暁命堂雑記

ときどき書きます。

あとがきに替えて

 上海へ九日間の語学研修に行って来た。午前中は授業を受け、午後からは現地の学生と遊びに行った。無論会話は中国語である。尤も楽しかった所は上海書城である。これは日本で言う紀伊国屋ビルみたいな物である。書城もそうだが、中国は何かにつけて城にしたがる様である。家具城なんぞも有った。これは結構好いと思った。新宿のあれも紀伊国書城などとすれば、余程恰好良いと思う。また、場所が中国なので当然だが、漢籍の在庫が日本を遥かに凌駕してゐた。少しく漢文をかじっている私にとって面白く無い筈が無い。あと、最近話題の知日も購入した。

 名所の中で尤も印象に残ったのが、今回書いた豫園である。豫園は日本人のみで行った。かなり好かった。

 豫園に行った日の夕刻に、研修に参加した日本人の略全員で雑技を見た。作中に描かれているのは公演のほんの前半部分である。確かに可なり好かったが、少しいらぬ考え事をして了つた。それがこの文の縁起でもあるのだが。

 あと、これは作品とは全く関係が無いが、研修中に幾人か友人が出来た。二三人とは帰国後も連絡を取っているが、中でも高松と言う現代文学専攻の博士二年の学生と仲良くなった。彼とは大体ずっと一緒にいて、漢詩の話なんぞをした。いくつか唐詩を中国語で諳んじてみせると、大層盛り上がった。彼は可なり優秀な学生だった。同様に彼と交際している、博士二年で近代文学専攻の田さんにも大層お世話になった。

 研修の打ち上げの際、私は彼等に「発華亭」と題して七律を送った。

 

 河上葱葱新柳垂

 宵分東客苦別離

 紅顔玉質充筵上

 美酒珍羞映綺帳

 値勝千金春夜宴

 流凌銀箭至歓時

 朋儔莫謂滄波隔

 看白雲生豈相思

 

 その際、高松は大いに感じたるさまにて「看白雲生亦思君」だったか忘れたが、そんな感じの事を言ってくれた。即興で返されるとは全く思っていなかったので、これには大層感じた。

 あと、文学の話等で中国の学生との会話に窮した時、また処々で少し浮かんだ句を書き留めたりするのに、明眸転じて霓となる、とある知己が現地で私にくれた小さなメモ帳を使用した。作中の写生帖とは、まさに此れのことである。本当に重宝した。否、今尚重宝している。本当にありがたい。

紅色

 

 赤色が中国の色ならば、豫園は中国の結晶の一と云へるかも知れぬ。此の一帯には兎角朱色の高殿が密集してゐる。雑貨屋が有る、小吃屋が有る、宝石屋が有る、皆外観は朱色や臙脂色をしてゐる。どの店からも常に人が流れ出て来る。此れを形容するに、熱鬧と云ふ語が尤も当て嵌る。中華の活力なんぞと云ふ者があるが、殊更に赤や金を好む彼等の性質も其の活力に起因してゐるのでは無いかと思ふ。白昼に臙脂の寺院を看て、夜半に紅艶の電飾を見れば、厭でも気焔を上げて了ふものである。豫園は、處處に上がる気焔が、且つ燃え且つ燻り乍ら凝り固まつて街になつたやうである。大楼郡の如き洗練は無いが、遥かに魅力的である。

 迷路のやうな商店街を抜けると、小さな池の前へ出た。曲がり角の多い橋の対岸には、白壁に囲まれた庭園があつた。

 庭園に入る。入口は小さく、二列で入るに堪えない。余はいきなり鉢植えの梅と遭遇した。枝は懇ろに整えられてゐる。餘り興感しなかつた。

 少しく開けた處に出た。小堂の前に大きな地図が立てゝある。だうやら順路があるらしい。随分と人情なものだと思つたが、略一本道だつた。地図の向かいには大きな石灰岩がある。余の背丈の二倍以上はある。太湖から拾つて来た石だから、太湖石と云ふさうだ。可なり武骨な形をしてゐる。鍾乳洞をさかしまにしたやうな、或ひは鼠に齧られたチイズのやうな形をしてゐる。だが此れは非常に好い。なぜと云つて、作為が無い。湖から出た石が其の儘芸術として完成してゐる。無為にして為さざる無しと云ふ訳だ。

 庭園は幾つかの小区画と、其れを繋ぐ小径とで構成されてゐる。

 或る一区画に出た。瀑布の注ぐ碧池に鯉が遊弋してゐる。小流に掛かる橋からは、梅に松、おまけに竹まで見える。詩情に駆られた。余は写生帖を取り出して傍らの榻に掛けた。まず浮かんだ句は情景の描写である。余は「橋畔横斜 竹梅」と走り書いた。竹の上の字は決まらなかつたが、幸いにも平仄が揃つてゐる。韻は上平声灰韻に決まつた。

