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どらや記

どらやきはつぶあんが吉。

食堂

 

 食堂の戸は横滑りである。勢い好く開けた處で、男臭がプンとする訳でも無い。食堂は略長方形の渺茫(びようぼう)たる大部屋で、戸は丁度右長辺の半ばに位置してゐる。余は、長方形の長辺の残りを大股で歩いてゐる。やけに運足が自由である。パンツが無いのだから仕方あるまい。只、服は着てゐるものだから、石造りのダヰデでは無い。人類は進歩する生物である。

 広い食堂には、寮毎に決められた五つ許りの長机が長辺に平行に列在してをり、其の両側に丸椅子が許多(きよた)に並んでゐる。此う云ふと何だか、ロオリングの何とかポタ〳〵に出て来る西洋の大学の食堂を連想するが、反して此處は極めて東洋的である。長方形の正面の短辺には、やけに大きい五観文が掲示されてゐる。此んな物を掲げてゐるものだから、下手に道心を催して風呂場で熱湯修業を行ふ者が現れるのである。全く美文では腹は膨れぬ。実に好い迷惑である。

 余は山積せらるゝ盆を取り、食物を貰ふ。食堂の者はやけに愛想好く余に笑ひかけて来るが、余は其れが笑ふ為に笑ふ第一義的の物では無く、寧ろ第二義的の、云はば商業的の物である事を知つてゐる。と云ふのも、彼らは、往来で遭つた時に余が食堂の愛想を持ち出すと、翻雲覆(ほんうんふく)雨(う)の体でツンとつれなくあしらつて来るからである。其んな訳で、彼等の第二義的の愛想に対しては、余も第二義的の挨拶を返すのである。余は、此れを二十一世紀の第二義的皮肉と呼んでゐる。

 室の短辺と長机との間には、長机に対して垂直に長い机が有り、味噌汁の這入つた大きな缶と白飯の大きな釜とが置かれてゐる。余は汁の椀を盆に載せ、釜の處へ向かふ。釜の隣には銀の深鉢が有つて、裡(うち)には大きな杓子が水に浸されてゐる。だう云ふ訳か、どの寮生も、杓子を取る度毎に深鉢の縁に其れをチインと当てゝから白飯を装(よそ)ふのである。従つて食堂は、のべつチインが響く為に、極めて仏教的の趣を帯びてゐる。五観文の下で素衣の坊主が神妙な顔附きでチインをやる様なんぞは、仏教的以外の何物でも無い。何とかポタ〳〵の魔法学校なんぞ以ての外である。余は無思考にチインをしてから、仕舞つたと思つた。

 乾寮の机へ徃くと、赤田君が坐つて飯を食つてゐた。余は極力赤田君を見ずに、然し赤田君の正面に坐した。下手に距離を置くのも水臭いからである。

 「オヤ、君も食事か。」赤田君は箸を止め、さも今気附いた様な顔をしてゐる。

 「そら風呂に這入りや、飯も食ひたく為るでせう。」余は、適当にあしらつた。先程、風呂で如何にも没分(ぼつぶん)漢(かん)な挨拶で赤田君を追い出した事が気に掛かつてゐたからである。またプラトオン云々(うんぬん)なんぞと云はれては、とても敵わぬ。余は只管味噌汁を手に取つて睨(にら)み続けてゐた。

 「何だい、味噌汁に自分の顔でも映つてゐるのかい。のべつ幕無し汁と睨み合いをしてゐる様だが。」

 「何でもありません、先生。然し、今日の汁は美味いですナア。」

看た處、赤田君との問答は本当に湯(ゆ)靄(あい)と共に消散した様である。風呂とは、実に方便な物である。余は空に為つた味噌汁椀を盆へ置いた。

 「處で君、先程の話だが真(ま)逆(さか)忘れてはゐないだらうね。」

消散してゐなかつた様である。余は亦た味噌汁椀を持ち上げた。幸い豆腐の欠片が残つてゐる。豆腐一片値千金。余は椀を睨み乍ら豆腐を咀嚼(そしゃく)してゐた。

 すると、赤田君が短兵急(たんぺいきゅう)にオヤと云つた。彼の視線の先には、先程の余の如く長方形の長辺を闊歩(かつぽ)する男がゐた。男――当然男以外には有り得ないのであるが――は、紺の小倉(こくら)の肩を洗い髪で濡らし、丸い銀縁の眼鏡を掛けてゐる。小倉の袖から見える腕は十人並で、大して肉附きが好い訳では無い。只姿勢は妙に好く、其の右手(めて)には万年筆を握つてゐる。赤田君はまう一度オヤと云つた。

 「オヤ、井瀬君では無いか。」

 「慥(たし)かに井瀬君ですな。」余は安堵した。彼は、云ふなれば茶みたいな男である。酒のやうな面白みは無い。面白くは無いが、ゐればゐるなりに有用である。今余が赤田君のプラトオンから逃れるには、知恵熱的の彼は丁度好いのである。とは云へ、余は別段彼を好んでゐる訳では無かつた。

 「全く、不相変彼は書生気質(かたぎ)を拗(こじ)らせてゐるね。現代において、小倉袴なんぞ一体誰が好んで着ると云ふのだね。」

 「其れに彼の万年筆ですよ。筆を箸にしやうつてのぢや有るまいし。」赤田君が井瀬君の人物評を始めたので、余は適当に合わせる事にした。

 「全くだ、あれで『刀剣の鋭なるは、文筆の妙なるに如かず』なんぞ云つて、凝りもせず漢字を弄(いじく)り回してゐるのだから、実に怪(け)しからぬ。」

 「先日なんぞは、顔を見るなり『君、蓋(けだ)し賢を賢として色に代ふるの精神は書生に当然の心意気だね。君の如く、さう日毎女性と交はり歩くものぢや無い。風雅の道に逍遥(ぶらつ)かふでは無いか。』とか云つて、突然李白をうち誦(ずん)じ乍(なが)ら去つて徃(い)つたのです。今時李白を歌い乍ら歩く者なんぞ中国にもをりますまい。」

