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どらや記

どらやきはつぶあんが吉。

小説的、没現実的な空間

盧溝橋にいった。

いうまでもなく、ここは1937年7月7日に日中戦争(こっちでは抗日戦争という)の契機となった盧溝橋事件(こっちでは七・七事変という。日付を明記したのはそれゆえでもある)が起こった場所で、北京の西南の郊外にある。北西のやや外れに位置する北京大学からは結構遠くて、地下鉄を二度乗り換えて、最寄り駅からさらに三十分余り歩かないといけない(一応バスはある)。下の写真、上の丸が大学で、下の丸が盧溝橋の位置だ。

 

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わざわざここへ来たのは、別にさきの大戦について、あるいは平和について深く考えるためとかそういうまじめな理由ではない。むろん、そういう思いもないではないが、どっちかというと、以前紅色旅遊(中国共産党が推進するプロパガンダ観光、レッドツーリズムとも呼ばれる)についてちょっと勉強したことがあったので、せっかくだし留学中に見にいってみようくらいの気持ちだった。それに、ここには中国抗日戦争記念館(以下戦争記念館)という、そこそこ有名な記念館もあったので、ついでに見てみようと考えたわけだ。

 

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※画質が絶望的に悪いのは、中国で使用するために購入した携帯が、かなり安物(五千円くらい)だからだ。僕はただ、無音で写真を撮れるという一点においてこれを使用している。以後、ご了承いただきたい。

 

地理的な理由から、先に記念館へいった。記念館の前には、この謎のモニュメントと中国の国旗が立っているやけにだだっ広い広場があって、そこから記念館へいくためには、検問所風のゲートに設置された金属探知機をくぐってゆかねばならない。これは天安門広場国立博物館、それから中国美術館なども同様で、たしか上海の東方明珠というテレビ塔もそうだった。二年前に上海で初めて見たときはさすがに結構面食らったが、だいたいこれに引っかかっても警備員はなにもいわないか、せいぜい「ライターは持ってないか?」とか聞いてくるだけで、これも「ないよ」と一言いえば通れてしまう。だから今回も、携帯、時計にベルトまで全装備のままずんずん突入した。警備員のお姉さんはにこにこしていた。僕もにこにこした。

 

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ようやく玄関へたどり着くと、中から中学生たちがぞろぞろ出てきて記念写真を撮り始めた。こういう政府公認の観光スポット(紅色景点という)には、学生や会社などの団体訪問が多いらしい。彼らもその一つなのだろう。

 

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中へ入ると、いきなりめっちゃ強そうな金のおじさんたちが聳え立っていた。写真じゃ伝わりづらいが、かなり大きい。一応、玄関に撮影禁止のシールが貼られていたのだが、観光客たちは気にせず写真を撮っていたし、警備員も咎める様子がなかったので、僕も遠慮なく撮りまくった。ここだけでなく、全体的に中国はこうした場所での撮影にかなり寛容である。これは、とてもよいと思う。

 

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これが展示場の地図で、入口左側、「偉大なる勝利、歴史への貢献」と書かれた壁の両脇を通って、時計回りに八つの章に分けられた展示室を見ていくことになる。全体的な流れを簡単にいうと、満州事変や日中戦争の緒戦によって「民族危急(一章)」に陥ったが、「国共合作(二章)」によって「抗戦(三章)」し、「日本軍の惨絶な暴行(四章)」にも屈せず戦い(五章)、「国際的な支援(六章)」の助けもあって中国は「歴史的勝利(七章)」を収めた。これからは「未来を向いて(八章)」平和のために歩んでいこう、とこういう内容だ。

 

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展示物は当時の新聞や写真、武器などがある一方で、絵画や銅像、蝋人形まである。

 

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あと、このように至る所にテクストと写真つきのパネルが展示されている。むろん、全てのテクストをじっくり読んだりはしないが、一周まわるとなるとかなりの分量になる。さしずめ、立体的(VR的!?)な教科書といったところだろうか。

 

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そしてこれが割と有名なガラスの床のコーナーだ。かつての日本軍が使用していた武器や日本の国旗が床の下に配置されていて、先へ進もうとしたら、必ずこれらを踏んでいかねばならない。とはいえ国旗に関しては、別にそんなに何枚もないので、わざわざ踏んでいかなくても通れるのだが、やはりみんな律儀に国旗の上を通っていく。かつて写真では見たことあったが、やはり生で見ると中々に気味が悪かった。