 此れは上海に来てから常に気になつてゐたが、だうも日本と瓦が違う。余は瓦屋の倅である。碌に瓦の勉強はしてゐないが、瓦を看る癖位は持つてゐる。豫園の小堂に限らず上海の瓦は一枚一枚の隙間が大きい。そして此處の小堂の掛瓦[1]は日本の其れとは大きく異なる。上の部分が一枚の瓦で構成されてゐる。更に軒丸には一々「豫園」と書いてある。京の御所の塀に有る軒丸に菊紋が描かれてゐる様なものだらうか。個個の瓦の輪郭は凸凹してをり、苔が生えてゐる。修復も絶えて行われてゐないと見える。敢えてせざるのか否かは更に分からぬ事であるが、此れは此れで好いと思つた。兎にも角にも耐震強度を追求したがる日本では、まず見られない状態である。寧ろ、上海の瓦の方が遠観に好い。可なり雄大に見える。そんな事を考えてゐる内に「朱堂甍棟鬍如苔」と出来た。髯が苔のやうとするのは、詩聖が、鶴が双鬢のやうだと云つたのと一般である。

 鯉が泳いでゐる。鯉は不思議な生き物である。彼等は、自分達が人間共の眼を愉しましめる為に、濁つた池の中に侭未来在監禁されてゐると知らないのである。はつきり云つて、人間にとつて彼等は這裏に伸びる梅や松と全く変わらない。かと云つて、突然人間から登竜の願掛けを為されたりする。鯉からすれば、極めて迷惑な話である。京の建仁寺には随分と活きの好い鯉がゐて、ばちやばちやと跳ねる音が境内に響ゐたりするが、鯉の娯楽は恐らくばちやばちや跳ねる事と人間の気まぐれで時たま餌に当たる事位しか無い。彼等は梅を見た處で、恐らく一切興感しないだらう。当然俗挨も無ければ、いらぬ人情などもある筈が無い。さう思ふと、俄かに鯉が尊く見えて来た。余は韻書を捲り睚朁して、写生帖に「為誰遊弋碧池鯉、混水併呑枯木灰」と書いた。

 扨、問題は起句である。新竹梅、松竹梅、どれも好くない。橋畔横斜松竹梅など、我乍ら些か抱腹せざるを得ない。餘りに騒騒しくて雰囲気に合わぬ。朝に辞す白帝彩雲の間も、黄河遠く上る白雲の間も、共に古今の絶唱の一部だが、試みに此れを朝辞白帝「白雲」間と黄河遠上「彩雲」間としてみると好い。万世の名句も忽ちぶち壊しである。少し考えて、苔に合わせて老竹梅とする事とした。斯くて七絶が出来た。

 

 橋畔横斜老竹梅

 朱堂甍棟鬍如苔

 為誰遊弋碧池鯉

 混水併呑枯木灰

 

似た様な庭園を幾つか過ぎた頃である。此れ迄とは一風変わつた一間に出た。山水が無い。否、例に因つて整えられた鉢植えの梅が列在してゐる。しかし、白い広間は朱色の建築に囲繞されてゐる。一際立派な建物の前に立つ。二本ある柱には、それぞれ「天憎歳月人憎壽」と「雪想衣裳花想客」と書いてゐる。一見して平仄は揃つていさうだが、仄韻である。年年歳歳の対句に近いものを感じる。余はふと「海作桑田風作雨」と続けてみた。しかし、その後の着地点が絶えて見つからなかつたので、其處でやめにした。

句が浮かばずに悶悶としてゐると、覚えず庭園の出口に来て了つた。外は矢張り騒然としてゐる。

 電話が鳴つた。上海に住む老師からであつた。折角、上海に来てゐるのだから少し会はう、雑技でも見ないかと云ふのである。此れまた唐突なとは思つたが、特に用も無いので行く事にした。

 

  二

 

 馬戯場と云ふ駅で鉄道を降りて、余は老師を探した。老師は改札の直ぐ近くにゐた。二三挨拶をする。一年振りに会つた老師は、大して変わつてゐなかつた。只、白い髯が随分と増えた。

 馬戯場の外観は、丁度後楽園にある球場にそつくりだつた。白く渺茫たる石級を上りつゝ、老師と物語する。馬戯場の入り口附近には物売りが数多気炎を揚げて東西を鬻いでゐる。声を上げて栞や草草の雑貨を売る者がゐる。光る腕輪を余の前でちらつかせる男がゐる。肌が浅黒く恰幅の好い男が、熊猫の被り物を被つて何やらきらきら光る棒を売つてゐる。熊猫の帽子は、人を選ぶ物だと思つた。

