どらや記

どらやきはつぶあんが吉。

およそありうべき最善でただひとつの結末——『月球植民地小説』について

 もう5年以上まえ、まだ大学生だったころに書いた文章がみつかった。卒論の構想すら立っていなかったころだ。いま見返すと、あまりスマートではないし、よくないかたちで「批評」の影響を受けている——率直にいうと毒されている——感じが否めない(もちろん「批評」自体はよいものだ)。とはいえ、最低限ポイントを押さえているようには見えるし、扱っている小説もまあ珍しいものなので、ここに置いておくくらいならよいかと思った。あまりこのブログを見ているひともいないだろうから、いわば公の場に死蔵するといったところだろうか。

 

   ***

 

空を飛んで旅をする、だって ! あいつは今、鷲をうらやましがっているんだ。でも、そんなことをさせちゃだめだ ! わしはやめさせてみせる。あいつに好きなようにさせておくと、いつか月にむかって飛んでいってしまうぞ!
ーージュール・ヴェルヌ『気球に乗って五週間』

 

 

 ケン・リュウ(劉宇昆)の短編集『紙の動物園』や『もののあはれ』が日本で話題となり、テッド・チャン(姜峯楠)の「あなたの人生の物語」をもとにした映画『メッセージ』が大ヒットしたことなどを受けて、中華系の作家によるSF、いわゆる「中華SF」がにわかに日本で脚光を浴びつつある。早川書房の発行する「S-Fマガジン」の2017年6月号では「アジア系SF作家特集」が組まれ、ケン・リュウや「折りたたみ北京(北京折叠)」で知られる郝景芳らが紹介された。おそらく、中国人によるSFの金字塔である劉慈欣の『三体』が翻訳されたとき、この流れは一度ピークを迎えることとなるだろう。
 とはいえ、当然ながら、中国人(あるいは中華系の人びと)は近年になってはじめてSFを書きはじめたわけではない。一般的に、中国のSF史は、「SFの父」ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』が翻訳されたことをもってはじまるとされている*1。1900年のことだ。つまり、中国のSFにはおおよそ100年あまりの歴史があることになる。そして中国人の手によるはじめてのSF小説は、1904年に書かれた「月球植民地小説」(以下「月球」)である*2

 

 ## 1

 

「月球」の作者は荒江釣叟だとされているが、このあからさまなペンネームの持ち主が誰なのかはよくわかっていない。雑誌「綉像小説」に第31回まで連載されたのち休止し、やがて再開したものの第35回で再び連載が止まり、そのまま未完となった。そしてその後の長い忘却を経て、1981年に作家の葉永烈によって「再発見」される*3
「月球」の物語は、中国の文人龍孟華が敵討ちと称して役人を殺害するところから始まる。龍孟華は妻と国外逃亡を図るものの、船の事故で妻が行方不明となってしまう。龍孟華は失意のままに南洋(具体的には英国領マレー半島)で八年の時を過ごすのだが、ある日「気球」に乗って突然あらわれた日本人藤田玉太郎らの協力を得て、妻を探してニューヨークからロンドン、アフリカ、インドや東南アジアをめぐる旅に出る。
「月球」を少し紐解けば明らかなように、この作品は旧態依然たる文人気質の龍孟華と、科学やテクノロジーに明るく先進的な藤田玉太郎のくっきりした対比を軸に物語を展開させている。英語と中国語を自在に操り、欧米人にも作れないほどのすぐれた「気球」を発明し*4、なおかつ冷静沈着で義侠心も持ち合わせる玉太郎が順調に旅を進めるいっぽうで、外国語も出来ず*5、酒と詩作にばかりふけり、折に触れて妻の不在を嘆いては吐血し卒倒し続ける龍孟華は、一貫して足手まとい以外の何者でもない。とはいえ、近代化≒西洋化が日本人によって象徴され、伝統中国がそれに対置されるというこの構図自体はさほど興味深いものではない。この小説で興味深いのは、むしろ物語の最後でこの構図が逆転するところにある。
 玉太郎らの尽力によって、龍孟華は無事に妻の鳳氏と再会するのだが、その直後に彼らは月から来たという宇宙人と遭遇する。そこで龍孟華は鳳氏が漂流中に生んだという息子と奇跡的な出会いを果たし、いっぽう玉太郎は月から来た「気球」が「自分のものよりはるかに強力である」と感じ、宇宙人との技術の差に絶望する。

 

    このちっぽけな月だけ見たとしても、文明はここまで発達しているのだ。あるいはもう数年もすれば、植民地を開拓するためにわれわれの地球へやって来るかもしれない[……]月でさえこうなのだから、金・木・水・火・土の五つの惑星や天王星海王星のすべてに人が生息しているなら、そしてそれぞれが文明を持っているなら、その強さはわれわれの何千何万倍、いや数えきれないほどのものとなるだろう。もし彼らがわれわれと接触してきたら、一体どう対処すればよいのだ?*6

 

 かくて終始冷静沈着だった玉太郎は発狂し、月へ行けるほどの新しい「気球」を開発しようとして重傷を負うのだが、いっぽうで、龍孟華は鳳氏との再会によってすっかり元の気力を取り戻し、宇宙人(および息子)に従って月へ「遊学」にいってしまう。小説はここで未完のまま終わってしまうため、この後どうなるかは誰にもわからないが、おおかた月で最先端の技術を習得した龍孟華らが玉太郎を超える科学者、発明家となって帰還すると見て間違いないだろう。なかには、北京師範大学の賈立元のように「地球が月と〔武力〕衝突を起こし、〔敗北して〕月の植民地となるのだが、龍孟華ら親子の活躍によって中国は災厄をまぬがれ、物語は大団円をむかえることを暗示している」とまでいう人もいる*7。つまり、「月球植民地小説」とは、地球人が月を植民地にする小説ではなく、月によって地球が植民地にされる(かもしれない)小説なのだ。

 こうして全体を俯瞰するだけでも明らかなように、この小説には近代化と伝統や、人種をめぐる対立、それから科学技術や植民地主義の問題にまつわる論点がいくつも配置されており、「月球」に関するほとんどの議論はこれらの点をめぐって展開しているといってよい。
 とはいえ、こうした点にのみ注目した場合、この小説でもっとも興味深い点は、終始一貫する「未開(東南アジア、伝統中国、有色人種…)と文明(日本人、西欧人、白人…)」の対立の構図(むろん、単純な二項対立ではない)が、そのすべてを超越する「宇宙」という審級によって相対化され、ひいては「未開」の象徴だった伝統中国の文人が一足飛びに「宇宙」的な存在へと変身を遂げることによる価値転倒にある、ということになる。それはそれで結構だが、しかしそのように判断を下した瞬間、われわれは必然的にこの小説が未完であることを欠陥としてしか捉えられなくなってしまう。なぜなら、上記の価値転倒は、作品が未完であるために、あくまで可能性として見出されるにすぎないからだ。たとえば、さきほど引用した賈立元は次のように述べている。

 

    小説は第35回で中断されており、作者の“荒江釣叟”の正体はいまだによく分かっていない。すでに書かれた十数万字の〔テクストの〕中には、同時代を批判しようとする熱い思いや広大な構想が見られるが、しかし妻を探す冒険の旅や亡国を救う志士〔の物語〕から宇宙戦争に至るまでを同時に語ることは、じつに作者の力に余ることであって、物語のテンポも悪く構造もバラバラになってしまい、結局連載の継続が困難となった。*8

 

 こうした見解そのものはじつにもっともであり、中断された後に続いたであろう物語の可能性を想起すれば、もはや反論する余地も理由もない。しかし/だからこそ、われわれはここで、あえて「月球」が未完であることの意味を積極的に考えてみたい。つまり、じつは中国最初のSF小説「月球植民地小説」は、ほかでもなく未完であることにこそ意義があるといいたいのだ。それは、可能性としての価値転倒をあえて見出さないこと、いやむしろ価値が転倒しないまま終わったことに注目することで可能になるだろう。
「月球」が未完であることに意義を見出すこと。そのためには、物語に通底する「未開−文明」の構図は引き受けつつも、そこから人種や植民地の問題へゆかないようにしなければならない。そこで、われわれはまず、この小説が旅の物語であることに注目したい。