 

僕がここへ来たとき、ちょうど団体訪問の軍人と思しき二十人弱のやたらと屈強な男たちが後ろからぞろぞろやって来て、僕は激流に落ちた枯れ葉のごとくあえなく呑み込まれてしまった。彼らは国旗に書いてあった文字(たしか神州がどうのこうのと書いてあった)を指しながら「日本人はヘンな漢字の使い方をするなあ」とかいって、みんなで国旗を踏みながら写真を撮っていた。さっきの写真は彼らが去っていった後に撮ったものだ。

 

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これはガラスの床よりも前にある南京事件のコーナーで、間違いなくこの戦争記念館の中で一番生々しくて、痛々しい。なんだかんだいって他の所だと、リアルを通り越して不気味な蝋人形や、かなり威勢のいい音声ガイドたちが最低限度の滑稽さを担保してくれるのだが、ここにはそんなものはない。ここだけ写真も異質だし、なんといってもされこうべが異常な存在感を放っている。その上、この一角だけ写真パネルや展示物が観覧者を取り囲むような設計になっているので、僕たちは否応なしにあらゆる方向から惨状と暴力に対峙しなければならない。

 

さて、南京事件に関していうと、中国と日本の間、それから日本の中だけでもかなり論争が起きているのは多くの人が知る通りだ。写真にある「殉難した同胞300000人」という言葉に関してもいろんな人がいろんなことをいっている。別にそれに関してあれこれいうのが僕の目的ではないので、ここではこれ以上なにもいわないけど、たとえば南京事件のこうした一角について、あるいは戦争記念館の他の展示に関して、「それは歴史的事実ではない!」とか「洗脳だ!」などと批判する人はきっといることだろうと思う。

 

残念ながら、僕には全てのことが「歴史的事実」かそうでないかを明確に判じることはできない。ただ、一つだけ明らかなことは、そもそもここの展示内容が客観性を担保された事実である必要など全くないということだ。なぜなら、ここは博物館ではなく記念館なのだから。

 

「体系的な分類/逸話的な総合」という二分法によって韓国の戦争記念館を分析してみせた美術家で映画監督のパク・チャンキョンは、記念することとは「記憶の再構成」にほかならず、そこでは「記憶する個人の関心、慣習、状態のみならず、記憶する集団の明確な政治目的や、そこで好まれる文化など」が介入すると述べた。同時に、記憶とは「いつもそれ自体を信憑性のあるものとみなさなければならない」ものであるがゆえに、「戦争記念館は戦争をフィクションとして再構成するという点を(意図するとせざるとにかかわらず)最大限隠蔽しなければならない」のだといった(※1)。

 

これは、逆にいえば、戦争記念館が(文物や写真を多量に配置するというまことらしい演出によって)隠蔽しているものは、そこが戦争をフィクションとして再構成する場にほかならないという事実である。戦争記念館には、客観的な事実やバランスの取れた歴史観などはそもそも必要とされていない。それが要請されるのは、まさに博物館においてである。大胆に換言すれば、記念館とは小説的であり、博物館は論文的である(※2)。

 

したがって、中国の戦争記念館に対して「それは事実ではない!」などといさんでみても意味はない。それは、司馬遼太郎の小説に対して「史実と異なるじゃないか!」などと憤慨するのが無駄なことと同じで、つまり記念館とは、そもそもそういう場所――つまり、記憶する集団の目的や文化、あるいは記憶させる人の意図によって、共同体に身を置く人々の記憶を再構成させる場所――であると認識するところから始めなければならない。(当然、最大限にまことらしさを保証しようとする限りにおいて、という留保付きではあるが。)

 

また、小説的な記念館と論文的な博物館という構図を念頭に置けば、わりと興味深い点に気付くことができる。すなわち、この戦争記念館や南京にある南京大虐殺記念館、それから延安にある革命記念館など、中国共産党に関する主張の強めな展示館は、得てして記念館と名付けられている。たとえば、下の写真は戦争記念館の最後の部屋に掲示されているものだが、毛沢東と鄧小平の間にいるはずの華国鋒がちゃっかり消されていたり、なぜか胡錦濤とか習近平とかまで並んでいたりする。ここまで来れば、この記念館が教科書というより小説という方が適切であったと気付くことができる(皮肉的にいえば、教科書的という言葉もまわりまわって正しかったりもする)。

 