じろじろと物売りを凝視してゐると、場内から服務員が出て来た。だうやら可なり業腹の様子である。何でも、開演が間も無いから急いで入つてくれとの事である。服務員が斯くも怒鳴つて来る辺り、矢張り日本では無いのだと思ふ。

舞台を扇形に囲繞する様に客席は有つた。場内は可なり暗い。コロツセウムを少し想起した。

場内はざわざわと喧聒である。余等は舞台に向かつて右側の一角に坐した。舞台からは近い。間も無く三弦の音が響いた。忽ち客席は静かになつた。

 舞台上の男に照明が当たる。男は危座して、白い壺を抱えてゐる。すると突然、男の前に白い衣装の女が現れた。否、現れたのではない。彼女はずつと舞台上にゐたのであるが、照明に因つて影中に全く隠匿されてゐたのである。彼女は何やら極めて小さい足場の上で身体をくねらせてゐる。亦逆立ちをしてゐる。余は瞠目して、さかしまに立つ彼女の足先を凝視した。

 ――足先が小刻みに震えてゐる。涼しげな顔で離芸を為す彼女の身体には、観衆にをさをさ分からない處で、切れかけの綿糸のやうに張り詰めた緊張が走つてゐる。崩壊と秩序との臨界が、辛うじて絶妙な調和を保つてゐるのだ。

 等と云つてみたかつた。しかし何だ、彼女の足先は全く震えてゐないでは無いか。脚が緊緊して手が張張すると云ふ事が絶えて見て取れぬのである。長吁を洩らすより他無かつた。全く家常の茶飯に一般なのである。彼等の為には、逆立ちの一つなど、余等が褥に横たわつて書を紐解くよりも容易なのであらう。此の時余は、彼らに対して幾許かの既視感を覚えた。以前雑技の類を見たと云ふ訳では無い。一寸前に、此れに似た何かを見た様な気がするのである。然し、だうにも分からなかつた。

 続いて出て来たのは自転車に乗つた少女達である。自転車の椅子に跳び乗つてみたり、ハンドルに跳び乗つてみたり、他の自転車に跳び乗つてみたり、矢張り逆立ちをしたりなどする。躊躇いが無い。研鑚を以て家常と為すとは、将に此の事である。

 自転車の少女達が引いた後、船が靄の中から現れた。中には漁夫風の青年と、其れから若い女がゐる。男は丸太を転がして其の上に長方形の板を載せ、自らは板の上に跳び乗つた。少し許り平衡を崩してみせたのは戯れであらう。夫れ均衡は、保つより破点を復する方が遥かに難しい物である。

 男が平衡を取り戻すや否や、女は徐に白い椀を取り出した。男は其れを板の端に載せ、自分は反対側の端に立つた。無論板の下には丸太が絶えず転がつてゐる。少し均衡を保つてゐた後、男は突然シイソオの要領でエイヤツと許りに椀を跳ね上げて、頭の上に載せて了つたでは無いか。

 板の上にゐるだけでも険呑なのに、見上げたものだと感心してゐる内に、二つ三つ次次に重なつて徃く。其の内二枚一度に載せ、三枚になり、たうたう四枚同時に載せて了つた。男の頭上に重なる椀の山は最早顔の長を超えてゐる。椀を跳ね上げる時、彼の意識は森羅を排して只眼前の白椀にのみ注がれてゐるやうである。其れでゐて、矢張り随分と容易さうにやつてのける。彼の様に、研鑚を以て志を用いて分けざる事ができたならば、斯かる神業さへも自然に出来て了ふのでは無いだらうか。

 斯く考えてゐた時、余は既視感の正体を突き止めた。

 鯉である。雑技団の者は、猶豫園の鯉が池水を泳ぐ様に自然に曲芸を為す。其處に滲血の修練が有らうが無からうが、どちらも自然の境地に身を置いてゐる点で全く一般である。更に云ふなら、雑技と鯉との違いは、観る者――云ふなれば万物を万物と見る余等凡人が、其の働きを賞賛するか否かにしか無い。然し、万物を一と見れば、どちらも同様に尊い自然の営みである。

 何も余は、雑技に辟易した訳でも無く、彼等を貶めたい訳でも無い。無論非道く興感した。然し、其れと鯉との間にに優劣は無い。有為を以て自然に達する雑技が尊いならば、無為を以て自然に達する鯉の遊弋も同様に尊いものではないだらうか。

