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どらや記

どらやきはつぶあんが吉。

『乾文學』八月特別號公開!

ヘンなはなし

いま僕が生活している和敬塾という寮で『乾文學』という文芸誌を時々作っているのですが、このたび最新號の八月特別號を公開しました。

今回は「和敬塾の再定義」という特集を組んで、いま和敬塾という共同体が抱えている諸問題を受けて僕たちはどうするべきなのか、ということを議論してみました。

そもそも和敬塾は「共同生活を通した人間形成」を理念として掲げており、その理念のもといろんな行事を企画したりしています。しかし最近はいろいろと問題が出て来ています。簡単にいうと、これまでなら「ふむ、元気でよろしい」みたいな感じで見過ごされて来たものがだんだん許されなくなってきて、いろんな方面から厳しい目が当てられているというわけです。

そういった現状をうけて、運営側や一部の学生があれこれ制度や枠組みを変えようと試みていますが、「和敬塾の再定義」も大体そのようなものの1つだと思ってもらって構いません。

今回の戦略は、端的にいうと理念に注目すること、いやむしろ理念を読み替えることでした。つまり、いま和敬塾にある諸制度は確かに理念に則っているかもしれませんが、当然ながら理念から必然的に導かれたものではないわけです。そこで、和敬塾の所有する物的、人的資源を一度俯瞰した上で、「共同生活を通した人間形成」なる理念を達成するために有効な手段を提示し、いまの諸制度を相対化すること――もっと言うと「そういう理念を掲げてるなら、(いまあるようなものじゃなくて)こういう風にやったほうがいんじゃない?」と言って見せること――これこそが今回の戦略であり、特集の出発点となった考えでした。

『乾文學』で展開されている和敬塾の議論は総じてかなりハイコンテクスト(≒身内ネタが多い)で、当事者でないとピンとこないことがあるかもしれませんが、それでも僕は和敬塾関係者でない人に読んでもらいたいです。なぜなら、だいたい誰かしら似たような事象を抱えているからです。というのも、普通ハイコンテクストな議論を理解するためには何かしら自分の身の周りの近似した事柄と関連させるものですが、そう考えた時「そこそこ流動性があって、なおかつちょっとした慣習みたいなものもある共同体」に属している人は結構多いのではないかと思います。(学校、サークル、会社など……)

ですから、和敬塾で問題とされているものを適宜自分の周囲のものに置き換えることで、一連の議論は自身の問題として読み替えることが出来るようになるわけです。『乾文學』における和敬塾の議論が適当に一般化したりせずに常に徹底してハイコンテクストであるのは、そこに理由があります。つまり、和敬塾に関していえば、徹底してハイコンテクストな議論を展開することで逆説的に一般性を獲得するのではないか、という風に僕は考えています。

 

 そういうわけで、今回の八月特別號「和敬塾の再定義」は、ぜひとも多くの方に読んでもらいたいので、もし興味があれば、こちらからPDF版をダウンロードしてください。

また、「和敬塾の再定義」の趣旨についてもう少し詳しく知りたい方は以下に序文を転載しておきますので、ちょっと長いですけど、ぜひそちらもご覧ください。

 

***

 

 卒業生特集を組んだ三月から今までの間に、和敬塾の状況は大きく変化した。数年前、新入生に大きな声を出させることをやめた乾寮を猛烈に批判した各寮が、今年度は次々と大声での挨拶や自己紹介を廃止して、今春の和敬塾は随分と静かになった。それでも入塾生の数は年々過去最低を更新しているし、新入生を痛め付けて「脱落しなかったやつだけが俺たちの仲間」みたいな元気で無茶な考え方もできなくなってきた。新入生を脅かそうとして、上級生が俄かにスーツを着散らかしたり、髪を金髪に染め出したりするという滑稽な情景も殆ど見られなくなった。こうして一部の人の言葉を使えば「ゆるくなった」和敬塾の諸制度は、かつてない速度で根底から瓦解しつつある。誰が何と言おうと和敬塾は変わってしまった。和敬塾の「伝統」は、そして「和敬右翼」は遠からず滅びることになるだろう。

