しい頭痛に襲はれた。男は已む無く杜甫を抱いた儘眠りに就いた。幾度か苦しげに寝返りを打つた後、忽ち寝息を立て始めた。

 男が目覚めたのは昧爽、新聞も未だ這入らぬ時分の事である。淡黃色の薄い窗掛から漏れ入る曙光は、まうと上がつては邊りを舞う塵埃の中で舞台照明のやうにさつと伸びてゐた。男は褥の中で、随分と脳海が爽やかに醒めた事を快として、ぐわばと起き上がつた。寝覚めの快に反して頭を起こすのは些か骨を折つた。手元の杜甫を捲つてみた處、可なり頭に這入るやうに爲つてゐた。男は珍しく散歩に出る事にした。夏目坂を下り切つた處で思いがけず友人に出遭つた。彼は何だか釈然としない顏付きで男を見つめて來た。男が声を掛けると友人は其の儘の表情で、君少しく頭が大きく爲つてはゐないかねと云つた。男は少しく自身の頭を撫回してみたが、そんな氣もするし、さうでは無い氣もする。男は挨拶も懇ろにせず友人と別れ、爪先上がりに夏目坂を登つて徃つた。

 部屋へ歸ると、男は真先に鏡へ向かつた。成程頭が少し大きく爲つてゐた。顏が肥大したのでは無い。獨り頭のみが一回り大きく爲つてゐたのである。原因は直ぐに思ひ附いた。昨日の其れは單なる疲勞と思つてゐたが、其の實已に情報が入り切らなく爲つたが故の頭の物理的膨張――否寧ろ擴張であつたのだ。進化だ、と男は思つた。自分は進化した人類なのだと思つた。進化だ進化だと男は小躍りし乍ら離騒を手に取つて褥に這入つた。さうして亦容量の增えた頭に四角い詩句を詰込み始めた。

 頭が擴張してから、物事が以前より随分好く這入るやうになつた。男は、朝夜は下宿で高吟し、日中は圖書館に籠つて讀書をした。さうして二箇月許り經つた頃である。男は圖書館の地下にゐた。床は處處ぽし〳〵とほつれの見える黑い絨毯敷きで、窗はおろか吹拔けすら無いのでやゝ陰氣であつた。天井の照明はちか〳〵と頼無く、邊りにはたれもゐない。人の背丈の二倍は有る白い本棚は天井にすれ〳〵で、其の中にはびつしりと和紙綴じの書物や奇妙な漢籍が竝んでゐた。其の本棚に囲繞されて大きな焦茶の机が雙つあつて、丁度其の一角に男は坐つてゐた。男の斜向かひに老人が獨り來たが、男は絶へて意に介さなかつた。

 男が讀んでゐたのは詩經であつた。既に其の殆どは能く諳んじる處ではあつたが、律儀に周南から讀み進めてゐた。

 唐風を過ぎ、秦風に差し掛かつた時の事であつた。何やら見た事の無い詩が有つた。「終南何か有る、條有り梅有り……終南何か有る、紀有り堂有り……」男は首を傾げ乍ら帳面に句を走り書いた。書き終はるや否や、亦漢字がくねり〳〵と湾曲し始めたのである。詩全體が、矢張り西洋文字のKを裏返しにしたやうにぐにや〳〵なつて、何が書いてあるのか絶へて分からなく爲つて了つた。男は、目を閉じると亦渠の光が出て頭痛がするだらうと思つて、ぐにや〳〵の詩を見るとも無く眺めてゐた。閒も無く、男の視界に何やらぱし〳〵とした光が處處に明滅し始めた。ぱし〳〵は一向に已む事が無く、忽ち頭痛が始まつた。頭がぐわん〳〵した。脳の中でスクワツシユーが行われてゐるやうであつた。ぱし〳〵はどん〳〵激しくなつた。男は堪らなく爲つて机に突伏した。

 目が覚めると、頭痛は治まつてゐた。ぱし〳〵も無くなつてゐつた。男はほつとして邊りを見渡した。本棚もあつた。部屋は矢張り陰氣であつた。時計が二時閒許り進んだ以外は何も變はらぬ。只、例の老人が本を開いた儘瞠目して、あう〳〵と云ふ聲ならぬ聲を出し乍ら男を見てゐた。眼鏡を取つて看てみると、眼鏡は男に向かつて斜に情無くばんざいをしてゐた。亦進化したのかと思つて厠にある鏡を覗き込んだ處、なるほど矢張り進化してゐた。大村益次郎みたいだと思つた。顏を洗つてみた處、首がやけに怠くなつた。鏡をまう一度見てみると、益次郎よりも大きいやうな氣がした。男は髪をわさ〳〵と搔揚げた。

 三箇月經つた。まう夏に爲つて了つた。たはかれをたうに過ぎた公園では、花火がのべつ幕無し上がつてゐた。男は、連合ひの女と屋台の竝ぶ前を歩いてゐた。綿菓子屋を過ぎると、赤い暖簾の射的屋の前に人だかりが出來てゐた。人が見ると、三人の男がぽんぽんぽんと随意に射ちものをしてゐた。人だかりが、當ればやれ天晴れだの何のと打ち騒ぎ、外ればやれ下手くそだの何のと囃し立てるものだから兎角喧しい。射ち畢はつた三人は軈て銘銘に菓子なり煙草なり瓶酒なりを手に亦人だかりに混ざつて徃つた。歩みを進めると、煎餅売りが構へてあつた。暖簾には元祖大阪の味なんぞと書いてあるが、果たして何が大阪なのかは絶へて分からなかつた。黑い襤褸を着た薄汚い男が、如何にも慣れた風な手附きで橙色の煎餅の上にソオスや天かす、其れから鰹節なんぞを載せてゐた。夫れ煎餅なんぞ日頃鬻ぐには堪へぬ物だらうから、煎餅売りには大方熟練も木蓮も有つた物では無い。たゞ其の妙に小慣れたさまが祭屋台の妙なのである。煎餅売りは前を過ぎて徃く人を眇に睨んだ。