 此處迄考えると、余は同じ様に雑技を見る事が出来なくなつた。先程から、老師は余の隣で瞠目して手を打ち続けてゐる。感ずるのは大いに分かるが、豫園の鯉に対しても同様に瞠目して手を打つかと云へば、彼のみならず万に一人も是とは云はないだらう。寧ろ、さうされては喧しくて堪らぬ。普通、鯉と雑技とは繋がらぬ物である。然し、だう云ふ訳か余の中で此の両者が繋がつて了つたものだから、だうも余は池の鯉を見る様にしか雑技を見られなくなつて了つたのである。

 

 雑技が果てた後、余等は馬戯場を出た。すつかり夜も闌である。入口には不相変物売り達がゐる。熊猫の帽子の壮士も矢張りゐる。大方小説では、夜の闇は黒洞洞たるものと昔から相場が決まつてゐる。然し上海の夜は赤い。提灯も大楼の電飾も皆赤である。老師の白い髯も赤く染まつてゐる。

 ふと、鯉を思つた。我乍ら少しやり過ぎだと思つた。くさみが出た。

 

 

 追記:「雪想衣裳花想客」は、李白の「清平調詞 一」の起句からの引用であると思われます(然し、原作は句末に上平声冬韻の「容」を置いています)。従って、件の二句が何らかの作品の一部である、或いは装飾の為に特別に作られた対句である可能性は低そうです。

 

 

[1] 屋根の頂上の部分を為す瓦。

老人

 随分と昔の事である。長江の畔、凡そ漢陽の辺りに一軒の料亭があつた。料亭と云つたが、大した物では無い。民家の広い一間を、其れと為してゐたのみである。客は、多からずして絶えずと云つた處である。

 店主は辛と云つた。猛禽類のやうな白眉に、霜のやうな双鬢の豊かな老人である。辛は優しい男であつた。其れは、凡そ商売人には不要な性質の優しさである。客から値切られたら直ぐにまけて了ひ、注文に無くともつい〳〵団子の二つ三つ許り出して了ふ。その人柄を好んで来る客も割合存在してゐたが、矢張り利は生まれぬ。辛の店が、長らく尋常の小食堂に甘んじてゐたのも無理は無かつた。

 或る春の日の事である。長江は宵の口、天際に呑まれる小舟も臙脂色に染まつてゐる。辛の料亭は二三の燭台の明かりの中で、農夫が四人許りで筵を囲繞してゐるのみであつた。すると、其處に一人の老人が這入つて来た。背は低く、身なりは極めて粗末で、枯葉のやうなぼろ一枚しか着てゐない。雲長のやうな長い顎鬚が臍迄伸び、さゝくれ立つた檜の杖を突いてゐる。農夫達は気にも掛けぬ。見知らぬ老人等何處吹く風と云つた体で酒を呑んでゐる。

 老人は榻に掛けた後、辛に「金は無いが、酒が欲しい」と云つた。普段なら有り得ないが、辛は、老人の要求通り酒を出してやらうと思つた。別段彼が老人に対して憐憫の情を催したからでは無い。寧ろ共感したからである。辛には弟子も後継もゐない。彼は盛隆に欠く自分の店がさう長く無い、云はば遠からざる自分の死と共に紅炉上の雪のやうに無くなる事を知つてゐた。彼の優しさは、天賦の性分であると同時に「然もあらばあれ、孤翁の小亭」と云ふ一種の諦念による物でもあつた。そして今辛が無料で酒を出したのは、畢竟黎老に固有の諦念を、眼前に坐す粗衣の貧翁に見出したからであつた。

 酒が来た。老人は実に美味そうに酒を呑んだ。猶ほ人生の最後の晩酌のやうであつた。辛は、例の団子を出してゐた。老人は二時間許り呑んだ後店を出た。暫くして農夫達も店を出た。辛は店仕舞いをし乍ら、盛大なはなむけの後片付けをするやうな、優しげな充足を感じた。

 ところが、次の日の宵の口にも亦老人は現れた。枯葉のやうなぼろを着て、そして昨日同様に「金は無いが、酒が欲しい」と云つた。辛は、同じやうに酒と小吃を出した。だうせ彼の後生は長く無い、直に来なくなるだらう。辛はさう信じてゐた。

 果たして老人は来続けた。煙花三月に横斜を見て、炎波七月に蟬吟を聞いても猶ほ来続けた。始めはいぶかつてゐたが、辛は最早詮索に倦んでゐた。毎日、宵の口に現れては酒を呑んで徃く老人がゐる。其處に機微の邃みが有るとは、到底思はれなかつた。

 たう〳〵秋になつた。長江の水は瑩朗としてゐる。緩く波立つ流れの中に、いやに明るい満月がぐにや〳〵してゐる。其の日も矢張り老人は来た。辛は、同じやうに酒を出した。老人はとても美味さうに呑んだ。

