暁命堂雑記

ときどき書きます。

井筒俊彦と牟宗三を比較する 第1回 導入(1)

 

 これからしばらくのあいだ、このブログ上で何度かにわけて、日本の井筒俊彦(1914-1993)と中国の牟宗三(1909-1995)という20世紀のふたりの哲学者にかんするはなしをしていきたいと思う。

 

 井筒俊彦の名前を聞いたことがあるひとは少なくないだろう。『コーラン』をはじめて原典から翻訳したとか、30以上もの外国語ができたとか、英語でたくさん本を書いているとか……。たとえいまやじっさいに井筒の著作を読んでいるひとはそれほどいないとしても、またじっさいに読んだ人々のあいだで評価がわかれるにしても、彼が20世紀とりわけ戦後日本の著名な哲学者であるという認識はある程度共有されているはずだ。
 しかしながら、ぼくの印象をいえば、中華圏での井筒俊彦知名度はきわめて低い。おそらくほぼゼロである。かつて北京にいたころ、頻繁に現地の書店をめぐり歩き、すみずみまで見てまわったものだが、井筒が読まれている気配はまったくなかった。もちろん、井筒に言及する中国語の研究もほとんどない(あってもたいてい概説的になぞるくらいのものだ)。

 

 他方、牟宗三(ぼう・そうさん/モウ・ゾンサン)については、日本でその名を知っているひとはかなり少ないだろう。彼にかんする日本語の研究はたいへん少ないし、もちろん彼の著作はまったく邦訳されていない。とはいえ、日本で井筒がある程度よく知られているように、中国、あるいは台湾や香港(さらには欧米の中国学)での牟宗三の知名度は高く、しばしば20世紀の中国哲学を代表する人物だとみなされている。
 ようするに、中国での井筒俊彦知名度は、日本での牟宗三の知名度とおなじくらい低い。井筒と牟宗三は、すくなくともそれぞれ自分の国(や地域)では20世紀の大哲学者ということになっているが、互いの隣国では一部の研究者をのぞきほぼ名前すら知られていないのである。当然の結果として、両者が比較検討されることはなかった*1


 にもかかわらず、じつは両者にはきわめて豊かな比較の可能性がある。というのはつまり、このふたりの哲学者のあいだにはある絶妙な対照性と共通性があり、そこから20世紀の、ひいては21世紀の東洋の哲学を考えるうえで、非常に重要な論点が引き出せるのではないか、ということである。この点を示すというのが、ぼくのひとまずの目標になるだろう。今回はさしあたり、前提となる簡単な情報や、ふたりの比較をめぐる理論的な問題意識を共有しておこう。

 ちなみにこのはなしはぼくの修士論文のための準備、あるいは思考を整理するための研究メモのようなものとして書かれることになる。だから今後どこかで発表するとか、論文として提出するとかそういうことがあるかもしれないが、そのときは形式も内容もずいぶん変わったものになるはずだ。

 

  
 
 はじめに前提となる情報を簡単にまとめておこう。 

 

 井筒俊彦というひとは東京生まれの哲学者である。日本では広くイスラームの研究で知られているかもしれないが、彼は古代ギリシアや東アジアの哲学だけでなく、西洋の文学や現代思想までじつに幅広く研究した。
 井筒の生い立ちや関心などについては、慶應大学出版会のウェブサイトに掲載された「井筒俊彦入門」にいろいろと書いてあるので、ここではごく簡単に紹介するにとどめる。詳しく知りたい方はこちらを参照してほしい*2

 

 慶應大学の英文科を卒業して講師をしたのち、井筒は1959年から20年間、カナダや中東などの国々で研究生活をおくる。そこで井筒の人生はおおきく海外以前、海外時代、帰国後の三つの時期に分けられる。