 屋台のある通りを拔けて、二人は他の若い男女と同じやうに小高い芝の丘へ掛けた。二人の直ぐ前には女が獨り坐つて空を盆槍然と見てゐた。暗い空には雲一つ無いが、香ばしい煙が蛸のやうにうるつとうねつては、梅雨のながめの雲よりも低く立ち込めてゐた。風も無いし、星も月も見えない。先程から花火が一端の小休止を迎へてゐる其の一帶は、俄かに生じた閒の悪い倦怠の爲に一層蒸し〳〵してゐた。

 無聊に耐へ兼ねてゐたのは男とて同じであつた。肌着が急にじつとりして、背に圓く汗染が出來てゐた。男は手元の芝を千切つては捩じり、撚るとも無くばら〳〵にしてゐた。

 「何か樂しい事は無いだらうか?」男が云つた。女は黙つてゐた。

「おい、何か無いのかい?」と男が云ふと、女は耳元の、息がかゝる位の距離迄すつと顏を寄せて、「彩雲光燦柳篠垂、桂水白沙酔妙姿。高踏忽爲竜駿舞、欣聲自作玉珠詩。」とさゝめいた。

「全対格か、誰のだらう。」男が怪訝さうな表情をしてゐた。男は渠の頭の裡に渺茫と廣がる知識の海をざぶざぶざぶと掻き分けてゐる様子であつた。然し、其の詩は何處にも浮かんでゐないやうだ。

 むずがる小兒のやうに適はざる處ある男の氣色を見て、女は始終微笑を浮かべてゐたが、軈て滿面をさつと破して云つた。

 「たれのでも無いわ、私が散歩しながら作つたのですもの。」

 「然し、いきなり中國語を使ふものだから吃驚したぢや無いか。」

 「だう、好くつて?」女は甘へた聲を出した。

 「前対が少し甘いやうだ。」

 「絶句なんだから好いでせう? 私、あなたに背(べい)して欲しいわ」女は奇妙な中國語の使ひ方をした。

 「分かつた、覚えやう、背してやらう。」

さう云つた時である。嬉嬉として男の袖をくい〳〵と引いてゐた女の顏が、鐵薬缶に映したやうに湾曲し始めたのである。例に拠つて頭痛が始まつた。

女の聲も何だか彼方此方跳ね返つてゐるやうで能く聞こえない。取り敢へず女が云ひ畢つたやうなので、男はまう一度と云つた。

 「えゝと……いけない、忘れちやつた」女が弓手で額を抑へてゐた。相變はらず頭痛はするが、視界は元に戻つてゐた。

 「確か、彩雲光燦柳篠垂……」

 「あゝさう、それだわ」女が如何にも合点したと云はん許りに大袈裟に掌を小突いた。

 「それから、確かあれだ、桂水白沙酔妙姿……」

 「やつぱり貴方すごいわね、スポンヂみたいに覚えちやうのね。」

男は何も云はなかつたが、頭痛はいとゞ激しく爲つてゐた。女が続きを促して來た。亦進化して了ふのだらうかと男は思つた。

「次は……次は、何だつけな。」

「次は、あれよ、高踏忽爲竜駿舞。」

「さうか、覚えやう」

さう云ふと、頭は更に痛んで來た。視界が亦歪んで來た。女の顏が三日月のやうに曲つてゐた。前に獨りゐた女が、何時の閒にか二人組に爲つてゐた。其れも三日月であつた。此れまでの頭痛とは明らかに違つた。脳味噌の裡で針鼠を強かに怒らせたやうな痛みが頭の奥から〳〵擴がつて來た。男は堪らず顏を顰めた。叫びでもすれば少しは痛みが紛れるやうな氣がするが、三日月型になつた彼女の顏を見るとさうは出來ぬのであつた。仕方無く、座つた儘立てた膝の間にすつぽりと頭を挟んで目を閉じてゐた。男は堪へ難い頭痛の中にも、彼女の七絶の結句を思ひ出さうとしてゐた。頭はじん〳〵してゐた。何だらう〳〵と心で繰返し唱へてゐると、ひゆーと云ふ音が細く響いた。見上げると、ひゆーと云ふ音の中、欣聲自作玉珠詩よ! と云ふ強いさゝめきが聞こえた。

 どーんと云ふ音がして、花が開いた。霜月の葉よりも赤い缺片がありとある方向へ素早く飛び散つて、如月の花なんぞよりもずつと綺麗であつた。たゞ残念な事に、其れは刹那にちり〳〵と煙に變はる事が無く其處にずつと居残つたし、人人は感嘆の溜息すら吐く事が出來なかつたのである。

文庫

※「〳〵」は繰り返し記号です。

 

 

 

  とある林の中、小さな石でじやり〳〵した徑の突當りに舊い洋館が有つた。今はたれも住んでゐない。いまは博物館となつてゐる其處は、何だかハイカラであり乍ら閑然としてをり、コツテエヂなんぞと云ふより寧ろ洋館と云ふのが餘程好いやうに思はれた。硝子の嵌つた白い扉は、浅葱色の木枠で田の字に劃られてゐた。其の扉の真中に附いた靑銅の握りは、手垢で磨かれてぴか〳〵してゐた。余は戸をぎいと引いて中に這入つた。

 余が窗口へ徃つて學藝員らしき赤い縁の眼鏡を掛けた女に一言名乗ると、女は好ござんす、お這入りなさいと云つて席を立つた。此洋館はのべつひつそりとしてゐて、客は殆どゐないのが常であつた。元の持主も分からなければ、何と云ふ名前の博物館なのかも分からぬ。只はう〴〵から此處へ來る纔かな客から聞いた處に拠ると、だうやら此處はひと〴〵の閒で文庫と呼ばれてゐるやうだつた。何故文庫なのか、其れはたれにも分からない。文庫の窗口が有る狭い玄関から伸びる細い廊下には、小さな燭台が點點と竝んであるのみで盆槍と薄暗かつた。此處からだと、突當りの白い壁が何とか彼とか見える許りであつた。女は珈琲の香りをぷん〳〵と漂はせ乍ら余の前に立つて、案内して差上げませうかと云つた。

 余は女の後に从つて廊下を進み、階段を上つた。階段には赤い絨毯が敷かれてをり、手摺はぴか〳〵の靑銅である。女は足音を立てずにする〳〵と進んだ。余も亦音を立てないやうに、さうして急ぎ足に女に附いて徃つた。