二時間許り経つた頃である。何時もは帰る筈の老人が、何やら壁を見つめてぼうつとしてゐる。辛がだうしたと訊ねた處、老人はかう云つた。

 「今日で丁度半年ぢや。毎日〳〵たゞで美味い酒を呑ませて貰つたのぢやから、ちと礼でもしやう。此處の壁、失礼するぞよ。」

さう云つて、何處に隠してゐたのか、徐に筆と密陀僧のやうな顔料とを持ち出して、壁に絵を描き始めた。この翁は絵師だつたのかと獨り合点しつゝ、辛は老人が絵を描くのを見てゐた。忽ち鶴の絵が出来た。中中の出来である。今にも動き出しさうだ。辛の感心をよそに、老人は飄然として去つて徃つた。

 暫くして、四人の農夫がやつて来た。壁には真新しい鶴の絵が有る。だうしたのだと問ふので、辛は何時も呑みに来る老人が書いたのだと云つた。農夫達は少し床しげであつたが、然程気にする訳でも無く、直ぐに筵上の酔客となつた。酔後方に楽を知る、四人は忽ち哄然として高らかに歌い始めた。するとだう云ふ訳か、壁面の鶴が歌に合わせて舞い始めたのである。農夫達は、始めは呑み過ぎたかと思つた。然し、隣席の壮夫は瞠目して已まず、厨房の主人は開口して動かない。だうやら本当に絵に描いた鶴が舞つてゐるらしい。四人は一層高興して痛飲し、仕舞には皆泥酔して卒倒して了うと云ふ有様であつた。

 歌に合わせて踊る鶴の絵が有ると云ふ噂は、立處に海内八荒に至る迄駆け廻り、辛の店は嘗て無い程に繁盛した。何人手伝いを雇つても忙しさは絶えない。辛は、瞬く間に泰山にも勝る富を築き上げた。

 其の年の冬である。晩来の冷雨は既に止んだものゝ、尚厚雲は天を覆ひ、頭を強く押してゐる。高樹は古葉を敷き、朔風は枯蓬を転ばしてゐる。店支度をしてゐた辛の處に、例の老人がやつて来た。彼は鶴の絵を描いて以来、一度も店には来てゐなかつた。

 「おゝ、お久しぶりですナア。あなたの鶴の絵のお陰で、内は大繁盛です。」

 「其れは良かつた。酒代のかはりぢや。」

「いやまう本当に忙しくつて、毎日猫の手も借りたい位です。」

 「鶴の羽なら借りてをるでは無いか。」

 「これは、一本取られましたな、はゝゝゝ。」

老人は、まう鶴の絵は無くとも好からうとて、ぴいと指笛を吹いた。するとだうだらう、壁面の鶴がむく〳〵と動き出して、壁から出て来たでは無いか。辛は亦あんぐりと大口を開けて呆然としてゐたが、老人は恬とした儘、其の鶴に乗つて雲外の彼方に飛んで徃つて了つた。

 辛は後に料亭を改修して、仙人の功を記念する為に高楼を建てた。当時仙人の描いた鶴が、顔料の加減から黄味を帯びてゐたので、其の高楼を称して黄鶴楼と呼ぶ事にした。

 其の後、黄鶴に跨つた仙人を見た物はたれもゐない。

和敬風呂縁起

 

 無論、この小説は虚構である。虚構であるが、私の実体験に根差している事は言うまでもない。混雑した和敬塾の共同風呂の有様は、大方この小説に有る通りである。寮生など、利用した事があれば大体共感頂けると思う。

 

 私は自身の傾向として、余り滑稽に走る事はない。尊敬する知己の草原君や、哲学者青木氏、好男子で東大生の中村氏、東京大学社会学那須氏、実業家を目指している森上氏などとは、屡私の身に合わない位高尚な話などする。自身の日記ではそれなりに身辺の事を真面目に叙述してみたりなどする。

 

 然し、私は自分をそれ程良くできた人間だとは思わないし、真面目だとも思った事はない。けれども、相対的に見て、私は多分に欲情の淡泊な性分であるとは思う。丁度金井、古賀、兒島三氏の「三角同盟」の如くである。従って、お風呂で聞く他寮生の傲慢で欲深い言説に辟易する事も屡有る。大胆に言えば、唾棄すべき鬼畜の様に思われる事さえある。一方では、彼らを斯様に斬り捨てるには、私は余りに未熟にして高尚ならず、欠点の多い人物であるという事も自覚している。その自覚故か、日頃日記や詩文を以て感動を自然に純粋に、さも趣深げに叙述しようとする一方で、感動や経験を多少歪曲して述べたくなる事がある。この小説内にあって笑われないのは虎君だけであろう。「余」は傲慢にもお風呂のあらゆる人物をからかっているが、畢竟「余」も、其の完璧ならざる傲りを読者に笑われるのである。(否、是非とも笑って欲しいです。)