斯く云ふ間に井瀬君は茶碗と汁とを盆に載せて、白飯の釜へ向かつてゐる。余はぼんやり然と彼を見てゐる。井瀬君は、殊更チインを確(しつか)りやるのである。彼の脳海に、古今漢詩の風雅が浮かんでゐる時は一度チインをやる。東洋思想の複雑が漂つてゐる時は二度チインをやる。余は、矢張り別段井瀬君を好いてゐる訳では無いが、其の法則を発見したのは余が初めてであつた。

 果たして井瀬君は哲学のチインをした。そして玉のやうな露の付いた杓子を軽く振つてゐる。だうせ亦、孔子がだうだとか蚊とか云つて来るのであらう。

 「オヤ、君か、其れに赤田さんも。此れは楽しげな夕餉ですな。」

 「井瀬君、気分はだうだい。差し詰め、孔子がだうだとか、僕は顔回だとか考えてゐたのだらう。」余は、彼が坐すなり云つた。井瀬君は眼鏡を右手の小指で押し上げて、にや〳〵してゐる。袖口からは万年筆が伸びてゐる。

 「否、今日はね、悲喜劇と斉物論(せいぶつろん)とについて考えてゐたのです。」井瀬君は、斉物論と云ふ處に妙に力を入れてゆつくり云つた。

 「何、斉物論かい。其れは随分面白さうぢや無いか、ねえ先生。」

 「さうだな、ちと聴かせて呉れ玉へ。」赤田君は些か前傾である。

 「何、大した事は御座いません。」井瀬君は咳払ひをした。

 「さう勿体ぶらずに早く云へよ。」余も前傾である。

 「漱石虞美人草にですな、悲喜劇の議論が有るでせう。」

 「ここでは喜劇ばかり流行る、と云ふあれの事か。」赤田君はだうやら漱石にも精通してゐる様である。

 「然様(さやう)、漱石は世上の草草の問題に関して、生か死かの問題が悲劇で、後は残らず皆喜劇だと云つてゐるでせう。」

 「さういや、さうだつた気もする。」余は曖昧模糊としてゐる。

 「其れで、悲劇は日頃ふざけたる者が襟を正すから喜劇なんぞよりも偉大だと、此うだつたね。」赤田君が苑転と述べる。

 「然うです、全く其の通りです。然しですな、斉物論を以て此の議論を見ると、だうも此うは云へませぬかな。」

 「だう云ふのだい。」余は更に前傾である。

 「夫れ何が偉大だとか蚊とか云つた處で、此の偉大かだうかと云ふのは、人類の浅はかな智慧で仕分けた物でせう。悲劇であらうが喜劇であらうが、謂はばどちらも演劇には変わり無いのです。変化と云ふ自然の道理に身を任せてゐれば、悲しからうが楽しからうが、だうだつて好いでせう。畢竟人生は演劇なのです。仮令友人や自分が、舞台上で或いは米を食はうが、或いは死なうが、我々は其れを桟敷(さじき)でぼんやり然と見てをれば好いのです。」

 「其れは随分と厭世的(えんせいてき)だナア、正しく浪漫的(ろまんちつく)アイロニイだ。はゝゝゝ。」赤田君は元の姿勢に戻つてゐた。

 「だう云ふ事です。井瀬君の理論では、舞台上と桟敷裡(り)とに、二人の自己がゐる事になりますが。」余は未だ前傾である。少し頭痛がする。

 「蓋し、我々は生活する中で、常に自分を客観的に見る必要が有るでせう。其の意味で、舞台上の自己の他に、桟敷裡の自己が存在すると云ふ考えは、全く撞着(どうちやく)しては無からうと思うのです。」

井瀬君は、大して下がつてもゐない眼鏡を亦小指で押し上げた。

 「畢竟、桟敷裡の自己は観念的なのだね。」赤田君は何時の間にか食事を終へて茶を啜(すす)つてゐる。

 「然うです、そして僕は常に桟敷裡にゐます。」井瀬君は恬(てん)としてゐる。

 「ぢやあ、目の前にゐる井瀬君は観念的なのかね。」余は可なり混乱してゐる。

 「無論然んな事は無い。此處にゐる井瀬は実体の井瀬だ。然し本当の井瀬は少し上で此の体を見てゐるのだ。」井瀬君は亦眼鏡を押し上げた。

少し上とは何だ、訳が分からぬ。余は益益頭が痛くなつた。井瀬君の浪漫的アイロニイは手に負へぬ。此うなれば最早、赤田君のプラトオンの方が余程ましである。

 余は、「時に先生、プラトオンはだう云つてゐるのです。」と云つてみたものゝ、赤田君は已に目の前から姿を消してゐた。オヤと思つて見回した處、長方形の長辺にゐる。彼は此方を見乍ら、且つ走り且つ会釈して出口へ向かつてゐた。余は惘(まう)然(ぜん)と彼を見送つた。

 溜息を洩らし乍ら膳へ向き直ると、今度は井瀬君がゐない。然し膳は残つてゐる。彼は白飯の代わりを装はんとしてゐた。今度は漢詩のチインである。余は嗚呼(あゝ)と口の中で云つた。

 そして井瀬君は、席に坐すなり酒に酔つたやうに苑転と語り始めた。

「時は頃襄王、泪(べき)羅(ら)の水に立ちし屈原、其の意万丈、才覚常ならず……」

「好い加減にしろ。」

余は熱い緑茶の椀を顔面向けて投付けた。