 余は一層暗い廣閒に出た。床は絨毯から焦茶色の木板に變はり、廣閒を圍繞するやうに絵畫や甲冑が展示されてゐた。展示物は皆透明の壁を隔てた五尺許り先に有つた。余は狩野派らしい金ぴかの絵の前に立つた。落款は柳雪匡信で、春と冬との山水が描かれてゐた。春を觀た。余は迢迢たる高天に碧めく山樹を望み、習習たる微風に波たつ湖水を眺めた。湖水の上にはたれもゐない。湖畔に一本立つ樹には花が咲いてゐるが、何の花かは能く分からない。雲雀が啼いてゐた。つがいは、頭上をさつと翔けて何處か遠くへ消えて了つた。溜息が喧しい位に聞こえた。

 「あそこに咲いてゐるのは、何の花だらう」余が云つた。

 「なんでせう、分かりませんわ」女は應へた。さうして、甲冑をじつと見た後、音も無く何處かへ去つて了つた。余は焦茶の上を去るとも無く低徊して、湖水を眺めてゐた。水面には丹頂が二羽佇んでゐた。余はふと、嘗て湘君が沈んだ洞庭の水は丁度此んな按排だつたかしらんと思つた。美女であらうが月竝であらうが、入水は何人にも無条件の美を授けるのでは無いだらうか。無爲にして彼處に浮かぶ者は、全て之信仰すべき美を孕む者と爲るやうに思はれた。余は、余が俯せになつて水を抱締めるやうに湖に抱かれる姿を想像した。何だかぷか〳〵して樂しさうである。然し浮かぶのが余では畫にならぬやうであつた。だうせなら浮かべ甲斐のあるものが好い。とは云へ湖水には、釣翁はおろか、なんぴとも浮かんでゐなかつた。水面は鏡のやうにぴんと張詰めてゐた。花が全て落ちた例の樹はごつ〳〵して湖面と竝行に伸びてをり、何だか松のやうにも見えたが、然し花は松の其れでは無かつた。其れでも幹に雪を載せてくね〳〵とする姿は、矢張り松みたいだつた。湖水を看ると、其の上邊には小さな雪波紋がぽつ〳〵と出来てゐて、鏡ではなかつた。空は何時の閒にか、もく〳〵とした雲に蓋はれてゐた。雪は滾滾と降つてゐた。傍らの樹が何なのか、其れはまうだうでも好い事のやうな気がした。仮令春には松で無くとも、花が違つても、まう此の樹は松で好いのでは無いだらうか。

 「わたし、きれいでして?」女が卒然として余の左の耳元で囁いた。女の鼻から出る細い息が余の頬を冷え〴〵となぞつた。さうして何か無機質の冷たい物が首筋に触つてぞつとした。余は何も答へなかつた。

 「わたし、きれいでして?」まう一度訊いた。女の鼻から出る細い息に余は冷え〴〵とした。金屬らしき物が首筋に触つた。ぞつとした。何も答へなかつた。

 「わたし貴方の爲に女神になつて差上げますわ、見て下すつて?」

 「あの樹は何だらう。」

 「貴方、随分と優柔不斷なこと。」

 「さうなのかな。」

 「兎に角ちやんと見てゐて下さいね。」

女はさう云つて、湖の中へざぶ〳〵と這入つて了つた。丹頂がばた〳〵と飛び去つた。水は女の膝を隠し、腰を隠し、胸を隠し、たう〳〵全て隠して了つた。女は一度も振り返らなかつた。

 余は、女がだうやつて女神に爲るのだらうと水面を凝視してゐた。然し女は何時まで経つても出て來なかつた。惘然と立つてゐると、背後で何か声がした。彼の女の聲ではない。余は振り返らなかつた。亦変な声がした。遅くなつたと云つてゐた。そして右肩をとん〳〵叩かれた。余はまだ振り返らなかつた。

食堂

 

 食堂の戸は横滑りである。勢い好く開けた處で、男臭がプンとする訳でも無い。食堂は略長方形の渺茫(びようぼう)たる大部屋で、戸は丁度右長辺の半ばに位置してゐる。余は、長方形の長辺の残りを大股で歩いてゐる。やけに運足が自由である。パンツが無いのだから仕方あるまい。只、服は着てゐるものだから、石造りのダヰデでは無い。人類は進歩する生物である。

 広い食堂には、寮毎に決められた五つ許りの長机が長辺に平行に列在してをり、其の両側に丸椅子が許多(きよた)に並んでゐる。此う云ふと何だか、ロオリングの何とかポタ〳〵に出て来る西洋の大学の食堂を連想するが、反して此處は極めて東洋的である。長方形の正面の短辺には、やけに大きい五観文が掲示されてゐる。此んな物を掲げてゐるものだから、下手に道心を催して風呂場で熱湯修業を行ふ者が現れるのである。全く美文では腹は膨れぬ。実に好い迷惑である。

 余は山積せらるゝ盆を取り、食物を貰ふ。食堂の者はやけに愛想好く余に笑ひかけて来るが、余は其れが笑ふ為に笑ふ第一義的の物では無く、寧ろ第二義的の、云はば商業的の物である事を知つてゐる。と云ふのも、彼らは、往来で遭つた時に余が食堂の愛想を持ち出すと、翻雲覆(ほんうんふく)雨(う)の体でツンとつれなくあしらつて来るからである。其んな訳で、彼等の第二義的の愛想に対しては、余も第二義的の挨拶を返すのである。余は、此れを二十一世紀の第二義的皮肉と呼んでゐる。

 室の短辺と長机との間には、長机に対して垂直に長い机が有り、味噌汁の這入つた大きな缶と白飯の大きな釜とが置かれてゐる。余は汁の椀を盆に載せ、釜の處へ向かふ。釜の隣には銀の深鉢が有つて、裡(うち)には大きな杓子が水に浸されてゐる。だう云ふ訳か、どの寮生も、杓子を取る度毎に深鉢の縁に其れをチインと当てゝから白飯を装(よそ)ふのである。従つて食堂は、のべつチインが響く為に、極めて仏教的の趣を帯びてゐる。五観文の下で素衣の坊主が神妙な顔附きでチインをやる様なんぞは、仏教的以外の何物でも無い。何とかポタ〳〵の魔法学校なんぞ以ての外である。余は無思考にチインをしてから、仕舞つたと思つた。