 

 目に映るものを悉く滑稽の大壺にぶちこみたい。そんな思いからできたのが、『浮世風呂』と『吾輩は猫である』とを混ぜて半分に割り、シャワーのお湯で薄めたようなこの拙文なのである。

和敬風呂

 

 

 

 脱衣所の重い扉をぎいと押す。余は、この瞬間必ず男臭は汗臭と殊なる事を実感する。入口附近の棚から皓白たる敷物を取りて湿つた床に置く。這裏に散乱する白布は明らかに菌床と化している。余は潔癖では無いが、風呂上がりの玉の如き足を之れに委ねるのには流石に閉口して了う。脱衣所には大きな窓が二つ許存在する。今は何れも全開で、外から丸見えの状態となつてゐる。しかしここは男子寮である。裸体の一つや二つ等は物の数ではない。窓の外では猫の虎君が香箱を作ってゐる。余は彼に一瞥をくれつつ脱衣する。風呂の入り口には他寮[i]の者共が列を為してゐる。無論全裸である。彼らが別段美しくもない肉道を作るのは、年長者を先に通さんが為である。この男子寮では、だうも年長者が過度に威張り散らしてたまらぬ。余は獨り風呂へ来たものだから、当然入る順序等は不問である。肉道を驀地に突破する。

 風呂へ入る。室内は意に反して混雑してをり、瀑布の如き騒騒しさである。席は辛うじて空いてゐる。余は榻を丁重に洗い、尻を預ける。無思考に湯を出した所、水温が馬鹿に高い。見ると四五度を超えてゐる。屹度、先の使用者は心頭を滅却し得た道心者に違いない。赴粥飯法を奉じ、食堂に五観文を掲示する和敬塾である。風呂で修業を行う者がゐても不思議はない。

 余は石鹸に手をかけた。頭髪を清めつつ、弓手に坐す男をちらと見る。この男、先程から孜孜として獨り隠し處のみを洗つてゐる。目は琅玕の如く光熙を放つてゐる。些か薄気味悪いが、余程大事なのだらう。その更に隣には、先程の肉道達と年長者とが喧囂として話してゐる。「先日銀座の倶楽部にゐる色に会いに徃つて來たんだが、だうも女つてえのは金がかかつて仕方ねえ。女二人のおかげで、一晩でざっと十五万が邯鄲の夢枕さ。おまけに酒代も嵩むから、たまつたもんぢやあない。辰五郎も吃驚だぜ。」等と云ふのは年長者、態度も下腹も立派なものだ。隣の肉道共はただただ、へえへえ言つてゐるのみである。

 彼らのみならず、風呂の騒擾を作り出すのは大方この手の物語である。謂はば、酒池肉林を以て喜見城と為す類のものである。だうやら、洗ふが如き赤貧を伴とする窮措大は、最早常にあらざるやうだ。学徒とて、今日では富を得れば相応に乱れるものである。実際、大学の存在意義は近代のそれから可なり離れてゐる。二六時中学問に励みては、葦編三絶を常とし、十年一弧裘の清貧に甘んじては、質実剛健を旨とするやうな豪傑はをさをさ現れない。学徒にあつて学問は必ずしも絶対的価値を有しない。いみじくもそれを顕著に表すのが、肉道共と年長者との会話なのかも知れない。

 弓手の男は相変わらず隠し處を磨き続けてゐる。眼光は矢張り煌煌としてゐる。それはさて置き、その奥には二人組の男――だうやら先輩と後輩とのやうだ――が何やら物語してゐる。和敬塾の新歓に関するやうだ。

 

「しかし先輩、大声と云ふのは一体全体どうしてあるのでせう。」

「マア、あれだ、和敬のアイデンテヽエみてえなもんだ。」

「アイデンテヽエですか……六つかしいですナア。」

「さうだな。マア、俺は四年だから之れ位考えてゐるが、お前は未だ一年だ。さう六つかしく考えんでも良いだらう。」

「あつしは色色考えた結果、だうも之れは普段の話の種になるだらうと思つてゐたのですが。」

「さうだ、其れは間違いねえ。」

 

