どらや記

どらやきはつぶあんが吉。

留学体験記が載らなかった

秋になって留学体験記を書いた。所属している大学の中文科の先生から書けといわれたものだ(留学事務所からいわれてたものは書くのをすっかり忘れていた。催促もなにも来なかったので、それほど重要じゃなかったらしい)。先生からは好きに書いてくれといわれたのだが、なかなかに困った。

 

このことについてはすでにいろいろ書いているので詳しくはいわないが、ようは「目標・努力・達成」の三点でばっちり整理できるような留学の体験記は、本来ある種の偶然性と軽薄さから逃れられないはずの留学(※1)という経験(それは観光に非常に近似している)を、きまじめで目的論的な虚構に落とし込んでしまう可能性を少なからず秘めており、それゆえ留学を志して体験記を手に取る人びとに無益な幻想を与えかねないのではないか、という懸念があったというわけだ。とはいえ、いっぽうで、おおくの人が(とりわけ体験記を書かせようとするような人が)帰国した留学生に求めるのは、責任ある主体として語られる努力と成長の物語なのであって、あえてその期待を裏切らないということもまた重要であるようにも思われた。ぼくにとって、この相反する要求を満たしつつ、1000字程度でまとまった経験の語りをすることはたいへん難しいことだった。

 

しばらくのあいだ、あれこれ考えてみたり試しに書いてみたりしたのだが、結局ぼくはこうした問題をすべて放棄して、単純に書きたいことを書くことにした。少なからず無責任だとは思ったが、べつに中文科からは留学の補助金奨学金をもらっていたわけでもないし、掲載されるのも紀要の附録というたいへん内輪な媒体だったからもうなんでもいいやと思った。それに、ぼくはもう留学について考えることにほとほと飽きていた。世の中にはもっと見るべきものがある。面白い本がある。考えるべきことがある。正直にいって、「留学とはなにか」といった問題などもはやどうでもよかった。

 

こうしてぼくは秋口に留学体験記を提出した。当時はそれでもう終わりだと思っていたのだが、数ヶ月たった年末になって突然原稿が返されてきた。「内容が留学体験記にふさわしくない」から年明けまでに書き直せとのことらしい。そうした反応があるのは分からなくもない。しかしなぜいまなのか。好きに書いていいのではなかったのか。ぼくはまったく気乗りしないまま修正して再送し、また返されては書き直した。しかしながら、その結果、やっぱり掲載を見送ることにしたという連絡が先日来たというわけだ。

 

内容がふさわしくない、という反応自体はそれなりに興味深いものではある。あるいはもう少し憤ってもいいのかもしれない(ぼくにも落ち度はあったのかもしれない)。とはいえ、自分のことであるにもかかわらず、ぼくはこの一件についてただただどうでもいい以外の感想を抱けないでいる。いまはやりたいこともやるべきこともたくさんあるし、むこうが掲載したくないとのことなら仕方がない。ただ、せっかく書いたのだから、お蔵入りになるくらいならブログの記事にでもしておこう。いまはそんな気分である。

 

長い前置きになった。以下にあるのが、くだんの留学体験記である。
あらかじめ簡単に補足すれば、ぼくはこの文章で北京大学の構内にある未名湖という湖について書いている。中国では美しい風景で有名であり、「美しい湖とボクの青春」的な世にもまぶしいエッセイが毎年量産されるような場所である。しかしいっぽうで、Googleで「未名湖」と検索をかけると、「自杀(自殺)」というキーワードがまっさきに候補として出てきたりもする。未名湖とはそういう場所だ。

 

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夜の湖畔の小さな死

 

ぼくは未名湖が好きだった。北京大学へ交換留学にいっていたとき、ぼくはよくあの湖の周りを散歩した。色んな国や世代の人と歩いた。女の子とも歩いた。だけど、ぼくは夜中にひとりきりであそこを走るのがなにより好きだった。
よく知られていることだが、あの湖はかつてカラカラに乾いていた場所に水を引いてつくりなおしたらしい。「未名湖」と名づけられるまえのことだ。つまり、あの湖はかつて死んでいた。渡中まもなくできた友人がくれた『精神的魅力』という本の中でそれを知った時、ぼくはむしょうに未名湖が好きになった。

ぼくは未名湖が好きだった。どうやら北京大生には、卒業までにあの湖でやるべきことがみっつあるらしい。ひとつは放尿、次にセックス、もうひとつは忘れてしまった。ぼくが忘れたのではない。向こうの友人三人に聞いて三人がそういったのだ。もちろん、もっと聞き込みを重ねて明らかにすることもできたが、ぼくはあえて深入りしなかった。
そして夜中に湖畔を走っていると、じつに色んな人が色んなことをやっているのを見かけた。いまこの文章を読んでいるあなたがなにを考えたかは分からないが、ぼくはどれも当たっていると思う。いかにも生きるのに疲れたという面持ちで、のっぺりとした闇に覆われた湖を眺める男。大きな岩の上で泥酔する学生。茂みの奥で愛を確かめている人びとも二、三度見かけた(この数の多寡はまったく読者に委ねられることになるだろう)。性交が小さな死の儀式だといったのは中沢新一だった。むろん、彼が最初ではないだろう。エロスとタナトス精神分析でも重要なテーマだ。だが、そんなのはどうでもいい。重要なのは、いまもあののっぺりとした闇の中で小さな死の儀式がおこなわれているかもしれないということだ。

ぼくは未名湖が好きだった。繰り返しになるが、とりわけ夜中に走るのが好きだった。あの湖の周りをぐるぐる走っている時、ぼくはしばしば、なぜ人は走るのかと問いかけた。走ることが移動手段としてはすっかり影を潜めて久しいこんにち、ぼくたちが走ることに健康維持以外の目的を見出すのは難しい。その試みはたいてい「走るために走る」という過剰なトートロジーに終始する。それは競技スポーツにおいて最も顕著だ。つまり、なぜ走るのかという問いそれこそが、じつは自己目的化した走りの過剰さと倒錯の象徴的な表現にほかならないのだ。ところで、競技スポーツとしてのマラソンが、その制度的な基礎づけにマラトン丘の故事を必要としたのはじつに興味深い。というのも、それはまさに人間が自己目的化した走りを最も過剰な形式において制度化するにあたって、そこに根源的な死を要請したことを意味しているからだ。死とは過剰さのもっともありふれた帰結であり、ゆえに走るために走るとき、人はつねにすでに少しずつ死んでいる。少なくとも、走り終わって疲労困憊する走者たちは、だれもがマラトン丘の故事を反復/再演しているように見える(それゆえ、劉慈欣の短編「光栄与夢想」にとって少女の死は必然であったといわざるをえない)。

 

根源的な名づけのまえに死を刻み込まれた湖。夜ごとに反復される小さな死の儀式。岩の上で泥酔する学生。この奇妙に魅惑的な空間を満喫するには、やはり自らも過剰で自己目的化した走りを、マラトン丘の死の物語を反復/再演してみせるよりほかにない。ぼくは一度だけ、夜の湖畔の灯りのしたで漱石の『夢十夜』を読んだことがある。読むならこれしかないと思ったのだが、やはりやたらに走ってみるのには及ばなかった。

 

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※1 ここでは学部生の一年程度の留学(さらに細かくいうと交換留学という制度)を意味している。