 乾寮の机へ徃くと、赤田君が坐つて飯を食つてゐた。余は極力赤田君を見ずに、然し赤田君の正面に坐した。下手に距離を置くのも水臭いからである。

 「オヤ、君も食事か。」赤田君は箸を止め、さも今気附いた様な顔をしてゐる。

 「そら風呂に這入りや、飯も食ひたく為るでせう。」余は、適当にあしらつた。先程、風呂で如何にも没分(ぼつぶん)漢(かん)な挨拶で赤田君を追い出した事が気に掛かつてゐたからである。またプラトオン云々(うんぬん)なんぞと云はれては、とても敵わぬ。余は只管味噌汁を手に取つて睨(にら)み続けてゐた。

 「何だい、味噌汁に自分の顔でも映つてゐるのかい。のべつ幕無し汁と睨み合いをしてゐる様だが。」

 「何でもありません、先生。然し、今日の汁は美味いですナア。」

看た處、赤田君との問答は本当に湯(ゆ)靄(あい)と共に消散した様である。風呂とは、実に方便な物である。余は空に為つた味噌汁椀を盆へ置いた。

 「處で君、先程の話だが真(ま)逆(さか)忘れてはゐないだらうね。」

消散してゐなかつた様である。余は亦た味噌汁椀を持ち上げた。幸い豆腐の欠片が残つてゐる。豆腐一片値千金。余は椀を睨み乍ら豆腐を咀嚼(そしゃく)してゐた。

 すると、赤田君が短兵急(たんぺいきゅう)にオヤと云つた。彼の視線の先には、先程の余の如く長方形の長辺を闊歩(かつぽ)する男がゐた。男――当然男以外には有り得ないのであるが――は、紺の小倉(こくら)の肩を洗い髪で濡らし、丸い銀縁の眼鏡を掛けてゐる。小倉の袖から見える腕は十人並で、大して肉附きが好い訳では無い。只姿勢は妙に好く、其の右手(めて)には万年筆を握つてゐる。赤田君はまう一度オヤと云つた。

 「オヤ、井瀬君では無いか。」

 「慥(たし)かに井瀬君ですな。」余は安堵した。彼は、云ふなれば茶みたいな男である。酒のやうな面白みは無い。面白くは無いが、ゐればゐるなりに有用である。今余が赤田君のプラトオンから逃れるには、知恵熱的の彼は丁度好いのである。とは云へ、余は別段彼を好んでゐる訳では無かつた。

 「全く、不相変彼は書生気質(かたぎ)を拗(こじ)らせてゐるね。現代において、小倉袴なんぞ一体誰が好んで着ると云ふのだね。」

 「其れに彼の万年筆ですよ。筆を箸にしやうつてのぢや有るまいし。」赤田君が井瀬君の人物評を始めたので、余は適当に合わせる事にした。

 「全くだ、あれで『刀剣の鋭なるは、文筆の妙なるに如かず』なんぞ云つて、凝りもせず漢字を弄(いじく)り回してゐるのだから、実に怪(け)しからぬ。」

 「先日なんぞは、顔を見るなり『君、蓋(けだ)し賢を賢として色に代ふるの精神は書生に当然の心意気だね。君の如く、さう日毎女性と交はり歩くものぢや無い。風雅の道に逍遥(ぶらつ)かふでは無いか。』とか云つて、突然李白をうち誦(ずん)じ乍(なが)ら去つて徃(い)つたのです。今時李白を歌い乍ら歩く者なんぞ中国にもをりますまい。」

斯く云ふ間に井瀬君は茶碗と汁とを盆に載せて、白飯の釜へ向かつてゐる。余はぼんやり然と彼を見てゐる。井瀬君は、殊更チインを確(しつか)りやるのである。彼の脳海に、古今漢詩の風雅が浮かんでゐる時は一度チインをやる。東洋思想の複雑が漂つてゐる時は二度チインをやる。余は、矢張り別段井瀬君を好いてゐる訳では無いが、其の法則を発見したのは余が初めてであつた。

 果たして井瀬君は哲学のチインをした。そして玉のやうな露の付いた杓子を軽く振つてゐる。だうせ亦、孔子がだうだとか蚊とか云つて来るのであらう。

 「オヤ、君か、其れに赤田さんも。此れは楽しげな夕餉ですな。」

 「井瀬君、気分はだうだい。差し詰め、孔子がだうだとか、僕は顔回だとか考えてゐたのだらう。」余は、彼が坐すなり云つた。井瀬君は眼鏡を右手の小指で押し上げて、にや〳〵してゐる。袖口からは万年筆が伸びてゐる。

 「否、今日はね、悲喜劇と斉物論(せいぶつろん)とについて考えてゐたのです。」井瀬君は、斉物論と云ふ處に妙に力を入れてゆつくり云つた。

 「何、斉物論かい。其れは随分面白さうぢや無いか、ねえ先生。」

 「さうだな、ちと聴かせて呉れ玉へ。」赤田君は些か前傾である。

 「何、大した事は御座いません。」井瀬君は咳払ひをした。

 「さう勿体ぶらずに早く云へよ。」余も前傾である。

 「漱石虞美人草にですな、悲喜劇の議論が有るでせう。」

 「ここでは喜劇ばかり流行る、と云ふあれの事か。」赤田君はだうやら漱石にも精通してゐる様である。

 「然様(さやう)、漱石は世上の草草の問題に関して、生か死かの問題が悲劇で、後は残らず皆喜劇だと云つてゐるでせう。」

 「さういや、さうだつた気もする。」余は曖昧模糊としてゐる。

 「其れで、悲劇は日頃ふざけたる者が襟を正すから喜劇なんぞよりも偉大だと、此うだつたね。」赤田君が苑転と述べる。

 「然うです、全く其の通りです。然しですな、斉物論を以て此の議論を見ると、だうも此うは云へませぬかな。」

 「だう云ふのだい。」余は更に前傾である。

 「夫れ何が偉大だとか蚊とか云つた處で、此の偉大かだうかと云ふのは、人類の浅はかな智慧で仕分けた物でせう。悲劇であらうが喜劇であらうが、謂はばどちらも演劇には変わり無いのです。変化と云ふ自然の道理に身を任せてゐれば、悲しからうが楽しからうが、だうだつて好いでせう。畢竟人生は演劇なのです。仮令友人や自分が、舞台上で或いは米を食はうが、或いは死なうが、我々は其れを桟敷(さじき)でぼんやり然と見てをれば好いのです。」