 盥漱してゐた余は、派手な爆裂音を伴って口腔より噴射される水を禁じ得なかつた。殊に余のゐる乾寮では、和敬塾の慣習に関する議論に於いて「伝統」と「アイデンテヽエ」とを用ゐる事は単に思考停止を換言したに過ぎないと云ふ見解が普遍的である。自然最も一笑に附す可きラジツクとなる。和敬塾裡で無暗に伝統の語を持ち出す者は、大方伝統と慣習との別さへ附いてをらぬ。簡単に云ふと、可視的で、受動的に継承し得るのが慣習であり、抽象的で、能動的に保守す可きなのが伝統である。和敬塾は慣習が完備されてゐる物だから、だうも無思考に生きる事が出来て了ふのである。獣の如く絶叫し、恭悦して達成感等と云つてをるのは、畢竟、陋習の忌むべき桎梏の陥穽に没してゐる状態に一般である。告朔の餼羊とは訳が違ふのである。

 アイデンテヽエなんぞも大して相違は無い。ちと蟹文字を使つて利口になつた積りなのであらう。これはアイデンテヽエに限つた事では無いが、近頃巷に蟹文字が跳梁し過ぎて弱る。余にはちとハイカラ過ぎて身に合わぬ。和敬での議論の際にアイデンテヽエを奉じる彼らの説く所は大方斯くの通りである。即ち「和敬塾は只の学生寮ではない。ここが『塾』である以上、特有の性質は不可欠である。(故に先輩は威張る可きなのである)」と云ふものである。初めて「ただの学生寮では無い」と云つたのは、和敬塾を創立した前川喜作翁である。然しただの寮では無いから、年長者が無駄に威張つて見せよとは、或ひは狂気じみた事――それこそ普通の学生が更にやらぬ事――を為せとは、喜作翁の絶えて言わざる所である。碌に勉強もせずに夜通し筵に哄然としてゐながら、すまし顔で和敬のアイデンテヽエ等と云ふのである。其れ程差別化したければ、此處は珍しく一つの法人の管理の下に五つも寮が有るのだから、五寮毎の特色を歴然と劃すれば良い。東は運動に集中せしむ。西は音楽美術などの芸術に傾注せしむ。南は政治塾にする。北は実業家の卵許り集める。建築が新たしいのだから、事務所の一、二つなんぞ提供すれば良からう。乾は無論学問である。筆を以て剣に替ふ措大が住む。自然入寮者も「西で舞台美術に傾倒しやう」とか「乾で寸暇を惜しんで学に励まん」等とて分化せられるだらう。その上で寮単位の交流が有れば余程面白からうと思うのだが。而るに、当然ながら之れは湯中の空論である。余は彼らの云ふ「ただの学生寮」が如何なるかを存ぜぬから、和敬のアイデンテヽエたり得る物を声高に断言する事はできぬ。然し敢へて其れを希求せんと欲すれば、五寮編成の活用は軸となるかも知れぬ。

 斯くも心中に獨り贅する間に全身を洗い果てた余は、湯船に向かつた。湯は混濁してゐる。西洋の蹴球者にエヂルだとかオヂルだとかそんな者がゐたやうな気がするが、眼下に波打つは男汁である。満腔を之れに潜するは流石に躊躇われたので、余は湯船の縁に腰掛けて脚湯をしてゐた。湯船の邊には席に坐せずに飽和した者達が列を為してゐる。間もなく湯を被るのに、熱心に前髪を整える者、跪座して居眠りする者、投手の動作を為す者、皆全裸である。裸で投球してゐる者など、希臘にある円盤投げをする男の石像を彷彿するが、あれ程鍛え抜かれてはいない。寧ろ日本の民家にある狸の像に野球帽を被せた物が印象としては近い。

 暫く脚湯をしてゐると、俄かに余を呼ぶ声がする。見れば、知己の赤田君である。彼は徐に余の弓手に坐し、同じく脚湯を始めた。彼は哲学家で、何時も恐ろしく読書に励んでゐる。余と會ふ度毎に神秘主義がだうだとか、プラトオンがだうだとか講釈して見せるので、余は陰かにプラトオン先生と呼んでゐる。彼の、其の濃くて整つた顔附や、ラオコオンの如き隆隆としたる筋骨は、矢張り古代希臘的である。あれ程黄巻青帙の間に起臥し、杳杳冥冥の体で思惟してゐるのだから、何れ神秘の境に遊んでゐたとしても不思議はない。余は、西洋哲学はからきし分からぬので適当に老荘なんぞを以て返してみるのである。

 

「マア一寸聴き給へ。プラトオンによるとだな、理性を越えた所に神秘的な境地と云ふのは確かに存在するのだよ。之れは換言すれば、絶対的境地だらう。」

大鵬九万里の天ですな。」

「恐らく、理性を突き詰めないと其處には到達しえないと見えるね。」

「夫れ知にも亦、聾盲あるが如しと云ひますからナア。考えなくてはならんのでせう。」

「然し、理性だけぢや駄目だ。何か直覚的で衝動的なものが契機として必要だらう。」

「契機と云ふと……。」

「一つには、芸術が有ると思ふのだが。」

「芸術ですか。」

「さうだ。君でも分かる物で云ふと、ダヰンチのラ=ヂヨコンダはだうかね? 実に神秘的な目付をしてゐるだらう。神秘的な領域に身を置かねば、とてもあんなのは描けないだらうね。」

