どらや記

どらやきはつぶあんが吉。

交換留学の本質

日本では(新暦では)もう年の瀬だが、中国で年越しといえばもっぱら春節(旧暦の正月)を指すので、あと2日で2017年を迎えるというのに、年越しの雰囲気が一切感じられない。おまけに春節ひと月前のこの時期は、ちょうど試験の時期に当たっているのでたいへん忙しい。とはいえ、ぼく自身は試験も課題もとりあえず一段落ついたので、せっかくだからなにか書いてみようと思う。

 

ほんとうは先日天安門広場にある国家博物館へ2日間ほどかけていってきたので、それをもとに前回の論考の続きを書きたかったのだけど、天安門に関する文献が上手く集められそうにないので――日本から送ると、きっと税関に引っかかるだろう!――今回は仕方なく、折り返しを迎えた/迎えてしまった交換留学についてあれこれいってみることにする。

 

留学にいった/いっている人、あるいは留学生と関わりのあるひとはすでに知っているだろうが、大学院生を除けば、留学には大きく分けて4つの種類がある。語学留学、交換留学、ダブルディグリー(Double degree、双学位、以下DD)、それから正規の学部生(本科生)として入学するものだ。(大学以外の研究機関に所属するものもあるが、ここではそれは考えない)

 

語学留学は、いうまでもなく現地の語学学校や、大学にある語学教育センターに通うもので、たとえば早稲田には日本語教育センターがあり、北京大学にも対外漢語学院というものがある。語学留学へいくと、こういったところで専門的な語学教育をうけることになる。

 

交換留学も、わりと一般的だと思う。留学先の大学で「現地の学生」と一緒に授業へ出る。当然同じ課題をこなし、同じ試験をうける。大学とかでいやというほど目にする「ぼく/わたしめっちゃがんばった!」系の留学体験記は、だいたいこうした語学面でのハンデに由来する。さほど習熟していない外国語で臨むのだからそんなのは当然だろう。なんならぼくもたいへんだった。

 

DDというのは、聞きなれない人もいるかもしれないが、簡単にいうと留学先の大学の学位も取れてしまうプログラムのことだ。これは大抵それぞれの大学同士が提携して行っているもので、たとえば早稲田は北京大学と提携しており、同学の国際関係学院へ1年留学して(上手くいけば)学位ももらえるようなプログラムを用意している。逆もあるのかもしれないが、文学部のぼくの身の回りには、北京大学からDDで早稲田に来た人はあまりいない。

また、これの大きな特徴はカリキュラムがとても過密していることと、選択できる授業の種類に限りがあることだ。それこそ早稲田のDDだと、日本で何を学んでいようと北京大学ではだいたい国際関係の授業しか取れないようだ。(もちろん、それに関心があればたいへん魅力的なのは間違いない)

 

それから正規の学部生として来るもの、これは留学(生)に関係なければ意外と知らない人も多いかもしれない。しかし、いまぼくが主に出入りしている北京大学の中文では、交換留学生よりも正規の学部生の方が圧倒的に多い。実際、交換留学生の友人は数えるほどしかいないが、学部生の友人はすでに結構できた。日本にいたときから感じていたが、学部生として来ている彼ら/彼女らは(なかんずく語学に関しては)かなり強い。それだけ学習歴も長かったりするのだが、もうとにかくすごい。

 

さて、こうして簡単に4種類の留学形態を整理してみたわけだが、こうやって見ると、わりとそれぞれタイプが異なっていることに気付くことができる。そこで、それぞれの留学形態に関して、相互に代替不可能なもの――つまり、そのプログラムにしかないこと/もの――をかりに本質と考えるなら、語学留学の本質は、当然ながら専門的な語学教育だといえる。むろん、DDの本質は学位だろう。

 

ならば、交換留学の本質とはなにか。

 

かつて読んできた交換留学生の体験記には、だいたい「勉強めっちゃがんばった!」「友達めっちゃできた!」「視野が広くなった!」「いろんなこと深く考えた!」などと書いてあって、おおかた「だから、留学最高!」といった感じで締められていた。それは間違いなくたいへん素晴らしい経験だし、だから、留学は最高なのかもしれない。

 

しかし、ここで重要なのは、それは交換留学の本質では全くないということだ。なぜなら、勉強も海外の友達も「広い視野」も「深い考え」も、全て他の留学形態(あるいは海外インターンなど)で代替可能だからだ。もっといえば、本当にそれらが目的なら、交換留学なんかせずに学部生として4年間在籍したほうが明らかによいに決まっている。現に、北京で知り合った学部の留学生の中には、ぼくと同い年やそれ以上で1年生をやっている人がしばしばいる。

 