 

 ## 2

 

「月球」における旅について考えるためにふたつの小説を参照することにしよう。ひとつめはジュール・ヴェルヌの『気球に乗って五週間』だ。
『気球に乗って五週間』は、みずから発明した気球によって初の空路によるアフリカ横断を目指すイギリスのファーガソン博士らの冒険を描いたもので、同様に気球を用いた旅を物語の中心とする「月球」は、しばしばこの作品の影響を色濃く受けているとされる*9。とはいえ、たいへん重要なことに、「月球」に登場する玉太郎の「気球」は、「客を迎え入れるロビーや、身体を鍛えるためのジムに加えて寝室や大きな食堂がある」*10とあるように、じつは気球と呼べるようなものではまったくなく、むしろ巨大な飛行船や飛行機に近い。「月球」が旅のツールとして「気球」を導入したのは『気球に乗って五週間』の影響かもしれないが、その「気球」とヴェルヌの気球の間には相当のずれがある。そしてこのずれの中にこそ、「月球」における旅を考える重要なカギが隠されているのだが、それを確認するためには、ひとまず『気球に乗って五週間』の内容を簡単に追う必要がある。
 さきほどもいったとおり、この小説は空路によるアフリカ横断を目指す探検家ファーガソン博士の冒険を描いた物語である。当時空路によるアフリカ横断はまったく前例のない試みであり、ファーガソン博士の計画が公表されるやいなや、たちまち「嵐のような疑いの声」が上がった*11
 とはいえ、ファーガソン博士が空路を選んだのは、それがなにより安全な手段だったからだ。ファーガソンは空路のリスクを危惧する友人(彼も旅に同行する)にこのようにいっている。

 

    恐れることなんかあるだろうか。気球が墜落しないように、わたしがどんなに念入りに考えているか今にわかる。もし万が一落ちたとしても、地面に下りてふつうの探検家と同じ条件になるだけだ。だが、わたしの気球は大丈夫だ。そんなことは考えなくていい。[……]気球がなかったら、こういう探検につきものの危険と障害のまっ只中にほうりこまれる。気球に乗っていれば暑さも、急流も、嵐も、熱風も、からだにわるい風土も、野獣も、原住民も、恐れるものはなにひとつない。*12

 

 それからいささかくどいほどに技術的細部が語られたあと(とくに7章や10章)、博士は勝ち誇ったように宣言する。「成功に必要な条件は全て整った」(第29段落)。
 ところが、旅のなかでは「暑さも、急流も、嵐も、熱風も、からだにわるい風土も、野獣も、原住民も」、どれ一つ欠けることなく博士たちの前に立ちはだかることになる。彼らは熱にうなされ、雷雲を突き抜け、砂漠で極限状態に追い込まれ、鷲に気球を破られ、たびたび原住民に襲われる。結局博士たちは横断に成功するのだが、気球は急流に流され、滝壺の奥底へ消えてしまう。
 彼らの冒険譚自体はじつにスリルに満ちていてよいのだが、そもそもこの旅は博士の最先端のテクノロジー(気球)によってあらゆる「危険と障害」から解放されるべきものであったことを忘れてはならない。つまりこの小説は、人びとが科学やテクノロジーに託す安全性への信頼が、ときに幻想にすぎないことをわれわれに教えてくれる。とはいえ、元も子もないことをいえば、そもそも多少なりとも冒険的要素のあるSFにとって、「最先端のテクノロジー」ほど危なっかしいものはない。それはつねに「予期せぬ」アクシデントにみまわれる。安全な冒険などないのだ。

 しかし、である。このやや平凡な知見を念頭に置いたわれわれにとって、「月球」における旅は少なからず異様にうつる。なぜなら、彼らの旅はあまりに安全だからだ。玉太郎の「気球」は一度たりとも損われないし、龍孟華を除いては、だれも事故らしい事故に遭わない(龍孟華については後述する)。例外的にインド洋にあるという架空の島々をめぐって冒険する場面があるが、玉太郎らはつねに科学とテクノロジーによって完璧に守られる。原住民や野獣に襲われても、彼らはまったく歯牙にもかけないか、せいぜい圧倒的な火力でねじ伏せるだけである。たとえば、中国の南宋末期に蒙古軍からのがれた人びとの末裔が住んでいる「魚鱗国」という島で、玉太郎らは帰り際に現地の「秀才」たちに襲われるのだが、その場面は次のようになっている。

 

 魚拉伍〔一時的に同行していたイギリス人医師〕が窓にもたれて下を見ていると、とつぜん馬車から矢が何本か飛んできた。彼らが何をしたいのかはよく分からなかったが、とにかくモーゼル銃を手に打って出ようとすると、玉太郎が彼を止めて言った。「あいつらはあいつらで矢を飛ばしてるだけだ、われわれには関係ない。いまはやるべきことがある、あんな古くさい秀才どもを相手にするな。」そう言って、技師に南方へ迂回するよう言った。*13

 

 このほか、魚拉伍が獅子に腕を食いちぎられるというアクシデントがあり、おそらくこの場面で(あるいは作中で)最大の危機であるのだが、しかし彼らはまったく怯むことなく腕を取り返し、爆薬で獅子の群れを秒殺したあと、西洋医学に通じたインドの医者によってたちどころに「いつもとなんら変わらない」状態まで完璧に回復してしまう*14
『気球に乗って五週間』がそうであったように、「月球」には科学とテクノロジーへの期待と信頼が通底している*15。しかし「月球」では、それが裏切られることは決してない。そして、その限りにおいて彼らの旅は絶対的な安全を保証されるのだ。

 少し旅からは遠ざかるが、ここで「月球」と科学およびテクノロジーについてもう少し掘り下げてみよう。
「月球」において玉太郎が「気球」に乗って登場するのは第五回なのだが(玉太郎単体ではそれ以前にも登場している)、興味深いことに、それまでの四回分の間、物語はおどろくほどに悲劇的な色彩を帯びている。冒頭で龍孟華が妻とはぐれるだけではない。マレー半島へたどり着いてすぐに、龍孟華は優秀で人望厚い唐蕙良という女性と出会うのだが、彼女は登場後まもなく父を無くしてしまう。南方系の中国商人とユダヤ人宣教師らの資本をバックに、門人を率いて長江一帯で反乱をおこそうとしたのが露呈して処刑されたのだ*16。それにともなって、マレー半島に滞在していた彼の門人の一族が連座に遭って本国で皆殺しにされるなど、冒頭ではとにかく災難がつづく。そして彼らに出来ることは、せいぜい恨みを引きずるか、あるいは天を恨み、嘆くことだけである。龍孟華はしばしば酒杯を片手に月へ嘆息し、冒頭で龍孟華夫妻を助けた憂国の志士・李安武は中国を「暗黒地獄」だと断じ、不条理な世界を嘆く。

 

 蒼天よ、ああ蒼天よ! なぜお前はこんな世界をつくり上げたのだ? まさか、この世界のほかに別世界は存在しないとでもいうのだろうか?*17

 

 しかし、玉太郎(というよりむしろ「気球」)の登場によって事態は一変する。玉太郎は決して天に嘆くことはない。もっとも象徴的なのは旅の最初に立ち寄ったニューヨークから出発する場面だ。そのとき、唯一あった妻の手がかりが失われたショックで「内臓を吐き出さんばかりに」激しく吐血したあげく、自殺したいと泣き言をいい出した龍孟華へ玉太郎が次のようにいうところである。

 

    龍さん、物事を計画して進めるのは人間の仕事ですが、それがうまくいくかどうかは天次第です。ですからわれわれは出来る限りやり遂げなければなりません。天をうらんでもむだなことです[……]ましてやあなたもご存じのとおり、私の気球は汽車のように遅くはないのですから*18

 