 和敬右翼だけではない。「伝統」という制度から距離を置いてこれを批判し、時に冷ややかな視線を向けることによって、和敬塾内で(インテリ風としての)立場を確保して来た「和敬左翼」たちもまた、「伝統」の急速な瓦解により、意味を失いかけている。「和敬の『伝統』は虚構だ」という批判は、もはやむなしさしか与えてくれない。無論、これらの思想が全く消滅するとは思わないし、「滅びる」という言葉の誇張であることもまた当然である。しかし、「伝統」を巡るある種の二項対立は成立しなくなってしまったのだ。以後、行き詰まりを見せている「伝統」を無邪気に奉じたとしても、それは「伝統」の縮小版であり、「伝統」の陳腐な模倣にしかならない。(本来の「伝統」が好かったという意味では決してない)反対に、「伝統」に対してこれまでと同じような問題意識を持ち、同じような批判を続けたとしても、せいぜい「指示対象なき言説の連鎖」(*1)に終わるのが関の山である。

 では、来るべき「伝統」なき時代にあって、僕たちはどのように和敬塾生として生きていけばいいのだろうか。いや、そもそも和敬塾とはどのような場所なのか。いま、和敬塾は再定義されなければならない。

 僕は最近、漢詩人工知能の関係をテーマにものを考えて来た。その暫定的な成果は本號に論考として掲載してあるので詳細はそちらを参照してもらいたいが、人工知能の領域から再定義ということを考えると、少し興味深い点に気付くことが出来る。

 近年よく耳にするディープラーニングという技術は、入力されたデータの特徴を自ら発見出来る点で画期的だとされている。いわば、世界のどこに注目すればよいかを自ら判断出来るようになったということだ。これに対して人間がしてやることは、人工知能が抽出した抽象的な特徴の集積=概念に対して「それはねこである」、「それはどらやきである」と名付けてやることであり、これを定義付けという。

 この定義付けの過程を念頭に置くと、再定義とはすなわち抽出する特徴を変更することだと言うことが出来る。換言すれば、目の前に広がる世界に関して、これまでとは別の部分に注目しておきながら、一方でこれまでと同じように「これが○○である」と言ってのけることにほかならない。つまり、これまで和敬塾に関して注目されてきた要素(東京、男子寮、体育祭、厳しい上下関係などなど)とは全く別の要素に注目――それは往々にして発見を伴うだろう――して、特徴として取り出しておきながら、しかも至って恬然たるさまで「これが和敬塾だ」と言い切ること。これが和敬塾の再定義であり、今回の特集の概要である。

 さて、僕たちはこのようにして少し変わった角度から再定義ということそのものを定義してみたのであるが、それでは、これを和敬塾で行うということはどういうことを意味するのだろうか。これはつまり、「和敬塾の再定義」という議論が、これまで和敬塾で繰り返されて来た「新歓」や体育祭、もっと言えばいわゆる「伝統」に関する議論の数々に対してどのような位置づけを持つのか、と言い換えることが出来る。そして、それを明らかにするためには、僕たちはあらかじめ少し迂回しなければならない。

 

 かつて「和敬塾の『伝統』は三年で形成される」と言った塾生がいたそうだ。僕はその人のことを知らないし、発言の裏も取れない。だけど僕は、それはまったくその通りだと思うから、これを自分なりに解釈して話を進めていこうと思う。

 和敬塾(/各寮)の「伝統」が三年で形成されるということは、新潮流が三年で自明化することだと言い換えることができる。これはどういうことかというと、和敬塾(/各寮――以後略)で何か新しいことを始めた場合、当初は塾生全てが当事者であり、言わば「改革者」である。しかし次の年には四年生が卒塾し、新入生が入塾してくる。そもそも新入生にとっては、二十年の継続がある事柄であろうが昨年始まった試みであろうが、(先人が取り立てて問題にしない限り)新たな共同体に入るにあたって与えられた環境という点で同じものでしかない。こうしてある新潮流が三年の継続を果たした時、和敬塾内は、それをいわば環境として自明化する塾生がおよそ四分の三を占めることになる。(個人がそれを肯定するか否かは別問題である)環境に生きる者が環境の創造者を上回る。かくして「改革」は「伝統」となるのである(*2)。またもう一年経てば「伝統」がますます強固なものとなることは、もはや言うまでもない。