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もちろん、中国に記念館しかないわけではない。北京だけでも、オリンピックの主要会場(つまり鳥の巣)の近くに中国体育博物館があるし、他にも石刻芸術博物館や汽車(=自動車)博物館など、いくつも博物館がある。どれも記念館とはいっていない。してみれば、彼らはある種の思想性の有無によって記念館と博物館という呼称を明確に峻別しているのだともいえるだろう。

そうであるならば、戦争記念館の展示に対して「お前は歴史を分かっていない!」風の批判をすることは、単に的外れであるのみならず、こういってよければルール違反ですらある。僕たちは感情的になる前に、一度わざわざ記念館と名付けられている意味を落ち着いて考える必要があるだろう。

 

もう一度いうが、記念館は小説的である。そこで語られているのは、記憶を再構成するための物語であり虚構なのであって、そもそも客観的な事実たらんとしているものではない。そして、僕たちは、それを無条件に批判することはできない。なぜなら、博物館と記念館は互いに全く異なるルールのもとに作られており、そうした批判は基本的に博物館のルールに属するものだからだ(※3)。

 

戦争記念館の話を終える前に一つだけ論点を追加しておくと、優れた物語とは、常に語り手を再生産するものである。面白い話や、ひどいが印象に残る話を聞けば、また誰かにいいたくなる。また、批評などは再生産の典型だろう。拙い話は大方無視されるか忘れられるのが関の山である。

どうしてこういうことをいうかというと、僕が戦争記念館で見たのは、ほかでもなく語り手が再生産されていく瞬間だったからだ。(誤解を招かないように補足しておくと、僕は物語の優劣は、主観的な善悪とは完全に独立して存在すると考えている。なぜなら、優れているが悪である物語や、正しいのだが拙い物語は、残念なことに世の中に数多に存在するからだ。)

 

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※上半分は名前、年齢、所属に電話番号など個人情報満載だったので意図的にカットしている。

 

全ての展示室をまわった後で、僕たちは二冊のノートの前に到着する。感想を書けということなのだが、適当にめくってみると、なかなかに凄いことが書かれてある。

おそらくさっきの中学生たちが書いたものであろう。写真右側の書き込みは十四歳の少女によるもので「まさに抗日戦争のような災禍による圧迫によって、中国は立ち上がり、中国人の思想は進化した。歴史を心に刻み込み、国の恥を忘れてはならない。(判読不能)先人たちの白骨と鮮血によって素晴らしい未来への道が切り開かれたのである云々」などという意味だが、(言語の違いはあるにせよ)十四歳の少女が「先人の白骨と鮮血」とか書いているのを見るとさすがにはっとしてしまう。

 

ただでさえ展示を見終わったばっかりでだいぶ気が滅入っていたというのに、ここでまた、玄関ですれ違い、入口で無邪気にピースしながら集合写真を撮っていた彼らのうち一定数の子たちがこうして新たな語り手として再生産されていくのかあと考えると、もはや気が滅入るどころの騒ぎではない。それに、こうして文章を書いてしまった僕もまた、戦争記念館の物語の持つ再生産の力に支配されてしまったのだといえるだろう。つくづく、僕たちは重過ぎる遺産を背負ってしまったものだと思う。

 

とはいえ、僕の身の回りの中国人はみんないい人たちばっかりだし、なんならかつて上海の料亭で、突然とあるおじいさんにさきの戦争に関して小一時間しかられたこともあったが、半分以上なにいってるか分からなかったけど頑張って合いの手入れてたら「よしよし、お前は話の分かるやつじゃ」的な感じで謎に褒められて、それから妙に良くしてもらったこともあったので、(政府・国家のレベルではなく)個人的なレベルでは割合楽観的ではある。結局なんとかうまくやっていくしかない。投げやりなのではなく、本当にそうだと思う。

 

そして、話はようやく盧溝橋へとたどり着く。長かった。でも、冒頭に「盧溝橋へいった」と書いた通り、もともと僕がいこうと思っていたのは盧溝橋であり、戦争記念館はあくまでついでにいこうと思っていたに過ぎなかった。

 

 

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 盧溝橋と

 

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 欄干の獅子

 