 こうした玉太郎の世界観を支えているのは、「気球」をはじめとする自身の科学とテクノロジーへの信頼である。そして、すでに見てきたとおり、玉太郎らはテクノロジーに守られた安全な旅をつづけ、無事に妻の鳳氏のもとへとたどりつくのだが、その後すべてを取り戻した龍孟華らが宇宙へ旅立ち、いっぽうの玉太郎は宇宙へ行けずに(絶対的な技術的優位性を失ったことで)発狂することも念頭に置くと、この小説における科学やテクノロジーへのまなざしがより一層明瞭になるだろう。つまり、われわれが「月球」から読み取れるのは、人生の不条理から人間を救済するのは科学であって詩でも酒でもない。蒼天とは仰ぐものではなく、むしろ文字通り蒼天へとゆけるものだけが不条理な世界から救済されるという、一種の極端なテクノ・オプティミズムなのだ*19(それを裏づけるように、後半第30回には、李安武が中国で反乱を企てたことで政府に捕らえられるという場面がある。冒頭で世界の不条理を示す要素としてあった唐蕙良の父の死がここで反復される。しかしこの場面では、玉太郎の「気球」と塩素を用いた兵器によって、処刑されるすんでのところで救出に成功する。ここでも人間を悲劇から救い出すのは科学である。この対比はじつに印象的だ)。

 さて、話を旅へ戻そう。さきほども述べたとおり、「月球」における旅は絶対的な安全性を確保されたものであった。それは決して主観的な安心感ではない。そして「月球」の旅には、安全性に加えてもうひとつの大きな特徴がある。それは反復すること、つまり作中での旅がほとんど既知の場所へおもむくものであることだ。
 じつは、玉太郎は龍孟華らと旅立つ以前から、すでに「気球」でなんども世界各国を旅している*20。さきほど唯一冒険的であるといったインド洋の島々に関しても、「[人が住んでいる]110の島のなかでも、玉太郎が遊びに行ったことのあるのが20以上はあ」ったという*21。また、賈立元がいうように、玉太郎の「気球」は世界中を飛び回っているように見えて、じつは「つねに日本およびその[当時の]盟友である大英帝国アメリカの勢力範囲内から出ることがない」*22
 ところで、哲学者の東浩紀は、大衆消費は「反復」と深く関わっており、観光もその例外でないと述べた上で、次のように述べている。

   

ぼくは観光客をテーマに本を書きましたが、知らないところに行く探検家と、知っているところに行く観光客は根本的にちがう存在ですね。そして観光の本質は、この「すでに知っている場所に行く」というところにある。*23

 

 また、「反復」とならんで観光の本質的条件となるものに安全性があるという。「観光客は、そこが安全な場所であり、だれからも特別の配慮を求められないからこそ、自由に町を歩き、食事をし、お土産を買って買って自宅へ帰ることができる。」*24
「月球」における旅は、「気球」をはじめとする最先端の科学とテクノロジーによって絶対的な安全を約束されている。そして玉太郎にとって、ほとんどの目的地はすでに知っている場所である。要するに、「月球」の旅は『気球に乗って五週間』のような探検の旅ではなく、むしろ観光旅行というべきものなのだ(この旅には玉太郎の妻である濮玉環も同行するのだが、興味深いことに彼らはそれを「新婚旅行」だとみなしている*25)。

 とはいえ、これはあくまで「気球」の発明者である玉太郎(やその妻)にのみいえることであって、龍孟華は事情が大きく異なっている。
 たいへん興味深いことに、じつは龍孟華は、玉太郎らの旅の多くにそもそも参加していない。正確にいうと、彼は訪問先で拘束されたり折に触れて吐血・卒倒し続けたために、ほとんどの時間を「気球」や監獄、病院のなかですごすのである。
 たとえば、ニューヨークではパスポートを所持していなかったために到着直後に拘束され*26、ロンドンでも到着直後にかつて見合いでトラブルになった女性を見つけて激しく狼狽し、玉太郎に急いで「気球」へ押し戻される*27。その後ムンバイで彼の一連の体調不良や吐血癖が八股文に心臓を侵された(!)ためだと発覚し、「心臓を洗う」手術を受けるのだが*28、その結果、「月球」の旅の山場であるインド洋の島々をめぐる旅にはまったく参加せず、およそ一週間に渡って「気球」のなかで眠り続けることになる*29

 玉太郎は信頼すべき科学とテクノロジーに守られた観光客である。しかし、彼と同行しているはずの龍孟華は、大胆にいえば、その徹底した不能性ゆえにいくども世界の旅に失敗しつづける存在であるといえるだろう。(旅先でインフルエンザにかかって観光旅行を棒に振るタイプの人間だと卑近にいい換えてもいいかもしれない)では、この対比はなにを意味しうるか。

 そのためにはもうひとつの小説を読まねばならない。それは『カンディード』である。

 

カンディード』はフランスの思想家ヴォルテールが書いた小説であり、ウエストファリアに住む青年カンディードの旅を描いたものである。カンディードは家庭教師パングロスからライプニッツの「最善説」を教わり、美しい貴族の娘キュネゴンドに恋をしていた。
 しかし、そんなカンディードは、ある日キュネゴンドをめぐるトラブルから町を追われてしまい、ヨーロッパ北部や地中海から南米へいたるまで世界各地をさまよう旅に出る。その旅のなかで、彼はときに戦争に巻き込まれ、大地震に遭い、大量の宝石を手に入れるなど波乱に満ちた経験をする。同時に、旅のなかで多くの人と出会うことによって、カンディード自身には想像もつかないような悲惨なことが世の中には存在することを知ってゆく*30。そうしたなかで、カンディードは、かつてパングロスから教わった最善説を疑うようになっていく。

 

「おおパングロスよ!」とカンディードは叫んだ。「お前にはこのようなあさましいことを見抜く明がなかった。万事休すだ。とうとうわたしはお前の楽天主義を棄てねばならないのか」

楽天主義って何なんで?」とカカンボがいった。

「ああ!」とカンディードは答えた。「それは不幸な目にあってもすべては善だときちがいのようにいい張ることだ」*31

 

 そして、長い旅の果てに、カンディードはパングロスやキュネゴンドらと再会する。パングロスは梅毒にかかってやつれ果て、キュネゴンドは見るも無残なほどにかつての美貌を失っていた。しかし、それでもなおパングロスは自身の最善説を否定しない。なぜなら「個々の不幸が多ければ多いほど、すべては善」であるからだ*32

 これが『カンディード』の内容だ。一見して明らかなように、この物語は最善説の批判を目的としている。つまり、カンディードをはじめ多くの人が悲惨な経験をし、カンディード自身が最善説を疑うようになるまでのプロセスを提示することによって、この世界には「まちがい」があるということ、あるいは現実には、つねに想像を超えた悲惨な現実があるかもしれないという認識を読み手に与えようとしているということだ。東浩紀はこうした『カンディード』における試みを「思考実験としての世界旅行」と呼んだ*33

 旅によって人びとの価値観や世界観が変わること、またはその過程をフィクションのかたちで、一種の思考実験として提示すること。『カンディード』は、旅の物語のもつそのような可能性をわれわれに示している。そして、『カンディード』が最善説とその否定の対立構図を軸に、前者から後者への変化を描いていたように、「月球」はその旅の物語の中で、いくども未開と文明と対比させ、後者の卓越を描いた。
カンディードは旅によって最善説を疑い、その過程を通じて読者は世界の「まちがい」の可能性を考える。ならば、同じ「思考実験としての世界旅行」として「月球」に期待されたのは、ほかでもなく未開の象徴である龍孟華が、旅を通じて文明の卓越や未開であることの悲惨さを知り、多少なりとも文明の側へと変化するという物語だといえるだろう。じっさい、多くの人が指摘するように、玉太郎らが遭遇する架空の島々に住む架空の原住民は伝統中国を戯画化したものであり*34、こうした要素や、科学やテクノロジーを中心とする文明の強力さを描くことを通じて、作者の荒江釣叟は同時代の中国を批判しようとしていた。つまり「思考実験としての世界旅行」を通じて、読者に近代化の重要性を認識させようとしたわけだ。
 とはいえ、肝心の龍孟華には、作品の冒頭からほとんど変化がない。なんどもいってきたように、龍孟華は最初から最後まで無知蒙昧な役立たずであり、八股文による心臓疾患から回復したあとも懲りずに詩を書きつづけている。作者によるその描き方はときにかなり皮肉的だ。たとえば第23回には、龍孟華が自分の詩に夢中になるあまり尿壺を蹴倒してしまう場面がある。たまった尿が部屋中にぶちまかれて「気球」内はたちまち騒ぎになるのだが、当の本人は気にもかけずにじっくり清書推敲をし、慌ただしく処理をする玉太郎に「杜工部〔杜甫〕と比べてどうだろう?」と笑顔で問いかけるのだった*35
 旅の物語によってカンディードが変わったようには龍孟華が変わらなかったのはなぜか。それは、さきほどもいったように、龍孟華が旅をしているようでじつはあまり旅に参加していなかったからだ。とりわけ、伝統中国の縮図であったインド洋の架空の島々にほぼ立ち入っていないことは注目すべきである。読者はすぐれた思考実験としてあの探検の場面を読むだろうが、そのとき龍孟華は術後の回復を待って「気球」で眠りつづけていたのだ。この点はなんど強調してもしすぎることはない。