 和敬塾のこの一連の流れは一見とても流動的だが、その実さほどさらさらしておらず、たまにじれったいまでの停滞性をみせたりもする。と言うのはつまり、和敬塾は構造的条件として塾生が絶えず入れ替わるものであるけれども、どういうわけか時折和敬塾流動性が機能しなくなることがあるのだ。これは、経済学者の安冨歩が言うように、社会=共同体の構成要素が人間そのものではなく、各人間をつなぐコミュニケーションであることに起因している(*3)。つまり、「酒! 筋トレ! 合コン!」と耳にするが早いか身体が反応してしまうような(素質を持った)学生が毎年少なからず入って来るようでは、確かに人間は流動的に入れ替わっているものの、そこで交わされるコミュニケーションのパターンは全く変わることがない。こうして個人の流動的な交換が行われるにもかかわらず、共同体が流動性を失っていくこと。ここでは、これを流動性の固体化」と呼ぼう。昨今のように、「伝統」が伝統そのものであるかのように錯覚されていってしまった仕組みはここにあったと言っていい。

 和敬塾の構成要素としてのコミュニケーションがひどく固体化してしまったために、その流動性が異様に長い期間に渡って機能不全を起こしてしまったのが、「伝統」をめぐる和敬塾の諸問題の原理的な要因であった。そうであるならば、いまここにおいて塾生の意識を変えようと制度をあれこれいじってみた所であまり意味はない。和敬塾を変えるには、むしろ、これまで主流であった人々とは全く異なるコミュニケーションや発想のパターンを持つ人を大量に取り込むしかない。そうやってはじめて制度改革が意味をなすのだ。

 こうして僕たちは、共同体の条件的な流動性と、それが固体化=機能不全を起こすことによる「伝統」の定着という現象を確認したわけだが、すでに述べたように「伝統」もまた可変的であり、まさに今瓦解しつつある(ゆえにこの流動性は、流動と固体化を交互に繰返す半固体的流動性と換言してもよい)。では、逆に和敬塾において不変である要素は存在するのだろうか。これを考える時に最も鍵になるのは、塾の理念である「共同生活を通した人間形成」である。

 この理念はどういうことかというと、残念ながら僕にもよく分からない。しかし、僕はこのよく分からないという点においてこの理念の重要性と普遍性を強調する。なぜなら、よく分からないことによってそこに無限に解釈の可能性が生まれるからだ。

 当然ながら、世代も故郷も考え方も異なる全ての大学生に普遍の目標なんて存在するはずがない。このよく分からない理念が真に理念たり得る所以は、まさに塾生それぞれが「共同生活」を通して自由に「人間形成」を考え、解釈し、実行することを受け容れるその寛容性にある。換言すれば、和敬塾生は(時に意識しない形で)「人間形成」の名の下に教養講座や学問を行い、酒を飲み、激しく暴れ、セミナーや講演会に参加し、騎馬戦で闘い、ナンパや合コンで浮付き、尚且つ「文學し」て来たのである。この点は決して変わることがない。和敬塾の中心概念である「和敬」も同様に分かりづらい上に重要であるけれども、僕はこの解釈自在性と文化の全体性の担保という二点から「共同生活を通した人間形成」という理念が一番重要であり、最も意識して奉じて行くべきだと考える。「和敬塾の理念はよく分からないから無視していい」と無邪気に叫ぶ者は、理念を「無視して」行ったはずの行為ですらその「良く分からない理念」の内に併呑されてしまうという厳然たる事実を前に慄然としなければならない。