「何、周文の寒山拾得なんぞの方が、余程訳の分からぬ顔附をしてをりますぞ。それに、絵画以外の芸術ではだうです? 例えば文学なんぞ、だうでせう?」

「文学か、確かにさうだ。今時斯く云ふ者は稀だが、あれは確かに芸術なんだ。遠く万葉や古今へ徃かずとも、鷗外や漱石など可なり神秘的で卓越した芸術をする者はゐるんだよ。然しあれだ、今時の大方の文学はとてもぢや無いが、芸術とは云ひ難いもの許りだね。文学とは本来、内容と同様に、否寧ろ其れ以上に美を追求せねばならない物なのだよ。」

「つまり、何を書くかと同じ位だう書くかに意識を傾注すべきなのですな。」

「時に因つては、寧ろどう書くかの方が大事かもしれない。絵画がさうなのと一般だ。處が現代の文学を見給へ、殆どの物は内容の奇抜を以て動魄を狙はんとするか、結末の感銘を以て流涕を誘はんとするかに心血を濺いで、文学の芸術性を全く等閑にしてゐると云はざるを得ないね。」

「其れを云ふと、二年の井瀬君は少しく古めかしい文を書くやうですが、あれなんぞだうです?」

「何、適当に字引を睚眥して漢字をひねくり回しては獨り今鷗外か何かになつてゐる積りだらうが、あれは駄目だ。でたらめに漢語を連ねれば好い訳ぢや無い。あゝ云ふのを、漢語では『乱七八糟』、つまり乱れに乱れて糟塗れになつた物と云ふのださうだ。先の君の寒山拾得に関してもさうだが、訳が分からぬ事と神秘的な事とは全く別物だよ。天地の差だ。ただ、厄介な事にどちらも見かけは杳然としてゐるのだがね。」

「大方は偶無く、大象は形無しと云ふ訳ですな。して、芸術以外に吾吾が神秘の境に近付く手段は有るのでせうか。」

「戀愛なんぞ、だうだらう。肉欲と云ふより寧ろ精神愛、プラトニツクなものだ。あれは、明らかに精神が理性的限界を超えてデイオニユソス的状態になつてゐると云へないかい?」

「成程、舌上に竜泉無く、腋下に清風を生ぜざれども、内は陰かに厶つてゐると云ふ事ですな。確かに、堅物の井瀬君なんぞが表向き闃然としてゐ乍ら秘かに女性の事を考えて懊悩してをるとでもなれば、之れは随分と傑作ですな。」

「全くだ。彼の事だから一念万年の思いで苦悩してゐても、恬として上辺はアポロ的、正に露地の白牛の気で済ましてをるのだらう。」

「まさに神秘的、絶対的ですな、先生。プラトオンも屹度裸足で駆けて徃くでせう。はゝゝゝ。」

「否、それは違ふね、神秘主義と云ふのはだな……」

「おやおや先生、随分とのぼせていらつしやいますな。そろそろお上がりになつた方が宜しいでせう。」

「確かに……さうだな。では、お先に失礼するよ。」

 

 赤田君は不満気だつたが、直ぐに軽く湯を浴びて風呂を出た。余は未だ脚湯をしつつ赤田君との会話を追想する。赤田君の哲学的言説は実に晦渋を極める。余は且つ流し且つ聞きと云ふ体である。恐らく赤田君も余の老荘且つ禅的言説を碌に聞いていまい。畢竟、風呂の話は湯靄と共に消散するものである。已にお隠し君も肉道達も上がつてゐる。余も上がる事としやう。

 余は軽く湯を浴びて風呂を出た。脱衣所は可なり寒い。肌が慄然とする。余は鏡の前を席巻しつつ矢張り酒と肉欲の話を続けている彼らを横目に、持参した拭いで全身の水を取る。我惸獨にして不羣などと陰かに嘯きつつ、余は替え衣の袋を開けた。

 パンツが無い。石造りのダヰデが脳裏に浮かぶ。窓の外では、虎君が変わらず香箱を作つてゐる。虎君は大きく欠伸をした。

 

(平成二七年二月八日)

 

[i]  和敬塾は東、西、南、北、それに乾と名の付く学部生向けの五寮と、院生の住む巽寮と から構成されている。私の住むのは乾寮で、ここで他寮と云うのは巽を除く他の四寮の事である。