 

 いったん整理しよう。
『月球植民地小説』は「気球」に乗って世界を旅する物語である。「気球」の持ち主である玉太郎にとって、その旅は危険と発見にみちた冒険の旅というより、むしろ安全ですでに知っている場所へいくような観光旅行であり、その安全性は特権的な科学とテクノロジーによって保証されていた。とはいえ、「未開」の象徴である龍孟華は、その不能性ゆえに何度も旅から離脱する。その結果、彼は無事に妻と再会したものの、旅による変化も成長もなく、結局「未開」の状態に甘んじつづけることになる。そしてわれわれ読者は、このすべてを「思考実験としての世界旅行」として受け取ることになるだろう。

 玉太郎は観光客である。だが龍孟華はそうではない。龍孟華がいつまでも蒙昧で古くさくて「未開」なのは、彼が旅をしているようでじつはあまり旅をしていないからだ。これが、旅に注目して「月球」を読み解いたわれわれの、ひとまずの結論である。
 だが、すでにお気づきの方もいるだろうが、これ以上話を進めるのはいささか危険である。なぜなら、われわれは龍孟華が最後の最後で月へ旅立つことを知っているからだ。つまり、これ以上旅に関する話を進めることによって、われわれは必然的に龍孟華が宇宙を旅することによって「未開」から劇的な変化を遂げる可能性に言及せざるを得なくなる。それはそれで面白いかもしれないが、はじめにいったとおり、今回の目的はあくまで「月球」が未完であることにこそ意義があると言うことである。そのためには、ここで「月球」と旅に関する議論を終えるしかない。それはやむを得ないことだ。

 

 ## 3

 

「月球」は未完の小説である。それゆえ、そこには無数のありえたかもしれない結末の可能性が見出されることになるだろう。そして、おそらくそのほとんどが、最後に示された龍孟華らの月への「遊学」を手がかりに、物語に通底していた「未開−文明」の構造の転倒を、いわば伝統中国の文人による「宇宙」的存在への転換を前提するだろう。だが現実には小説は第35回で終了し、龍孟華はあくまで「未開」の存在のままであり続ける(厳密には、月への旅による変化が明らかにされないまま、物語が宙吊りにされる)。その理由はすでになんども述べた。
 たしかに、この小説が未完という結末を迎えたことは惜しむべきかもしれない。物語としての面白さを追求するならなおさらだ。しかし、「月球」の連載から百年以上がたったいま、われわれにとって重要なのはむしろ、この小説がかくも科学とテクノロジーの全能性を説き、文明や社会の優劣すらそれによってはかられるような世界観を提示しているにもかかわらず、その主人公*36に対しては、いわば個人のあり方として、伝統中国の価値観を保持することを許している——いや、むしろ結果的に許すことになってしまった——という点である。なぜなら、この構図は「月球」が書かれた1904年における中国の思想史的状況と見事に一致しているからだ。

 どういうことか。
 思想史家の金観濤と劉青峰によれば、日清戦争義和団事件を経た20世紀初頭の中国において、儒学がその社会や普遍性への回路を絶たれつつも、たんなる学問的関心とはべつの「私徳」として、いわば個人のありかたとして居場所を確保しえた時代が、新文化運動までの十数年のあいだだけ存在したという。

 

    厳復が『天演論』を翻訳した直接的な動機のひとつは、道徳が時代とともに進化するということを証明することだった。しかしながら、1900年以後の知識人の多くは進化論を社会制度や宇宙的秩序に限定し、個人の道徳や家庭の倫理までには広げなかった。つまり、1900年から1915年のあいだ、科学一元論は不完全さを強いられ、道徳と宇宙がふたつの異なる領域に分断されたのだ。*37

 

 結論へ急ぐまえに、金観濤らの議論を簡単に整理しておこう。
金らによれば、中国の伝統社会の特質とは、個人や家族から皇帝へ至るあらゆる社会組織や政治的権力が儒家思想というひとつの統一的なイデオロギーによって基礎づけられていること、もっと本質的にいえば「社会の制度と道徳的理想が同一化している」ことである*38。彼らはこれを念頭に置きつつ、これを補強する役割を果たしていた儒家の道徳論を「天人合一(普遍的な「天」の道徳性を社会や個人へ演繹するかたちで道徳を説く)」モデルと「道徳価値一元論(個人に宿る道徳性を起点に、社会や国家を語る)」モデルの二つに分類している*39。とはいえ、いずれにせよ重要なのは、個人の道徳的な向上がそのまま社会の/での向上へと直結する(少なくともその可能性がある)と考えられていたことであって、その点ではどちらのモデルも同じである*40
 とはいえ、中国社会のこのような社会構造は、外来的な要因によってしばしば危機に瀕している。具体的には魏晋南北朝期(天災や異民族の侵入、それから仏教伝来)と清末民初(西洋文明あるいは日本の衝撃など)がそれであり、さきほど引用した『中国近代思想の起源』における問題意識は、おおよそ両者の比較を通じて、社会組織と一体化したイデオロギーの危機・解体と再構築のプロセスに一定の法則性を見出そうとするものだ。その法則とはすなわち、儒家思想の道徳性と社会の/での向上が一致しなくなったとき、はじめは道徳への強い拒否感が生じることで外来思想が儒家思想のアンチテーゼとして導入されるが、儒家思想が完全に否定されてしまうと、やがてそれに代わって社会組織と一体化しうる「道徳」が要請されるため、結局「天人合一」モデルか「道徳価値一元論」モデルの構造を持つ思想が選択的に受容され影響力を持ち始めるようになるというものだ*41
 以上の観点をもとに宋明理学の形成や近代中国の思想的挑戦を論じてゆく金らの議論はたいへん興味深いものだが、ここではさきほど引用した箇所に関わる部分だけ紹介しよう。よくいわれるように、清末の中国で最大の衝撃は(アヘン戦争などではなく)日清戦争の敗北であった。それはたんに伝統的な価値観における「夷狄」への敗北というだけでなく、李鴻章曾国藩らを中心に、19世紀後半にわたって推進された洋務運動の失敗を意味するものでもあった。
 こうして儒学と一体化した社会構築そのものに疑念が生じた結果、儒学打ち砕くためのアンチテーゼとして導入されたのがマルクス主義的な唯物論と社会ダーウィニズムだった。ところが、きわめて重要なことに、ヨーロッパではほぼ同時に誕生した両者だが、じつは中国への受容には15年ほどの隔たりがある。つまり、厳復によって『天演論』が翻訳されたのは1898年だが、マルクス主義の翻訳は新文化運動が活発化する1915年以後を待たねばならない。そして、金観濤らは受容のずれによって偶然生じた十数年における儒学の特殊な状態——「儒家の倫理と社会の制度を相互に無関係なふたつの領域に分断し」、「儒学を私的な生活空間まで退却させ、一切の公共的な領域では近代的な価値観を採用した」——を「二元論の儒学」と呼んだ*42。そして「月球」は、ほかでもなく「二元論の儒学」の時代に書かれた小説だったのである。