 曖昧な理念を奉じて随意に思考解釈、創意工夫して塾生と相交わり、時に「伝統」を形成しようと試みつつ、それが決して恒久の確立をみないこの半固体的流動性――言い換えれば、理念と塾生(同士のコミュニケーション)の衝突による、「伝統」という制度の自律的生成――これこそが和敬塾の文化的特性にほかならない。

 

 ここで最も重要なのは、理念と塾生の衝突という基盤の上に成立する「伝統」が本質的に可変的であると同時に、常に複数であるということだ。厳密に言うと、僕たちが「伝統」と呼んでいるものは、流動的な和敬塾の中で、何となく伝統であるかのように見なされたもろもろの要素の集合をぼんやりと包摂する概念にほかならない。それは、和敬塾の伝統とはなにか、という問いに対して決して統一的な解答が得られないことが如実に物語っている。

 ちかごろ和敬塾では、閉塞的な現状を受けて「新しい伝統をつくろう」だとか「和敬塾は生まれ変わるのだ」だとか、そう言ったいさましい言葉が安易に叫ばれることがしばしばある。しかし、こういう時、「伝統」とはそもそもどういうものなのか――何が「伝統」を構成するのかではなく――ということが思考の対象となることはまずなく、多くの場合「新しい伝統をつくる」ための方法自体がきわめて曖昧なままに議論が進められてしまっている(これは、少なからず僕自身への自戒をも兼ねているのだが……)。

 もう一度言うが、「伝統」とは複数の「伝統的」要素の総称である。してみれば、「新しい伝統」をつくることとは、とりもなおさず「伝統」という語のもとに包摂されて来た各要素の一つ一つを批判的に検証し、それを全く別の要素に交換してやることにほかならない。(そして、その交換の契機となるのが、ほかでもなく不定期に作用する半固体的流動性なのであった)

 ここで僕たちは、「新しい伝統」をつくることが、さきほど確認した再定義という行為と全く同じ過程を要請していることに気付くことになるだろう。つまり、「新しい伝統」を作ることとは、単に「伝統」の再定義の言いかえでしかなかったのだ。では、和敬塾の再定義と「伝統」の再定義とはどのような関係にあるのだろうか。

 ここでは、次頁の図にある通り、「伝統」もまた和敬塾を構成する特徴的な要素の一にすぎないことを確認すれば事足りるだろう。すなわち、「伝統」の再定義の先に和敬塾の再定義がある。「和敬塾の再定義」を標榜する僕たちの議論と従来の和敬塾での議論との関係は、大体このように把握してもらえればよい。

 これまで見て来たように、和敬塾の再定義とはすなわち、和敬塾にある無数の要素を包摂する範囲(の枠)を変えながら、もう一度「これが和敬塾だ」と言うことであり、「伝統」の再定義もまた、その範囲の中で行われるものにほかならない。今回の特集の目標は、和敬塾で見過ごされて来た要素の発見と抽出を通して、同様に余り注目されていなかったり、そもそも発見されていなかったりした諸問題や矛盾を暴き出すこと、そしてそれらを議論の俎上に載せることである。今回特集で収録した諸論考や、ある種の思考実験とも言える小劇場設立計画の提案は、そのようなものとして読んでもらいたい(*4)。

 

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 序文で述べるべきことは主に以上の点に尽きるのだが、最後に和敬塾を再定義するためにもう一つ論点を加えておこう。

 さきほど「伝統」の再定義の先に和敬塾の再定義があると言ったが、これは必ずしも両者の明確な順序関係を意味しているわけではない。端的に言えば、和敬塾の再定義という問題が、「伝統」およびそれを構成する個々の要素に対してあれこれ議論するようなこととは全く異なる地平に存在しているというだけのことだ。ゆえに、今回の特集では「伝統」に関してはほとんど触れられていない。(序文でやたらと「伝統」に触れたのは、それゆえでもある)