 「其れは随分と厭世的(えんせいてき)だナア、正しく浪漫的(ろまんちつく)アイロニイだ。はゝゝゝ。」赤田君は元の姿勢に戻つてゐた。

 「だう云ふ事です。井瀬君の理論では、舞台上と桟敷裡(り)とに、二人の自己がゐる事になりますが。」余は未だ前傾である。少し頭痛がする。

 「蓋し、我々は生活する中で、常に自分を客観的に見る必要が有るでせう。其の意味で、舞台上の自己の他に、桟敷裡の自己が存在すると云ふ考えは、全く撞着(どうちやく)しては無からうと思うのです。」

井瀬君は、大して下がつてもゐない眼鏡を亦小指で押し上げた。

 「畢竟、桟敷裡の自己は観念的なのだね。」赤田君は何時の間にか食事を終へて茶を啜(すす)つてゐる。

 「然うです、そして僕は常に桟敷裡にゐます。」井瀬君は恬(てん)としてゐる。

 「ぢやあ、目の前にゐる井瀬君は観念的なのかね。」余は可なり混乱してゐる。

 「無論然んな事は無い。此處にゐる井瀬は実体の井瀬だ。然し本当の井瀬は少し上で此の体を見てゐるのだ。」井瀬君は亦眼鏡を押し上げた。

少し上とは何だ、訳が分からぬ。余は益益頭が痛くなつた。井瀬君の浪漫的アイロニイは手に負へぬ。此うなれば最早、赤田君のプラトオンの方が余程ましである。

 余は、「時に先生、プラトオンはだう云つてゐるのです。」と云つてみたものゝ、赤田君は已に目の前から姿を消してゐた。オヤと思つて見回した處、長方形の長辺にゐる。彼は此方を見乍ら、且つ走り且つ会釈して出口へ向かつてゐた。余は惘(まう)然(ぜん)と彼を見送つた。

 溜息を洩らし乍ら膳へ向き直ると、今度は井瀬君がゐない。然し膳は残つてゐる。彼は白飯の代わりを装はんとしてゐた。今度は漢詩のチインである。余は嗚呼(あゝ)と口の中で云つた。

 そして井瀬君は、席に坐すなり酒に酔つたやうに苑転と語り始めた。

「時は頃襄王、泪(べき)羅(ら)の水に立ちし屈原、其の意万丈、才覚常ならず……」

「好い加減にしろ。」

余は熱い緑茶の椀を顔面向けて投付けた。

あとがきに替えて

 上海へ九日間の語学研修に行って来た。午前中は授業を受け、午後からは現地の学生と遊びに行った。無論会話は中国語である。尤も楽しかった所は上海書城である。これは日本で言う紀伊国屋ビルみたいな物である。書城もそうだが、中国は何かにつけて城にしたがる様である。家具城なんぞも有った。これは結構好いと思った。新宿のあれも紀伊国書城などとすれば、余程恰好良いと思う。また、場所が中国なので当然だが、漢籍の在庫が日本を遥かに凌駕してゐた。少しく漢文をかじっている私にとって面白く無い筈が無い。あと、最近話題の知日も購入した。

 名所の中で尤も印象に残ったのが、今回書いた豫園である。豫園は日本人のみで行った。かなり好かった。

 豫園に行った日の夕刻に、研修に参加した日本人の略全員で雑技を見た。作中に描かれているのは公演のほんの前半部分である。確かに可なり好かったが、少しいらぬ考え事をして了つた。それがこの文の縁起でもあるのだが。

 あと、これは作品とは全く関係が無いが、研修中に幾人か友人が出来た。二三人とは帰国後も連絡を取っているが、中でも高松と言う現代文学専攻の博士二年の学生と仲良くなった。彼とは大体ずっと一緒にいて、漢詩の話なんぞをした。いくつか唐詩を中国語で諳んじてみせると、大層盛り上がった。彼は可なり優秀な学生だった。同様に彼と交際している、博士二年で近代文学専攻の田さんにも大層お世話になった。

 研修の打ち上げの際、私は彼等に「発華亭」と題して七律を送った。

 

 河上葱葱新柳垂

 宵分東客苦別離

 紅顔玉質充筵上

 美酒珍羞映綺帳

 値勝千金春夜宴

 流凌銀箭至歓時

 朋儔莫謂滄波隔

 看白雲生豈相思

 

 その際、高松は大いに感じたるさまにて「看白雲生亦思君」だったか忘れたが、そんな感じの事を言ってくれた。即興で返されるとは全く思っていなかったので、これには大層感じた。

 あと、文学の話等で中国の学生との会話に窮した時、また処々で少し浮かんだ句を書き留めたりするのに、明眸転じて霓となる、とある知己が現地で私にくれた小さなメモ帳を使用した。作中の写生帖とは、まさに此れのことである。本当に重宝した。否、今尚重宝している。本当にありがたい。

紅色

 

 赤色が中国の色ならば、豫園は中国の結晶の一と云へるかも知れぬ。此の一帯には兎角朱色の高殿が密集してゐる。雑貨屋が有る、小吃屋が有る、宝石屋が有る、皆外観は朱色や臙脂色をしてゐる。どの店からも常に人が流れ出て来る。此れを形容するに、熱鬧と云ふ語が尤も当て嵌る。中華の活力なんぞと云ふ者があるが、殊更に赤や金を好む彼等の性質も其の活力に起因してゐるのでは無いかと思ふ。白昼に臙脂の寺院を看て、夜半に紅艶の電飾を見れば、厭でも気焔を上げて了ふものである。豫園は、處處に上がる気焔が、且つ燃え且つ燻り乍ら凝り固まつて街になつたやうである。大楼郡の如き洗練は無いが、遥かに魅力的である。