 すでに見てきたように、「月球」は科学が完全勝利を収めた世界で、伝統中国の価値観を引きずる文人が、みじめながらも伝統的な文人として生き続ける小説である。いや、ほんとうは月への旅で変われたのかもしれない。もはや社会の/での向上をこれっぽっちも約束してくれなくなった伝統的な価値観を、宇宙の彼方へ投げ捨てることができたのかもしれない。しかし彼はそうはしなかった。いや、結果的にしないままに終わってしまった。なぜなら小説が未完に終わったからだ。
「未完」ということばほど可能性への想像をかきたてるものはない。だが、それでもなお、龍孟華がみじめな文人のまま終わってしまったこの結末こそ、およそありうべき最善でただひとつの結末だと断言したい。なぜなら、「月球植民地小説」はこのアクシデンタルな幕切れによって、またおそらく書き手の意図に反して、中国の思想史上じつに稀有な「二元論の儒学」の時代をこれ以上になく象徴する小説となってしまったからだ。

 

 

*1:叶永烈“中国科幻小说发展简史”,叶永烈主编《大人国(中国科幻小说世纪回眸 第一卷)》,福建少年儿童出版社,1999年,第3页。

*2:同上,第6页。本稿では同書に収録された版を「月球」の底本とする。そのため、以後「月球」に関連して提示するページ番号もまた、同書にしたがうものとする。

*3:贾立元“晚清科幻小说中的殖民叙事——以《月球殖民地小说》为例”,《文学评论》2016年05期,第118页。

*4:《月球》,第35页。

*5:《月球》,第24页。

*6:《月球》,第167页。

*7:贾,2016年,第124页。

*8:同上,第118页。

*9:叶,1999年,第6页。

*10:《月球》,第21页。

*11:ジュール・ヴェルヌ『気球に乗って五週間』、手塚伸一訳、集英社、1993年、(Kindle版)、第2章第8段落。

*12:同上、第3章第64-66段落。強調筆者。

*13:《月球》,第78页。

*14:同上,第85-88页。

*15:同上,第28页。

*16:同上,第14页。

*17:同上,第8页。

*18:同上,第38页。強調筆者。

*19:本文では詳しく触れないが、「月球」における科学へのまなざしを如実にあらわす特徴として、およそ作中に登場する科学的意匠に対して、その技術的細部が描かれないという点が挙げられる。「気球」も内装の描写こそされるものの、『気球に乗って五週間』に見られたような素材や設計、作動原理についての説明はない。同様に、西洋医のあらゆる治療行為には「薬水」なる謎めいた万能の道具が登場するが、これも具体的にどのようなものなのかまったく明かされない。まるで「細かいことは何だかよくわからないけれど、とにかく科学はすごいんだ」とでも言いたげなこの態度は、あるいは西洋の科学とテクノロジーへの恐れの裏返しであると言えるかもしれない。とはいえ、この点について掘り下げるのは本稿の問題を越えている。いずれにせよ、本稿でオプティミズムと言っているのは、こうした点にもかかわっている。

*20:同上,第46页。

*21:同上,第62页。

*22:贾,2016年,第120页。

*23:佐藤大、さやわか、東浩紀サイバーパンクに未来はあるか」、東浩紀編『ゲンロン7』、ゲンロン、2017年、238頁。

*24:東「ダークツーリズム以後の世界」、『ゲンロン3』、ゲンロン、2016年、19頁。

*25:《月球》,第30页。

*26:同上,第31页。

*27:同上,第39页。

*28:同上,第55页。

*29:お同上,第60页。

*30:この小説に登場する人物はおしなべて悲惨な目にあっている。そして重要なことに、彼らは腹を割かれようが絞首刑にされようが決して死ぬことはない。なぜなら、生き残ったものだけが「世界が最善である」ことを疑えるからだ。

*31:ヴォルテールカンディード』、吉村正一郎訳、岩波文庫、1956年、98頁。

*32:同上、29頁。

*33:東『ゲンロン0 観光客の哲学』、ゲンロン、2017年、73頁。

*34:邹小娟:“二十世纪初中国“科幻”小说中的西方形象——以荒江钓叟《月球殖民地小说》为中心”,《海南师范大学学报》2013年02期,第25页。

*35:《月球》,第117页以下。

*36:玉太郎と龍孟華のどちらが主人公かというのはじつに難しい問題だが、おそらくどちらもというのがもっとも穏当な考えだろう。

*37:金观涛、刘青峰《中国现代思想的起源:超稳定结构与中国政治文化的演变》,法律出版社,2011年,第326页。

*38:同上,第15页以下。

*39:同上,第20页

*40:フランスの哲学者フランソワ・ジュリアンは、孟子についてこのように語っている。「孟子にとってこの道徳的な要請は、見てきたように、この世界で勝利を収める最善の方法であり、世俗的な幸福をもたらす「転ばぬ先の杖」にほかならない」。フランソワ・ジュリアン『道徳を基礎づける』、講談社学術文庫、2017年。

*41:金、刘,2011年,第47页。

*42:同上,第212页。

死なない身体の生かしかた——劉慈欣と技術的永生の問題

 香港の哲学者ユク・ホイは、2020年の世界的な感染症の危機に際して、医学的ないし技術的な手段によって死を克服しようとする精神は「ハムレットの文化」を継承するものではないかと述べている。

 

というのも、ヴァレリーの論考〔1919年の「精神の危機」〕から100年を経たいまもなお、私たちはいつか不死身になれると信じてきたし、まだ信じ込もうとしているのだから。つまりひとは、やがて免疫のシステムを向上させてあらゆるウイルスに対抗できるようになると、また最悪の事態がおこったときにはたんに火星へ逃げればよくなると信じているのだ。[1]

 

 「いつか不死身になれる」というこのような願望は、こんにちのいわゆるトランスヒューマニズムや資本家による宇宙開発によって端的にあらわされている。そこにあるのは、技術によって不死を実現しうるだけでなく、惑星の破滅といった決定的な外部要因にもとづく死すらも宇宙技術(space technology)によって克服できるという信念だ。しかしながら、それはあくまでひとつの信念にすぎず、ユク・ホイがいうように「いまだにこの地球と呼ばれる惑星に住みついているわれわれ死すべき者には、彼らの言葉どおり不死身になるまで待てる見込みなどない」[2]。とはいえ、当然ながら、そうした不死への欲望の根底には逃れがたい死への自覚がある。これは明白な事実だ。

 そうであるならば、不死を欲望し、多種多様なやりかたで喧伝するような言説は、じつのところ「ひとはやがて死ぬ」という至極まっとうな教説を逆説的に反復しつづけているといえるのかもしれない。つまりそこには、(乗り超えるべきものであったとしても)依然として生と死の根本的な対立が根強く存続しているのである。では、その対立の彼岸にはなにがあるというのか。いいかえれば、死が端的に否定されてしまったあとに、生はどのように変容するのだろうか。

 この記事(ちょっと高度な読書メモ?)では、中国のSF作家・劉慈欣のふたつのテクストからこの問題について簡単に考えてみたい。『三体』三部作で世界的に知られる劉だが、じつは彼は、人間の寿命を左右し、場合によっては永遠の生すなわち「永生」を可能にするような技術をしばしば主題的に描いている。

 

 ## 1

 

 ひとつめのテクストは「2018」である。これは劉の短編集『2018』(2014年、江蘇鳳凰文芸出版社)の表題作だ。

 この作品の主題は「遺延」(原文では「基延」)と呼ばれる遺伝子工学をもちいた延命技術である。技術的な細部は描かれないが、それによってひとは老化を大幅に減速させ、200年をゆうに超える寿命を手にするという。物語の舞台は遺延が商業化されはじめた2018年の中国で、そのころ遺延には莫大な料金がかかり、ごくわずかなひとしか手術を受けられなかったため、国内の各地で抗議活動が行なわれていた。

 他方、平凡な経理担当の会社員である主人公の「私」は、会社の資金を横領して秘密裏に遺延の手術を受けようと画策する。むろん、多額の資金を横領すれば重罪になるだろう。しかし「私」にとって、刑罰はそれほど大きな問題ではなかった。

 