 海外以前の時代のおもな仕事は『神秘哲学』と Language and Magic (1956年、邦題は『言語と呪術』)だ。『神秘哲学』はソクラテス以前からいわゆる新プラトン主義のプロティノスまでを描く独特なギリシア哲学史の本である。『言語と呪術』とは、ごくおおざっぱにいえば、言語にはいまでいう「パフォーマティヴ」な側面がつねに備わっており、なおかつその機能の源泉は、根本的には「呪術的」と呼ぶほかないある種の力によってもたらされているのではないか、と主張する本である。
 ふたつめの時期は海外生活時代である。この時期井筒は、カナダやイランなど各国を転々とし、イスラーム哲学、とくにスーフィズムと呼ばれる神秘思想や、老荘思想など東洋の哲学にかんする仕事を英語で発表している。このときの主著が Sufism and Taoism である。これはイランのイスラーム哲学者、イブン・アラビー(1165-1240)と、中国の老荘思想をもちだして、それぞれの鍵概念を分析し、両者のあいだにある種の構造的類似性をみいだすものだ。
 1979年にイラン革命が勃発したため、井筒は滞在先のテヘランから帰国し、以後は日本語で著作を行なった。これが第三の時期だ。この時期の特徴は「東洋哲学」を主題にしたことである。井筒は、いわば自身の仕事の集大成として「東洋哲学の共時的構造化」というプロジェクトに着手する。その代表的な仕事が『意識と本質』である。以後詳しく展開されるぼくたちの思索は、基本的にこの時期の諸著作をおもな対象とすることになるだろう。

 

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「東洋哲学の共時的構造化」について、井筒はつぎのように語っている。

 

いま仮に極東、中東、近東と普通呼び慣わされている広大なアジア文化圏に古来展開された哲学的思惟の様々な伝統を東洋哲学という名で一括して通観する〔…〕東洋哲学全体を、その諸伝統にまつわる複雑な歴史的聯関から引き離して、共時的思考の次元に移し、そこで新しく構造化しなおしてみたい*3

 

東洋哲学に通底する共時論的構造の把握〔…〕要は、古いテクストを新しく読むということだ。「読む」、新しく読む、読みなおす。古いテクストを古いテクストではなく〔…〕古典的テクストの示唆する哲学的思惟の可能性を、創造的、かつ未来志向的、に読み展開させていくこと*4

 

 簡単にいうと、「東洋哲学の共時的構造化」とは、現代の文脈にあわせて東洋の古いテクストを再解釈し(共時的)、ひとつの体系のもとに再構築すること(構造化)だ。彼はこれによって西洋と東洋の比較が真に可能になると考えた。すでに述べたように、この試みを代表するのが『意識と本質』という作品である。具体的な分析は以後にゆずるが、あえて一言でいえば、『意識と本質』というのは、人間の意識が現象と本体——井筒の言葉でいうと存在者の「本質」と「存在」——とのあいだに、どのような関係性をもつのかという観点から、東洋哲学の根本的な性質を明らかにしようとした本だ。ここでの井筒のおもな主張のひとつは、ようするに東洋の思想においては、究極的に人間の意識が存在と端的に一致するというものだった。

 

「未発」とは〔…〕第一次的には心の未発動状態。だがしかし〔…〕それは全存在世界の未展開状態をも意味する。意識のゼロ・ポイントであって、同時に存在のゼロ・ポイント。〔…〕これは宋学だけでなく、東洋哲学の大部分に共通する顕著な特徴であるのだが〔…〕意識と存在、内と外、は密接な相関関係にあり、窮極的には全く一つである*5

 

 単純にいうと、井筒はたとえば老子宇宙論における「道」のような、ある絶対的なひとつの「存在」が自己分節することで世界が形成されると考えている(「道は一を生み、一は二を生み、二は三を生み、三は万物を生む…」)。そのうえで彼は、このような単一の存在が自己分節してゆくプロセスと、人間が言語や意識によって事物を分節してゆくプロセスとのあいだには、たんなる相関性があるだけでなく、むしろ万物が無分節になる一点、つまり「ゼロ・ポイント」で意識が存在そのものに到達し、両者は統一されると考えた。そして、それこそが東洋の形而上学的思考のひとつのおおきな傾向であると述べたのである。井筒はこの傾向を「意識即存在」という言葉で表現している*6

 

 意識と存在がたんに相関的な分節プロセスをたどるだけでなく、究極的には両者が端的に一致する。そこには人間の意識と存在そのものを隔てるものはない。これが井筒が「東洋哲学」のなかにみいだした理論的な傾向である。一見してあきらかなように、ここにはいわゆるカント的な意味での(有限性をもった)認識という次元が介在していない。のちほど確認するが、この観点は、ある意味で中国の牟宗三とかなり近いものがある。 