 迷路のやうな商店街を抜けると、小さな池の前へ出た。曲がり角の多い橋の対岸には、白壁に囲まれた庭園があつた。

 庭園に入る。入口は小さく、二列で入るに堪えない。余はいきなり鉢植えの梅と遭遇した。枝は懇ろに整えられてゐる。餘り興感しなかつた。

 少しく開けた處に出た。小堂の前に大きな地図が立てゝある。だうやら順路があるらしい。随分と人情なものだと思つたが、略一本道だつた。地図の向かいには大きな石灰岩がある。余の背丈の二倍以上はある。太湖から拾つて来た石だから、太湖石と云ふさうだ。可なり武骨な形をしてゐる。鍾乳洞をさかしまにしたやうな、或ひは鼠に齧られたチイズのやうな形をしてゐる。だが此れは非常に好い。なぜと云つて、作為が無い。湖から出た石が其の儘芸術として完成してゐる。無為にして為さざる無しと云ふ訳だ。

 庭園は幾つかの小区画と、其れを繋ぐ小径とで構成されてゐる。

 或る一区画に出た。瀑布の注ぐ碧池に鯉が遊弋してゐる。小流に掛かる橋からは、梅に松、おまけに竹まで見える。詩情に駆られた。余は写生帖を取り出して傍らの榻に掛けた。まず浮かんだ句は情景の描写である。余は「橋畔横斜 竹梅」と走り書いた。竹の上の字は決まらなかつたが、幸いにも平仄が揃つてゐる。韻は上平声灰韻に決まつた。

 此れは上海に来てから常に気になつてゐたが、だうも日本と瓦が違う。余は瓦屋の倅である。碌に瓦の勉強はしてゐないが、瓦を看る癖位は持つてゐる。豫園の小堂に限らず上海の瓦は一枚一枚の隙間が大きい。そして此處の小堂の掛瓦[1]は日本の其れとは大きく異なる。上の部分が一枚の瓦で構成されてゐる。更に軒丸には一々「豫園」と書いてある。京の御所の塀に有る軒丸に菊紋が描かれてゐる様なものだらうか。個個の瓦の輪郭は凸凹してをり、苔が生えてゐる。修復も絶えて行われてゐないと見える。敢えてせざるのか否かは更に分からぬ事であるが、此れは此れで好いと思つた。兎にも角にも耐震強度を追求したがる日本では、まず見られない状態である。寧ろ、上海の瓦の方が遠観に好い。可なり雄大に見える。そんな事を考えてゐる内に「朱堂甍棟鬍如苔」と出来た。髯が苔のやうとするのは、詩聖が、鶴が双鬢のやうだと云つたのと一般である。

 鯉が泳いでゐる。鯉は不思議な生き物である。彼等は、自分達が人間共の眼を愉しましめる為に、濁つた池の中に侭未来在監禁されてゐると知らないのである。はつきり云つて、人間にとつて彼等は這裏に伸びる梅や松と全く変わらない。かと云つて、突然人間から登竜の願掛けを為されたりする。鯉からすれば、極めて迷惑な話である。京の建仁寺には随分と活きの好い鯉がゐて、ばちやばちやと跳ねる音が境内に響ゐたりするが、鯉の娯楽は恐らくばちやばちや跳ねる事と人間の気まぐれで時たま餌に当たる事位しか無い。彼等は梅を見た處で、恐らく一切興感しないだらう。当然俗挨も無ければ、いらぬ人情などもある筈が無い。さう思ふと、俄かに鯉が尊く見えて来た。余は韻書を捲り睚朁して、写生帖に「為誰遊弋碧池鯉、混水併呑枯木灰」と書いた。

 扨、問題は起句である。新竹梅、松竹梅、どれも好くない。橋畔横斜松竹梅など、我乍ら些か抱腹せざるを得ない。餘りに騒騒しくて雰囲気に合わぬ。朝に辞す白帝彩雲の間も、黄河遠く上る白雲の間も、共に古今の絶唱の一部だが、試みに此れを朝辞白帝「白雲」間と黄河遠上「彩雲」間としてみると好い。万世の名句も忽ちぶち壊しである。少し考えて、苔に合わせて老竹梅とする事とした。斯くて七絶が出来た。

 

 橋畔横斜老竹梅

 朱堂甍棟鬍如苔

 為誰遊弋碧池鯉

 混水併呑枯木灰

 

似た様な庭園を幾つか過ぎた頃である。此れ迄とは一風変わつた一間に出た。山水が無い。否、例に因つて整えられた鉢植えの梅が列在してゐる。しかし、白い広間は朱色の建築に囲繞されてゐる。一際立派な建物の前に立つ。二本ある柱には、それぞれ「天憎歳月人憎壽」と「雪想衣裳花想客」と書いてゐる。一見して平仄は揃つていさうだが、仄韻である。年年歳歳の対句に近いものを感じる。余はふと「海作桑田風作雨」と続けてみた。しかし、その後の着地点が絶えて見つからなかつたので、其處でやめにした。

句が浮かばずに悶悶としてゐると、覚えず庭園の出口に来て了つた。外は矢張り騒然としてゐる。

 電話が鳴つた。上海に住む老師からであつた。折角、上海に来てゐるのだから少し会はう、雑技でも見ないかと云ふのである。此れまた唐突なとは思つたが、特に用も無いので行く事にした。

 

  二

 

 馬戯場と云ふ駅で鉄道を降りて、余は老師を探した。老師は改札の直ぐ近くにゐた。二三挨拶をする。一年振りに会つた老師は、大して変わつてゐなかつた。只、白い髯が随分と増えた。

 馬戯場の外観は、丁度後楽園にある球場にそつくりだつた。白く渺茫たる石級を上りつゝ、老師と物語する。馬戯場の入り口附近には物売りが数多気炎を揚げて東西を鬻いでゐる。声を上げて栞や草草の雑貨を売る者がゐる。光る腕輪を余の前でちらつかせる男がゐる。肌が浅黒く恰幅の好い男が、熊猫の被り物を被つて何やらきらきら光る棒を売つてゐる。熊猫の帽子は、人を選ぶ物だと思つた。