かつて私は法律を細かく調べあげたのだが、汚職罪の量刑にもとづくと、500万元〔の横領〕では最長でも20年〔の懲役〕という判決になるようだ。だが、20年経ってしまえば、私の面前にはまだ200年以上もの魅惑的な歳月が待っているのだ[…]じっさい、遺延を受けた人々のグループに入ってしまえば、現行の法律のうち死刑を除くあらゆる罪が、一度は犯してみる価値のあるものになってしまうのである。[3]

 

これはじつに簡単な算数の問題だ。20年の懲役が重い刑罰になるのは、いまのところ人間がせいぜい80年前後しか生きられないからである。したがってその3倍近い寿命を獲得してしまった人間に対して、監獄と懲役に依存した刑罰の多くは十分に機能しなくなってしまう。さらにもし永生が実現すれば、無期懲役ですら同様の困難に直面することだろう。したがって、死なない身体に対して、既存の法は機能不全をおこす。とはいえ、これはほとんど自明であり、議論としては凡庸ですらある。私たちは、テクストをもう少しさきへ読み進めていこう。

「私」は資金調達のための準備を着実に進めていくのだが、計画の実行をまえにひどく逡巡してしまう。その最大の原因はガールフレンドの簡簡の存在だった。というのも、「私」だけが遺延を受けることで、彼女とは根本的にことなる時間を生きることを運命づけられてしまうからである。この葛藤は、「私」にとって愛の問題が計算(ないし交換)不可能なものの範疇にあることを端的に示しており興味深い——合理的に考えれば、200年間のあいだに似たような出会いの体験がある確率はきわめて高いはず——のだが、それはひとまずおいておこう。

 ここで注目したいのは、「私」が計画の実行を決意し、簡簡に別れを告げる場面である。そこで「私」は、彼女もまた手術を検討していることを知らされる。しかしそれは遺延ではなく人工冬眠(管理された低温状態で長期間の睡眠を行ない、代謝の速度を大幅に低下させること)であった。

 いうまでもなく、遺延は寿命を有限のまま延長する技術であって永生ではない。また冬眠にいたっては延命の技術ですらない。あえていうなら、それは一方通行のタイムトラベルの技術である。とはいえ、劉慈欣の小説においては、これらの技術がみな根本的な部分で永生につながっているのだ。たとえば劉は、『三体III 死神永生』のなかでつぎのように述べている。

 

冬眠技術が現実化する以前は、それは不治の病を抱えるひとに未来での治療の機会を与える程度のものだと考えられており、多少深く考えたところで、せいぜい遠距離の星間航行のための一種の手段でしかなかった。しかしこの技術が現実のものとなったとき[…]それが人間の文明の様相を完全に変えてしまう可能性をもつものだと気づいたのである。

 冬眠のすべては、ある信念の上に成り立っている。つまり、明日はもっとよくなる〔明天会更好〕というものだ。[4]

 

 一方通行のタイムトラベルである人工冬眠は、未来がいまよりよいものになる(最低でもよりわるくなることはない)という信念があってはじめて可能になる。というのも、裏返していえば、社会が下り坂にあると考えるひとは、より悪化した未来へ一足飛びに向かおうとは考えないからだ。さらに「2018」にはつぎのような対話がある。

 

簡簡がいった。「生きるのにほとほと疲れてしまったの。それにつまらないし。わたしはただ逃げたいだけなの」

「1世紀先なら逃げられるとでも? その頃じゃきみの学歴はもう認められないし、時代にもあわなくなっている。ちゃんと生きていけるのか?」

時代はいつだってよくなっていくものよ。ほんとうにダメならまた冬眠すればいいだけ。遺延をしてもいいわ。そのころならきっと安くなってるはずよ」[5]

 

明らかに、ここには『三体III』で提示された冬眠の条件としての楽観主義があらわれている。そしておそらく同じことが遺延に、まして永生にはなおさらいえるだろう。それを象徴するのが、「2018」の終盤にあるこの一節である。

 

「きっとご自身の決定を祝福することになりますよ」と〔遺延センターの〕主任がいった。「というのも、あなたが手にされたのは単なる二世紀あまりの寿命ではなく、永生かもしれないのですから」

私にもその意味がわかった。だれも二世紀後にどんな技術があらわれるかわからないのだ[…]

「じつは私自身は遺延をしていないのです」

「なぜですか?」

主任はしばらく沈黙してからいった。「この世界はあまりに目まぐるしく変わっています。あまりに多くの機会や誘惑、欲望、そして危険に満ちている。私はめまいがしそうなんです。まあ、歳を取ったということでしょう。でも安心してください」彼は続けて簡簡のあの言葉をいった。「時代はいつだってよくなっていくものです[6]

  

ここに引いた対話が示すのは、時代はかならずよりよくなっていくという楽観主義こそが、冬眠や遺延を、ひいては永生を可能にするということである。逆にいうと、未来がいまよりよくなることはないという予感を抱くひとにとって、寿命が撤廃されることほど絶望的なことはない(さらにいえば、冬眠や遺延の根底には、単なる未来への楽観にくわえて、やがて技術は死を克服しうるはずだという一種のテクノ-オプティミズムが二重に挿入されている)。つまり、死なない身体には無限の楽観主義が必要なのだ

 

 永生という問題に対して「2018」というテクストが提示したのは、法の機能不全という帰結であり、また無限の楽観主義という条件だった。ところでこのテクストには、可能な永生そのものについて具体的に触れた箇所はあまりない。劉はただ、一種の可能性として、精神転送によりデータ化した精神のバックアップを取り(SFドラマの「オルタードカーボン」のように)さまざまな身体に入れ替えていくことや、端的にウェブ上に生きるデータ的存在者になることなどに言及するにとどめている。それ自体いまやありふれたイメージではあるが、いずれにせよ「2018」のなかだけでは、死を克服した人間のなかで生がどのように変容するのかという問いには十分に答えられないのである。そこでもうひとつのテクストを参照することにしよう。

 

## 2

 

  ふたつめのテクストは「中国2185」という小説だ。これは1989年に書かれたとされる劉の幻の第一作である。「幻」というのはこの作品が刊行されなかったからだが、にもかかわらずウェブ上ではこれが劉の第一作として認知されており、各種小説系のサイトで全文の閲覧ができてしまう[7]。テクストの信憑性や著作権の問題など、あらゆる面において明らかに問題含みではあるが、ここではひとまず中国のウェブ上の慣習にしたがって「中国2185」を劉の作品としてあつかっておこう。

 

「中国2185」はかなり奇抜な設定のパニックものである。舞台は2185年の中国で、雑草の生い茂る天安門広場に安置された毛沢東の遺体の頭部に対し、分子レベルで3Dスキャンを行なったひとりの青年の手により、毛沢東がデータ的存在者としてウェブ上に「復活」するところから物語がはじまる。つまり「中国2185」は、「2018」で示唆されたデータによる永生の形式にくわえ、技術による復活というモチーフによって支えられている。さらに医療の発達の結果、平均寿命は200歳を超えており、「2018」の設定とも近い部分がある。ただ残念なことに、その後物語は青年が同時期にデータとして復活させた別の老人の暴走と、それに対処する中国政府の「最高執政官」である若い女性やその部下たちを中心に展開していき、毛沢東は終始傍観者の立場を保ち続けている。その結果、総じて毛沢東がウェブ上に復活するという魅力的なアイデアを活かしきれておらず、物語全体としてはやや低調な印象を受ける。なので、ここでは私たちの問題にかかわる箇所だけ引き出しておこう。

 それは物語の最後に展開される、デジタル毛沢東と最高執政官の女性との対話である。データ的存在者としての老人の暴走——絶えざる自己増殖と各種システムへのサイバー攻撃、そしてウェブ内での独立国家の建設など——を全国的なネットワークの遮断と停電によって食い止めたあと、(その間ウェブからは隔離されていた)デジタル毛沢東と最高執政官が永生について語りあう。

 

A〔最高執政官〕「電脳総網〔インターネットのこと、当時は「互联网」という中国語がまだなかったか〕におけるあの違法国家および彼らの行為についてどのようにお考えですか?」

B〔デジタル毛沢東〕「あの国家のなかでは、老人たちはもはや死んでいた」

 A「死んでいた!? では……」

B「ははは……ムダに一杯食わされたわけだ」

A「ですが私たちは、〔データ的存在者の誕生によって〕永生が実現したことを言祝ぎ、よろこびのあまり発狂しかねないほどでした」

B「なにが『永生』だ、こんなもの『永死』にすぎない」[8]