 

 西洋の文脈を把握したうえで、新しい「東洋哲学」の構築を試みた井筒俊彦だが、しかし彼は自分自身とおなじ時代にべつの地域で同様の試みがあったことには無頓着だったようにみえる。ぼくがここで念頭に置いているのは、20世紀後半のいわゆる現代新儒家である。じっさい、井筒の本を読んでいると、彼は京都学派をのぞき、東アジアにある類似の試みにはいっさい触れないまま、新しい「東洋哲学」について語っている。
 これは井筒本人に限ったことではない。目下日本で行なわれている井筒俊彦研究は、おおむね井筒の思想体系の分析やおのおのの古典解釈の検討にくわえ、井筒が提示したあらたな「東洋哲学」を継承し発展させるといった方向に分類できるのだが、このあらたな「東洋哲学」を語るときには、ひとはいまだに中国とくに現代中国といった観点をまったく欠いたまま、「東洋哲学」の未来を語っているのである*7


 井筒本人にかんしていえば、彼はあまりに広大な領域に目を向けていたので、このような見落としがあったとしても多少やむをえないところがある。とはいえ、後世のぼくたちがそれにならって無頓着でありつづけているのはよくないだろう。つまりぼくたちは、さまざまな国や地域に分散する「東洋哲学の共時的構造化」という試みそのものを共時的に接続し、継承しなければならないのだ。そこで井筒と同時代のべつの試みとして、いわゆる現代新儒家の、とりわけもっとも理論的な成功をおさめた人物のひとりである牟宗三を参照したい。これからみていくように、牟もまた、20世紀後半の東アジアで、東洋哲学(彼は一貫して「中国哲学」というが)の体系的な再構築を試みた人物だ。(つづく)

 

 

*1:儒家井筒俊彦という比較の組み合わせはぼくの知るかぎり皆無だが、西田幾多郎ら京都学派と新儒家を比較する試みはすでにある程度行なわれている。たとえば、朝倉友海『「東アジアに哲学はない」のか——京都学派と新儒家』(岩波書店、2014年) 、吳汝鈞 《純粹力動現象學》(台灣商務印書館,2005年)、Yuk Hui, The Question Concerning Technology in China: An Essay in Cosmotechnics (Urbanomic, 2016)など参照。つまりぼくは、ややマニアックな文脈でいえば、「京都学派と新儒家」という比較研究の存在を念頭においたうえで、いやむしろ井筒と新儒家ではないか、と言ってみようとしているわけだ。

*2:さらに詳しく知りたいひとは、まず若松英輔井筒俊彦 叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会、2011年)を読むべきである。また、このあいだ刊行された『群像』の2020年7月号に掲載された安藤礼二の「井筒俊彦——ディオニュソス的人間の肖像」も参考になる。目下、ある一貫性のもとに井筒俊彦の全体像を示し、彼を近代日本の精神史のなかに位置づけるという作業は基本的にこのふたりの批評的な仕事によって進められている。若松・安藤編『言語の根源と哲学の発生 増補新版』(河出書房新社、2017年)なども参照。

*3:井筒俊彦『意識と本質——精神的東洋を索めて』、岩波文庫、1991年、7頁。

*4:井筒『意識の形而上学——「大乗起信論」の哲学』、中央公論社、1993年、11-12頁。

*5:井筒『意識と本質』、82頁。

*6:「意識と存在の統一」にかんする議論は『意識と本質』に詳しく書かれているが、『イスラーム哲学の原像』(岩波新書、1980年)110頁以降にも簡潔にまとめられているので、そちらも参照のこと。

*7:たとえば近年相次いで刊行されている論集を見ると、わずかな例外をのぞき、中国に関連する論考はほとんどないことがわかる。もちろん、近代以降の中国(思想)はまるで存在しないかのような扱いである(ただ論集全体としては興味深く、たいへん勉強になる)。若松編『井筒俊彦ざんまい』(慶應義塾大学出版、2019年)、澤井義次・鎌田繁編『井筒俊彦の東洋哲学』(慶應義塾大学出版会、2018年)、若松・安藤編『言語の根源と哲学の発生 増補新版』(河出書房新社、2017年)など参照。