じろじろと物売りを凝視してゐると、場内から服務員が出て来た。だうやら可なり業腹の様子である。何でも、開演が間も無いから急いで入つてくれとの事である。服務員が斯くも怒鳴つて来る辺り、矢張り日本では無いのだと思ふ。

舞台を扇形に囲繞する様に客席は有つた。場内は可なり暗い。コロツセウムを少し想起した。

場内はざわざわと喧聒である。余等は舞台に向かつて右側の一角に坐した。舞台からは近い。間も無く三弦の音が響いた。忽ち客席は静かになつた。

 舞台上の男に照明が当たる。男は危座して、白い壺を抱えてゐる。すると突然、男の前に白い衣装の女が現れた。否、現れたのではない。彼女はずつと舞台上にゐたのであるが、照明に因つて影中に全く隠匿されてゐたのである。彼女は何やら極めて小さい足場の上で身体をくねらせてゐる。亦逆立ちをしてゐる。余は瞠目して、さかしまに立つ彼女の足先を凝視した。

 ――足先が小刻みに震えてゐる。涼しげな顔で離芸を為す彼女の身体には、観衆にをさをさ分からない處で、切れかけの綿糸のやうに張り詰めた緊張が走つてゐる。崩壊と秩序との臨界が、辛うじて絶妙な調和を保つてゐるのだ。

 等と云つてみたかつた。しかし何だ、彼女の足先は全く震えてゐないでは無いか。脚が緊緊して手が張張すると云ふ事が絶えて見て取れぬのである。長吁を洩らすより他無かつた。全く家常の茶飯に一般なのである。彼等の為には、逆立ちの一つなど、余等が褥に横たわつて書を紐解くよりも容易なのであらう。此の時余は、彼らに対して幾許かの既視感を覚えた。以前雑技の類を見たと云ふ訳では無い。一寸前に、此れに似た何かを見た様な気がするのである。然し、だうにも分からなかつた。

 続いて出て来たのは自転車に乗つた少女達である。自転車の椅子に跳び乗つてみたり、ハンドルに跳び乗つてみたり、他の自転車に跳び乗つてみたり、矢張り逆立ちをしたりなどする。躊躇いが無い。研鑚を以て家常と為すとは、将に此の事である。

 自転車の少女達が引いた後、船が靄の中から現れた。中には漁夫風の青年と、其れから若い女がゐる。男は丸太を転がして其の上に長方形の板を載せ、自らは板の上に跳び乗つた。少し許り平衡を崩してみせたのは戯れであらう。夫れ均衡は、保つより破点を復する方が遥かに難しい物である。

 男が平衡を取り戻すや否や、女は徐に白い椀を取り出した。男は其れを板の端に載せ、自分は反対側の端に立つた。無論板の下には丸太が絶えず転がつてゐる。少し均衡を保つてゐた後、男は突然シイソオの要領でエイヤツと許りに椀を跳ね上げて、頭の上に載せて了つたでは無いか。

 板の上にゐるだけでも険呑なのに、見上げたものだと感心してゐる内に、二つ三つ次次に重なつて徃く。其の内二枚一度に載せ、三枚になり、たうたう四枚同時に載せて了つた。男の頭上に重なる椀の山は最早顔の長を超えてゐる。椀を跳ね上げる時、彼の意識は森羅を排して只眼前の白椀にのみ注がれてゐるやうである。其れでゐて、矢張り随分と容易さうにやつてのける。彼の様に、研鑚を以て志を用いて分けざる事ができたならば、斯かる神業さへも自然に出来て了ふのでは無いだらうか。

 斯く考えてゐた時、余は既視感の正体を突き止めた。

 鯉である。雑技団の者は、猶豫園の鯉が池水を泳ぐ様に自然に曲芸を為す。其處に滲血の修練が有らうが無からうが、どちらも自然の境地に身を置いてゐる点で全く一般である。更に云ふなら、雑技と鯉との違いは、観る者――云ふなれば万物を万物と見る余等凡人が、其の働きを賞賛するか否かにしか無い。然し、万物を一と見れば、どちらも同様に尊い自然の営みである。

 何も余は、雑技に辟易した訳でも無く、彼等を貶めたい訳でも無い。無論非道く興感した。然し、其れと鯉との間にに優劣は無い。有為を以て自然に達する雑技が尊いならば、無為を以て自然に達する鯉の遊弋も同様に尊いものではないだらうか。

 此處迄考えると、余は同じ様に雑技を見る事が出来なくなつた。先程から、老師は余の隣で瞠目して手を打ち続けてゐる。感ずるのは大いに分かるが、豫園の鯉に対しても同様に瞠目して手を打つかと云へば、彼のみならず万に一人も是とは云はないだらう。寧ろ、さうされては喧しくて堪らぬ。普通、鯉と雑技とは繋がらぬ物である。然し、だう云ふ訳か余の中で此の両者が繋がつて了つたものだから、だうも余は池の鯉を見る様にしか雑技を見られなくなつて了つたのである。

 

 雑技が果てた後、余等は馬戯場を出た。すつかり夜も闌である。入口には不相変物売り達がゐる。熊猫の帽子の壮士も矢張りゐる。大方小説では、夜の闇は黒洞洞たるものと昔から相場が決まつてゐる。然し上海の夜は赤い。提灯も大楼の電飾も皆赤である。老師の白い髯も赤く染まつてゐる。

 ふと、鯉を思つた。我乍ら少しやり過ぎだと思つた。くさみが出た。

 

 

 追記:「雪想衣裳花想客」は、李白の「清平調詞 一」の起句からの引用であると思われます(然し、原作は句末に上平声冬韻の「容」を置いています)。従って、件の二句が何らかの作品の一部である、或いは装飾の為に特別に作られた対句である可能性は低そうです。

 

 

[1] 屋根の頂上の部分を為す瓦。

老人

 随分と昔の事である。長江の畔、凡そ漢陽の辺りに一軒の料亭があつた。料亭と云つたが、大した物では無い。民家の広い一間を、其れと為してゐたのみである。客は、多からずして絶えずと云つた處である。