  

このように、永生は「永死」つまり永遠の死であると毛沢東は述べる。どういうことか。

 

生きることは変わることだ。だから永生とは永遠の変化である。百年程度であれば、その大本〔其宗〕を離れることなくいつづけられるかもしれないが、「永遠」となるとかならず大本から離れてしまうものだ。永遠といわずとも、一万年もあれば離れざるをえないだろう。その大本を離れてしまえば、「大本」は死んでしまうのではないか? 生きるのは新しいものであり、「大本」は永遠には生きられない。変わることがなければ、それはもう死んでしまっているということだ。[9]

 

たとえば生命体にとって新陳代謝が不可欠であることを想起すれば、「生きることは変わることだ」という彼なりのテーゼをひとまず素朴に(つまり世俗的な組織論などに応用することなく)受け取ることができるだろう。そして不断に変化する過程のなかで同一個体(あるいは同一のもの)としての状態を維持できなくなったとき、それは「大本から離れてしまう」。その意味で、「大本」をめぐる話は、いわゆる「テセウスの船」的なパラドックスの臨界点を問うていると考えてもよいだろう。

 とはいえ、デジタル技術による永生の問題を考えたとき、より重要なのは「大本」にかんする議論ではなくむしろ「変わることがなければ、それはもう死んでしまっているということだ」という最後の一文である。少なくとも「中国2185」に描かれたかぎりでのデータ的存在者は、有機体論的なフィードバックループによって自己を変容することができず、いわばコピー&ペーストで永遠に同一個体の自己増殖を続けるしかなかった。劉の描いたデジタル毛沢東は、その状態がまさしく「永遠の死」にほかならないと考えたのではないか。

 さらにいうと、前半の「大本」にかんする議論は、(作中では変容する中国という近代国家を対象としているが)私たちの議論の文脈では、おそらく「2018」が提示したふたつの永生の可能性のうちのもうひとつ、すなわち精神をデータ化してバックアップを取り、さまざまな身体に挿入していくという方法での永生の形式に適用できるだろう。というのも、そこでは生き続けるためにつねに変化がおきているが、千年万年の単位で身体をまるごと入れ替え続けるというのは、もはや「大本から離れ」るほどに大きな変化となりうるからである。私たちは、このセリフが二百年近い眠りの末に意識を復元され、身体から切り離されてしまったデータ的存在者によって語られている意味を考える必要があるだろう。してみれば、デジタル毛沢東のことばでいえば、この形式での永生もまた、永遠の死であるといわざるをえないのだ。

 

 永生とは永遠の死である。これが「中国2185」で提示された劉の永生観念だ。これを大胆に換言すれば、生と死という二項対立から片方の死というファクターを除去されたとき、ひとはもはや死んだように生きるしかないということを意味しているのかもしれない。そしてこれこそが、劉のテクストから考えうる可能な永生の形式であり、それによって起こりうる生の変容の内実である。

  

## 3

 

 この記事でまとめておくべきことはある程度明らかにされた。劉慈欣と技術的永生をめぐる問題系にはまだ多くの論点が含まれているが、ひとまずこのあたりにとどめておこう。最後に少しことなる角度から一点だけ補足して議論を終えることにしたい。

 

 さきほど引用した対話のあと、「中国2185」は若き最高執政官によってネットワーク再興のプランが語られる場面で幕を閉じる。そこでは、超高寿命社会が引き起こす人口問題や世代間ギャップ(代沟)の解決策として、高齢者をデータ化してウェブ上のユートピアに転送し、そこで永遠の生を謳歌させるとともに、「この星を青春の星に、少年時代の星に変える」という最高執政官の野望が語られる[10]。まるでウェブ上に底なしの姥捨山を実装するかのようなこのおそろしい計画は、はっきりいってディストピア以外のなにものでもない。

 とはいえ、この対応策が示唆しているのは、寿命が長くなればなるほど——そして永生を実現すればなおさら——莫大な居住地が必要になるという事実だ。つまり、ひとが死なずに増え続ければ土地が足りなくなるのは当然なので、この計画は(たとえ非人道的であっても)ある意味理にかなっている。つまり、いいかえれば死なない身体には無限の居住地が必要だ。たとえば「中国2185」の最高執政官がその居住地をウェブ上に求めたように、それはやがて地球上の土地では足りなくなることだろう。

 

 このような技術による復活や永生およびそれにともなう居住地の問題というきわめて類似した課題を抱えながら、「中国2185」とはまったくべつのアプローチを取ったのが、20世紀ロシアのいわゆる宇宙主義である。

 ロシア宇宙主義は、19世紀末の思想家、ニコライ・フョードロフにはじまり、彼の影響を受けたもろもろの科学者や思想家を曖昧に包括する用語として機能している。いま詳細を論じる余裕はないので、ここでは批評家のボリス・グロイスによる秀逸な宇宙主義論[11]を中心にその概要を確認し、劉のユートピア論と簡単に比較しておきたい。

 フョードロフのプログラムは、大きく二点に要約できる。ひとつはかつて地球上に生きたすべての人類を技術によって復活させるとともに、全人類の永生を実現すること。そしてふたつめは、復活した祖先のすみかを確保するために宇宙を植民地として開拓することである。このような主張の背景には、近代のロシアが経験した宗教的伝統の破綻があった。

 

フョードロフは魂の不死を信じず、キリストの再来を待つなどという消極的な考えは持たなかった[…]魂を信じずに、肉体を信じた。フョードロフにとっては、物理的、物質的な存在だけが、唯一可能な存在形式だった。また、技術を絶対視してもいた[…]しかしながら、フョードロフがなにより信じていたのは、社会組織の力だった。彼の考えでは、人間の人工的復活の事業に身を捧げるために必要なのは、ただ、しかるべき決断を下すことだけだった。[12] 

 

そこでフョードロフは、このような技術にもとづく不死と開拓の事業は中央集権的な世界国家の意志によって推進されねばならないと考えた。つまりグロイスのいうように、フョードロフの思想はいわばミシェル・フーコー的な「生権力」の完成形態である。というのも、それはあらゆる場所と時代の人間に対し徹底的に「生きることを強い、死ぬに任せない」ようにするからだ[13]

 すべての死者を復活させ、全人類の永生を実現したのち、あらたな植民地として宇宙を開拓しようというフョードロフの呼びかけは、一見荒唐無稽であり、夢物語でしかないようにも思える。だが興味深いことに、この思想は、のちにソ連のロケット工学を主導し「宇宙旅行の父」などと称されたコンスタンチン・ツィオルコフスキーによって継承されるのである。「ツィオルコフスキーが目的としたのは、復活した祖先をほかの惑星に運ぶための交通手段の開発であった。のちのソ連宇宙飛行学の歴史はここから始まったのだ」[14]

 

 ここでさきほど言及した「中国2185」のユートピア構想を思いだそう。そこでは、デジタル技術によって永生するデータ的存在者に転換した老人(やおそらく死者)をウェブ上の生活世界へ移住させる計画が語られた。表面的にみれば、これは復活した祖先をほかの惑星へ運ぼうと考えたロシア宇宙主義と似た排除の構造をもつように見受けられる。つまりさきほどの比喩を使えば、両者の構想にはいずれもある種の姥捨山的な発想が存在しており、単にその場所が宇宙かウェブ上かの違いがあるだけではないか? むろんそうではない。もちろん両者にはさまざまな細部の相違があるが、それ以上に根本的な差異がある。

 じつのところ、フョードロフの宇宙主義的プログラムは、近代的な「神の死」への唯物論的応答である以上に、当時の社会主義に対する彼自身の強い批判を起点としている。フョードロフは、社会主義の理論があらゆる規模における世代間の不平等に対してまったく無力であることを強く問題視していた。

 