 とはいえ、『乾文學』は今回新たに西寮の学生一名と北寮の学生一名を迎えることとなり、いうなれば乾寮内での小さな試みから徐々に和敬塾の「伝統」へとなりつつある。従って、僕たちは『乾文學』が「伝統」となることによる可能性を、換言すれば、『乾文學』はいかに「伝統」を再定義しうるかということを考えなければならない。

 何度か初代編集人の那須優一や僕が言ってきたように、『乾文學』とは「公園」のような言論空間である。公園とは、少年が友人同士で野球をしたり、男女が愛を深めたり、家族が憩いを求めたりする長閑な場所でありながら、同時に知らない人にボールを拾われたり、犬の 散歩仲間がふと出来てしまったりするような、唐突さと偶然性――無数の要素が有機的に連鎖した結果としての偶然性――に満ちたスリリングな空間でもある。『乾文學』は、どういう 形であれ、そこに足を踏み入れる全ての人にそうした唐突で偶然性に満ちた出会いや発見を もたらす場所であり得るし、そうでなければならない。

 大切な人と交わりながら、時に一人ふらりと立ち寄った時――その「時」はしばしば無自覚に訪れるだろう――突然思いがけない出会いや発見を果たしてしまうような空間。そこには闘技場の熱狂=一体感はないが、公園の分散=随意性がある。これまでの「伝統」的な諸要素は、ほぼ例外なく全ての塾生を強制的に巻き込み、闘技場型の熱狂によって人々をつなげていくことを目指す「大きな物語」として機能していた。そこでは、「物語」を称賛するか拒否するかによって塾生の中で大きく線引きがされており(個人の仲の良し悪しは必ずしも一致しないが)、自他共に「物語」への距離感を明確に意識しながら生活することが要請された。

 しかし『乾文學』によって再定義されうる「伝統」では、毛色の異なる個人を包摂する共同性は、闘技場型の熱狂とそれに対する絶えざる嫌悪=批判の二項対立にではなく、公園型の分散、そしてそこに由来する偶然の遭遇という、ゆるやかであり、時に唐突なつながりに求められることになるだろう。公園のようにゆるやかで曖昧でありながら、その内に戦慄的な瞬間を秘めた共同性を実現すること。そのために今必要なのは、塾生間での偶然の出会いや発見を生み出す場であり、従来の枠組みではつながれなかった人たち――例えば各寮に現状少しはいるであろう、「文學する」という言葉に反応してしまうような人びと――をネットワークする枠組みである。当然『乾文學』はその中心たり得るが、唯一絶対の手段ではない。『乾文學』を起点として様々な派生的要素(日華交流会の企画など)を散りばめることで、知らず知らずのうちに巻き込まれてしまうような、ゆるくてスリリングなネットワークが和敬塾内に張り巡らされること。これが『乾文學』が実現し得る公園的な「伝統」の可能性である。

 

ここで最も重要なことは、公園は管理人の一存によって一色に塗り固められるほど単純な場所ではないということだ。つまり僕の言葉は、それが公園で発せられたが故に、発せられたその瞬間忽ち公園に取り込まれ、そこを構成する一部分――いわば公園に飛び交う一球のボール――へと相対化されてしまわざるをえない。今回の特集および本號そのものは、出発点に僕の思想が色濃く反映されていることは言うまでもないが、その全貌を見れば、それがいかに偶然性に満ちた雑多な空間であるかに気付くことができるだろう。そこで僕たちが投げたボールがどこに向けられ、どういう軌道を描くのかは、編集側はもちろん想定しているが、読者のみなさんによって僕たちが全く予想しなかったことが発見され、思わぬ所へボールが届けられることも充分あり得るし、僕たちはむしろそういう事態を強く望んでいる。

 塾生及び関係者には、当然ながら和敬塾の今後と「伝統」とを考えながら本號を読んで、ボールをあちらこちらに投げたり受けたりしてもらいたいが、矢張り和敬塾関係者でない方にもぜひとも同じ様に読んでもらいたい。なぜなら、既にお気づきの方も多いと思うが、ある程度の流動性を孕む共同体における「伝統」(慣習と言い換えてもよい)の形成とその再定義いう問題は、何も和敬塾に限ったことではなく、むしろ和敬塾の例は、社会に少なからず存在するそうした諸問題の象徴的な縮図であるとも言えるからだ。