 店主は辛と云つた。猛禽類のやうな白眉に、霜のやうな双鬢の豊かな老人である。辛は優しい男であつた。其れは、凡そ商売人には不要な性質の優しさである。客から値切られたら直ぐにまけて了ひ、注文に無くともつい〳〵団子の二つ三つ許り出して了ふ。その人柄を好んで来る客も割合存在してゐたが、矢張り利は生まれぬ。辛の店が、長らく尋常の小食堂に甘んじてゐたのも無理は無かつた。

 或る春の日の事である。長江は宵の口、天際に呑まれる小舟も臙脂色に染まつてゐる。辛の料亭は二三の燭台の明かりの中で、農夫が四人許りで筵を囲繞してゐるのみであつた。すると、其處に一人の老人が這入つて来た。背は低く、身なりは極めて粗末で、枯葉のやうなぼろ一枚しか着てゐない。雲長のやうな長い顎鬚が臍迄伸び、さゝくれ立つた檜の杖を突いてゐる。農夫達は気にも掛けぬ。見知らぬ老人等何處吹く風と云つた体で酒を呑んでゐる。

 老人は榻に掛けた後、辛に「金は無いが、酒が欲しい」と云つた。普段なら有り得ないが、辛は、老人の要求通り酒を出してやらうと思つた。別段彼が老人に対して憐憫の情を催したからでは無い。寧ろ共感したからである。辛には弟子も後継もゐない。彼は盛隆に欠く自分の店がさう長く無い、云はば遠からざる自分の死と共に紅炉上の雪のやうに無くなる事を知つてゐた。彼の優しさは、天賦の性分であると同時に「然もあらばあれ、孤翁の小亭」と云ふ一種の諦念による物でもあつた。そして今辛が無料で酒を出したのは、畢竟黎老に固有の諦念を、眼前に坐す粗衣の貧翁に見出したからであつた。

 酒が来た。老人は実に美味そうに酒を呑んだ。猶ほ人生の最後の晩酌のやうであつた。辛は、例の団子を出してゐた。老人は二時間許り呑んだ後店を出た。暫くして農夫達も店を出た。辛は店仕舞いをし乍ら、盛大なはなむけの後片付けをするやうな、優しげな充足を感じた。

 ところが、次の日の宵の口にも亦老人は現れた。枯葉のやうなぼろを着て、そして昨日同様に「金は無いが、酒が欲しい」と云つた。辛は、同じやうに酒と小吃を出した。だうせ彼の後生は長く無い、直に来なくなるだらう。辛はさう信じてゐた。

 果たして老人は来続けた。煙花三月に横斜を見て、炎波七月に蟬吟を聞いても猶ほ来続けた。始めはいぶかつてゐたが、辛は最早詮索に倦んでゐた。毎日、宵の口に現れては酒を呑んで徃く老人がゐる。其處に機微の邃みが有るとは、到底思はれなかつた。

 たう〳〵秋になつた。長江の水は瑩朗としてゐる。緩く波立つ流れの中に、いやに明るい満月がぐにや〳〵してゐる。其の日も矢張り老人は来た。辛は、同じやうに酒を出した。老人はとても美味さうに呑んだ。

二時間許り経つた頃である。何時もは帰る筈の老人が、何やら壁を見つめてぼうつとしてゐる。辛がだうしたと訊ねた處、老人はかう云つた。

 「今日で丁度半年ぢや。毎日〳〵たゞで美味い酒を呑ませて貰つたのぢやから、ちと礼でもしやう。此處の壁、失礼するぞよ。」

さう云つて、何處に隠してゐたのか、徐に筆と密陀僧のやうな顔料とを持ち出して、壁に絵を描き始めた。この翁は絵師だつたのかと獨り合点しつゝ、辛は老人が絵を描くのを見てゐた。忽ち鶴の絵が出来た。中中の出来である。今にも動き出しさうだ。辛の感心をよそに、老人は飄然として去つて徃つた。

 暫くして、四人の農夫がやつて来た。壁には真新しい鶴の絵が有る。だうしたのだと問ふので、辛は何時も呑みに来る老人が書いたのだと云つた。農夫達は少し床しげであつたが、然程気にする訳でも無く、直ぐに筵上の酔客となつた。酔後方に楽を知る、四人は忽ち哄然として高らかに歌い始めた。するとだう云ふ訳か、壁面の鶴が歌に合わせて舞い始めたのである。農夫達は、始めは呑み過ぎたかと思つた。然し、隣席の壮夫は瞠目して已まず、厨房の主人は開口して動かない。だうやら本当に絵に描いた鶴が舞つてゐるらしい。四人は一層高興して痛飲し、仕舞には皆泥酔して卒倒して了うと云ふ有様であつた。

 歌に合わせて踊る鶴の絵が有ると云ふ噂は、立處に海内八荒に至る迄駆け廻り、辛の店は嘗て無い程に繁盛した。何人手伝いを雇つても忙しさは絶えない。辛は、瞬く間に泰山にも勝る富を築き上げた。

 其の年の冬である。晩来の冷雨は既に止んだものゝ、尚厚雲は天を覆ひ、頭を強く押してゐる。高樹は古葉を敷き、朔風は枯蓬を転ばしてゐる。店支度をしてゐた辛の處に、例の老人がやつて来た。彼は鶴の絵を描いて以来、一度も店には来てゐなかつた。

 「おゝ、お久しぶりですナア。あなたの鶴の絵のお陰で、内は大繁盛です。」

 「其れは良かつた。酒代のかはりぢや。」

「いやまう本当に忙しくつて、毎日猫の手も借りたい位です。」

 「鶴の羽なら借りてをるでは無いか。」

 「これは、一本取られましたな、はゝゝゝ。」

老人は、まう鶴の絵は無くとも好からうとて、ぴいと指笛を吹いた。するとだうだらう、壁面の鶴がむく〳〵と動き出して、壁から出て来たでは無いか。辛は亦あんぐりと大口を開けて呆然としてゐたが、老人は恬とした儘、其の鶴に乗つて雲外の彼方に飛んで徃つて了つた。

 辛は後に料亭を改修して、仙人の功を記念する為に高楼を建てた。当時仙人の描いた鶴が、顔料の加減から黄味を帯びてゐたので、其の高楼を称して黄鶴楼と呼ぶ事にした。

 其の後、黄鶴に跨つた仙人を見た物はたれもゐない。