戦争記念館の物語の力強さ(それは必ずしも善であるとは限らない――念のため)、人の多さに比べて、実際に戦いが行われたはずの盧溝橋はあまりにひっそり閑としていた。石碑がいくつか立っていたけど、ほとんどが全長はいくらで、いつの時代に建設/修繕されたというような退屈な情報ばかりだった。橋を渡ったところには、橋の欄干に象ってある獅子のフィギュアを売っているお店があったが、誰も立ち寄る気配がなかった。おまけにここで釣りをするなとかいう趣味のかけらもない看板が貼ってあるし、オリジナルである橋の欄干の獅子たちも、みんなどこかしら欠けていた。

 

なんだ、意外に普通じゃないか。本来、観光地とはそういうちょっとした失望感が伴うものなのかもしれない。でも、戦争記念館の熱気や人の多さに比べて、そこから徒歩五分程度の盧溝橋がかくも露骨にさびれ、風化していたのはなんだか寂しかったし、写真で分かる通り、その日は天気がすこぶる悪かったので、それも相まって随分どんよりとしてしまった。

 

名所や旧跡に博物館や記念館が併設されている例は珍しくないが、普通、観光地は総じて盧溝橋とは逆の経験をもたらすものである。僕たちは、名所や旧跡にいくと、だいたい「わあ、ほんものだあ」とひとしきり感動したり写真を撮ったりした後、その足で近くに建てられている小さな博物館や記念館にいく。

そこでは、よっぽど関心がない限り、僕たちは足早に一周し、出口の近くで必要に応じてお土産を買い、そしてすぐに次の観光地へ向かう。たとえちょっとした失望感を伴っていても、観光とはやはりその場所にいくことが重要なのであり、多くの場合近くの記念館はついでにすぎない。

 

中国共産党の紅色旅遊というプロパガンダ観光の政策によって大いに注目されている一連の観光地の中には、こうした強い物語を持つ記念館が併設されているものがわりとよくある。これはこれで、小説的な想像力によって訪れる人の記憶を再構成し、語り手を再生産するという点で非常に大きな役割を果たしてはいるのだが、一方でそうした記念館は、その物語の力強さゆえに、しばしば本来ある観光地と記念館の力関係を逆転させてしまう――いやもっといえば、物語の過度の充実のために現実そのものを埋没させてしまう――のではないだろうか。僕たちは、こうした特殊な記念館の特性を、ひとまず仮に「小説的想像力」それから「物語による没現実性」と名付けておくことにしよう。(今後またこの手の観光地にいくかもしれないので……)

 

当然、これは僕の無責任な思いつきに過ぎないのだが、それにしても現実の盧溝橋の埋没具合は異様だった。実際そこには、あの時僕を取り囲んだ屈強な軍人たちもいなければ、こどもたちがたくさん歩いていたわけでもなかった。

 

そこにいたのは、ただ数人の行人と犬を連れたおじいさんだけだったし、もちろん、誰も自撮り棒なんか持っていなかった。

 

 

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先日、清華大学の近くにある萬聖書園という本屋さんにいってみた。

本の種類はまあまあで、社会学とか西洋の思想や文学がやや多めだった。

中に一匹ねこがいた。だからいい店だと思った。

 

 

1:パク・チャンキョン「鏡と沼、分断表象のメディアと芸術」(東浩紀編『ゲンロン3』ゲンロン、二〇一六年所収)六十頁。

 

2:ありうべき反論に対して予め何点か補足しておくと、小説的/論文的という見立ては、展示内容の真偽に対してではなく、むしろ構造的な次元(つまり展示の体裁)において機能しており、同時に受け手のメンタリティーに関する形容として用いられている。事実を淡々と展示する記念館があれば、誤りや嘘が書いてある博物館も(あってはならないが)あるかもしれない。しかし、それは誤りや嘘が書いてある論文が(あってはならないが)あり、ノンフィクション同然の小説があるのと同様で、内容の真偽はともかくとして、論文はその体裁において常に厳密な精確性を要請されるのに対して、小説は常に虚構として存在している。もう一度いうが、記念館の展示に事実ではないといって憤慨するのは、小説に対して体裁が論文的でないといって怒るようなもので、的外れ以外のなにものでもない。

 

3:一応付け加えておくと、僕は記念館の虚構を感情的に受け入れられないこと自体はなんら悪いことだとは思わない。共同体に属する者であっても感じ方はそれぞれだし、ましてや外部者などそもそも記憶の再構成の対象ですらないのだから、感情的に受け入れられないこと自体は当然である。問題はむしろ、それをそうといわずに、下手に「やつらは事実を捻じ曲げている」とかいってしたり顔で批判してしまうその精神的傾向にある。