 

 それでは、ようこそ僕らの公園へ。これが、僕らの夢見た和敬塾だ。

 

平成二十八年七月三十一日 東京目白台にて

 

 

 

 

 

1:メディア史研究家で文芸批評家の大澤聡は『批評メディア論』(二〇一五年 岩波書店)の中で次のように述べている。

  

  「もはや問題は誰がその言辞を提出したのかではない。人物の実在/不在ですらない。小林(秀雄――引用者註)の立論を誤釈した人間が一定数存在する事態を前提とした言説が流通し、それによって現時点で『批評無用』が活発に論議されているという共通了解が立ち上がった、そして実際に膨大な発言を呼び込んだ、この構造こそが重要なのだ」(九十二頁)

  

  例えば、これを和敬塾に当てはめると次のようになる。つまり「現在和敬塾には『伝統』と呼ばれる諸制度があるが、これは和敬塾の歴史に比べると比較的最近に出来た慣習でしかなく、とても『伝統』と呼べるものではない」という時、人々はそこに強固な「伝統」の存在を前提として想起する。しかし、今やその「伝統」そのものが急速に解体されつつあるために「和敬塾には『伝統』があるが」ということを前提に出来なくなってきているのだ。前提となる対象が喪失されてもなお、それを指示対象として展開される批判的な言説が本質的に空虚であるのは当然で、(少なくとも今後の和敬塾に関しては)この手の議論を重ねても大して意味はない。これが「指示対象なき言説の連鎖」である。

 

2:「伝統」をより明確に理解するために、僕たちは以下のように考えることができる。つまり伝統的であることと、「伝統」があることとは全く別である。例えば、和敬塾が伝統的だとされるのは、それが六十年以上の継続を持つからであるが、和敬塾の「伝統」つまり伝統であるかのように思われているものは、本質的にはたった三年程度で形成されてしまう制度でしかない。してみれば、歴史は浅いが「伝統」はある、という事態が何の逆説性も持たずに成立するのだ。

 

3:安冨歩複雑さを生きる』(岩波書店 二〇〇六年)一〇二頁。

 

4:特徴的要素の抽出と、それを包摂すること=定義することという構図があまりピンと来ない人のために、これを少し具体的に考えてみよう。

  例えば、今「和敬塾」という言葉を聞いて人々が想起する要素は、だいたい騎馬戦、体育会系、飲酒などであり、これらが「和敬塾」という範囲の中に包摂された特徴的要素であると言える。一方で、避難訓練という要素はどうだろうか? これは、確かに和敬塾内に存在するものの、それによって和敬塾が特徴付けられることはない。避難訓練自体、毎年行われているのにもかかわらず、おそらく「和敬塾といえば?」と聞かれて避難訓練を特徴として挙げる人はまずいない。これこそが、特徴的ではないが、しかし和敬塾に存在する要素であり、図で言うところの「和敬塾」の範囲の外にあった「抽出されなかった」要素にほかならない。従って、和敬塾そのものと「和敬塾」という範囲は別物だと理解してもらいたい。

  また、ここで再定義、すなわち範囲の描き替えということを考えてみよう。例えば、もしも和敬塾避難訓練が、どういうわけか地域ぐるみのとてつもなく力のこもった一大イベントとなってしまい、「和敬塾といえば?」と聞かれた際に「いや、避難訓練でしょ!」という言説が多く生まれるようになってしまった場合、人々はそれが和敬塾の特徴だと見做さざるを得なくなる。つまり「和敬塾」という範囲に包摂されてしまうわけだ。こうしてこれまで「和敬塾」という範囲に包摂されていなかったもの、つまり人々が和敬塾の特徴的要素として注目してこなかったものが新たに特徴となってしまう時、和敬塾は再定義されるのだ。