「DDじゃ北京大学で文学できないし」と考えて交換留学を選んだぼくは、いま、その考えが少なからず甘かったかもしれないと考え始めるようになった。身も蓋もないことをいえば、本当に北京大学で文学を学ぶことが目的だったのなら、ぼくはさっさと早稲田を退学して試験勉強をし、北京大学の学部の留学生の試験を受けるべきだったのだ。中国の大学なら、早稲田の1年分の学費でゆうに修士くらいまでいける。とはいえ、やっぱりそうはできないというのも本心だし、たぶん帰国したらまた日本で勉強するのだと思う。

 

交換留学の本質とはなにか。そこでは、べつに専門的な語学の教育を受けられるわけでもないし(たぶん、北京大学の対外漢語学院にはぼくよりも中国語の上手な学生だっているだろう)、学位が手に入るわけでもない。その上、本質を追求しようとすれば学部の留学生という上位互換的な存在にぶち当たってしまう。つまり、交換留学生とは目的も本質もなんだかよくわからないきわめて宙吊りの存在なのだ。

(誤解を招かないように急いで付け加えておくと、ここで目的がないというのは、決して個人単位で目標や目的がないといいたいわけではない。たとえどういうものであれ――それこそ「なんとなく」とかであっても!――だれかしら交換留学に目標や目的を持っているはずだ。ただ、ここでいいたいのは、そうしたものはだいたい学部生として入ることによってより望ましい形で達成されるということだ)

 

また、そうであるならば、「海外の大学へ(語学留学やDDでなく)交換留学にいって、キャンパスライフを堪能したい!」という感情は、とりもなおさず「海外の大学へいってみたいけど、でも自国の拠点を捨ててまで4年間学部生やるのはイヤだ/できない」という欲望の裏返しでしかないといえるだろう。

 

いうなれば、交換留学生とは、目的も「本質」もなんだかよく分からない宙吊りの経験であり、同時に海外を志向しつつもやはり自国の拠点(≒大学)は捨てきれないというこの奇妙な両義性を持ち合わせた存在にほかならない。いや、逆にいえば、この宙吊りの感覚や奇妙な両義性こそが交換留学の本質なのだ。これが、折り返しを迎えたぼくが暫定的にたどり着いた結論だ。

 

むろん、ほかならぬぼくもまたその1人なので、これを批判するつもりは全くない。ただ、交換留学とはそもそもそういうものなのだということ、ぼくたちはここに自覚的になることから始めなければならないのではないか。だから、この宙吊りの感覚や奇妙な両義性に盲目を決め込んだまま、したり顔で語られる「充実した」交換留学の「体験記」は、たとえどれだけ興味深くて「ためになった」としても、ぼくにとってはあまりにも無邪気に見えるし、それゆえにたまらなくつまらないのだ。

 

では、この奇妙な本質に自覚的になったとして、そこからぼくたちはなにを得られるのだろうか。勉強も、海外の友達も、「広い視野」も、それから「深い考え」も、みんなこの本質の先にある。だから、それも一方では正しい。だが、これを踏まえた上で、あえて交換留学だからこそできることを考えるなら、それは想像力、つまり多世界解釈的に発散する可能世界への想像力をはりめぐらせることだと思う。

 

交換留学生は両義的である。ぼくらは海外で現地の学部生みたいなことを1年ないしは半年だけして帰ってくる。ぼくは幾度となく自分が学部生だったら、そしてこれがあと3年続くなら……と考えた。一方で、帰ったら卒論どうしようとか考えてもいる。その時はじめて、ぼくは日本での学生生活を中心にしていまの経験をとらえているのだと気づいた。

 

交換留学生は宙吊りである。ぼくらはDDの留学生のように、プログラムから必然的に導かれた大学や授業へいっているわけではない。ぼくには、文学に志した交換留学生として、上海の復旦大学や台湾の国立台湾大学のようなほかの有名な大学や、都心から遠く離れた静かな大学で学ぶという選択肢があった。ぼくはしばしば自分が北京大学ではなく、そうしたほかの大学へ文学を学びにいっていたら……と考えた。一方で、友人を前に北京大学へきてよかったなどと考えたりもしている。時々、なんだか自分でもよくわからなくなる。

 

「あの時こうしていれば、きっとこうだったかもしれない」という可能世界的な過去/現在の蓄積は、一刻一刻が偶然性に満ちている(ことに自覚的である)からこそ意識にのぼるものだ。高度に宙吊りな日々がぼくらにもたらすのは、かつてなく多方向に分岐した可能世界への想像力であり、それは奇妙な両義性によって強化されるだけでなく、おそらくこれからの留学生活――そして日本へ帰ったあとの生活――にも実感を伴って作用するだろう。ぼくはそれを(たとえば「亡霊」などではなく)あえて豊かさとよびたい。

 

学位も言語教育もないし、学部生ほどの徹底もない。しかし/だからこそ、より想像力をはたらかせ、それによってより豊かに生きられると思う/思っていたいこと。交換留学の本質とは、意外とそんなものなのかもしれない。