社会主義は社会の完全な平等を約束する。しかし、社会主義は、その約束を進歩への信仰と同一視している。進歩への進行においては、新しい社会に生きる未来の世代だけが社会的な正義を享受することが前提とされている。逆に現代の世代と過去の世代には、進歩の一方的な犠牲者としての役割が割り当てられる。永遠の平等は、現在と過去の世代に対しては想定されていない。要するに、未来の世代が社会的平等を享受するためには、過去の世代を平等の帝国から追放し、許しがたい歴史的不平等を冷ややかに容認しなければならないのだ。[15]

 

つまり社会主義の来るべきユートピアにおいては、革命に参与した(あるいは現在している)死者や生者と、のちにユートピアを享受する未来の人々とのあいだに決定的な不平等がまったく手つかずのまま残される。フョードロフは、このような「生者のための死者の搾取、後世を生きる者のための現世を生きる者の搾取という社会主義の本質」を根本的に解決するために、技術の力によって社会主義を時間的な位相にも導入しなければならないと考えたのだ。したがってフョードロフの技術的永生と復活の問題の根本には、世代間の不平等への強い問題意識がある。

社会の生命は、歳を重ねてゆく老人と成長してゆく若者によって構成されている。成長を続け、死者への優越性を実現していく若い世代の人々は、進歩の法にしたがっており、年老いていく人々や死にゆく人々に対する自分たちの優越性に気づくことがない[…]もし若者が〔年老いた者に〕「私は成長していくが、あなたは墓場へいくのだ」といえば、それは進歩などではなくむしろ嫌悪のことばであり、いわば放蕩息子が示すような露骨な嫌悪にほかならない。[16]

 

 フョードロフの技術的永生論は、まさにこのような生者と死者、あるいは若者と老人といった世代間の齟齬を解消するために提唱された。したがって、老人をデータ化してウェブ上に送り、「この星を青春の星に、少年時代の星に変える」のだと何のためらいもなくいってのける「中国2185」の若き最高執政官の技術的永生論とは根本的に違う方向性からはじまっているのがわかる。くわえて、そもそも「中国2185」的な「ヴァーチャル姥捨山」にかぎらずしばしば見受けられる、世代間ギャップをあおり、より激化させようとする「若者」の態度に通底するのは、やがて自分も歳をとり「若者」の側にいられなくなるというあまりに明白な事実への無自覚さだろう。

 

                                                     ■

 

「中国2185」において、デジタル毛沢東は、最高執政官の計画を「天に登るより難しい」と評したうえで、つぎのように激励する。

 

ならば天へ登ってみることだ! 天へ登るのは難しいが、それもおまえたちはやってのけるのだろう。月のうえに街をつくろうというわけじゃないんだから。[17]

 

 

しかし理想の社会主義のために「月のうえに街をつくろうと」し、あるいはそれ以上の共同事業を夢見た宇宙主義者の観点からは、デジタル毛沢東によるこの肯定はいささか受け入れがたいもののように思われる。劉慈欣自身がこのようなユートピアの構想をどのように評価しているかは不明であり、また劉があえて毛沢東社会主義と平等性の問題にかんして鈍感な人物として描こうとしていたなどと考えるのも正しくないだろう。とはいえ、いずれにせよ「中国2185」が要請する技術的永生やそれにともなう居住地/ユートピアの問題は、平等性をめぐる根本問題を依然として抱え続けることになったのである。

 

[1] Hui, Yuk. "One Hundred Years of Crisis," e-flux Journal, no. 108, April, 2020. URL=https://www.e-flux.com/journal/108/326411/one-hundred-years-of-crisis/ 邦訳は伊勢康平「百年の危機」、「ゲンロンα」、2020年6月13日配信。URL=https://genron-alpha.com/article20200613\_01/

[2] Ibid.

[3] 刘慈欣, "2018",《2018》,江苏凤凰出版社,2014年,页3。

[4] 刘慈欣《三体Ⅲ 死神永生》(典藏版),重庆出版社,2016年,页57。なお強調は筆者(以下同)。

[5] 《2018》,页7-8。

[6] 《2018》,页8。

[7] 今回は「努努书坊」に掲載された「中国2185」(2012年2月7日配信、2020年7月20日閲覧)にもとづいて議論を行なう。URL=https://www.kanunu8.com/book3/6655/index.html

[8] 刘慈欣《中国2185》,第13章“永生和永死”。URL=https://www.kanunu8.com/book3/6655/116266.html

[9] 同上注。

[10] 同上注。

[11] ボリス・グロイス「ロシア宇宙主義——不死の生政治」上田洋子訳、東浩紀編『ゲンロン2 慰霊の空間』、ゲンロン、2016年所収。これはロシア語からの翻訳であり、英語で読めるものとしては以下がある。Grois, Boris. "Russian Cosmos and the Technology on Immortality," in Grois ed. Russian Cosmism (Cambridge: MIT Press, 2018). 以後は前者の邦訳論考のみを引用する。

[12] 同。頁106-107。

[13] 同。頁106。

[14] 同。頁115。

[15] 同。頁107。

[16] Fedorov, N.F. "The Philosophy of the Common Task," in What Was Man Created For?: The Philosophy of the Common Task (London: Honeyglen Publishing Ltd, 2008), p. 52.

[17] 刘慈欣《中国2185》,“永生和永死”。

2020年の仕事とか

今月のはじめに修論を提出した。

とにかく時間がなくてたいへんだったけど、なんとかなった、と思う。

はっきりいうと、11月ごろまで論文と並行して仕事してたのはいろいろミスった感があった……。

なにはともあれ、いちおう出すには出した。そして今週中に口頭試問、来月にはD進のための試験がある。合格するかどうかはわからないけど。

 

ところで以前、このブログで井筒と牟宗三にかんする仕事の成果を都度報告する、みたいなことを言っていたのだが、申し訳ないことに完全に忘れていた。いや、じつは覚えてはいたけど意味不明なくらい時間がなくてそんな余裕はなかった。(Trello にめちゃくちゃ期限がきれてる「ブログ記事書く」的なカードが何枚かある。。)

 

それに、とくに井筒にかんして、たぶんふつうに個別の論文とか論考とかとして発表できそうな発見がひとつかふたつくらいはあって、そういうのはブログではなくべつの場所で発表したほうがいいかも、という気もちもある。

 

というわけで、去年は修論のほかにも結構いろいろ仕事をしたので、なんとなくまとめておく。だいたいゲンロンから個人で依頼してもらったものが中心。ありがたいなあ。

 

1)Geert Lovink, "Cybernetics for the Twenty-First Century: An Interview with Philosopher Yuk Hui" (e-flux journal, no. 102, September 2019)

philosophyandtechnology.network

 

これは翻訳。ユク・ホイの Recursivity and Contingency にかんするインタビュー。

この本の理解のためには有益だしおもしろい。ただ構成の仕方の関係なのか、あんまり対話になってない感があるのがちょっと気になる。それはそれでおもしろいけど。

いま見返すとちょっと訳を修正したいところもある。ウェブの記事なんで、今年中に時間をつくって修正版をアップするかも。。。

 

2)Yuk Hui "One Hundred Years of Crisis" (e-flux Journal, no. 108, April 2020)

genron-alpha.com

 

これも翻訳。新型コロナウイルスの感染が世界的な問題になりはじめた昨年4月に書かれた論考。

こういう時事的な問題とつなげて論じられると、ユク・ホイの「宇宙技芸」の概念が、抽象的な哲学的概念であると同時に、かなりアクチュアルな問題にも関係しうるものであることがよくわかる。

とてもいい記事。でも、記事の性質上(丁寧さは前提だけど)めっちゃ急がねばならず、かるく生命を削った。

 

3)Yuk Hui, "Art and Cosmotechnics #2: After Europe, Beyond the Tragic" (書き下ろしなので『ゲンロン11』が初出)

genron.co.jp

 

これも翻訳。今年は前半にたくさん翻訳の仕事をさせてもらった。

西洋的な文脈では芸術と技術はおなじくテクネー technē から展開してきたということになっている。ユク・ホイの仕事のひとつのねらいは、技術にかんする思考の多様性を追求することだが、この連載は、各地域のもつ芸術的な思考の複数性を(ここでは中国を例に)探究しつつ、それによって技術にかんする思考の多様性をすこしちがった角度から考えるもの。今回は悲劇論。読み応えがある。

なおこの『ゲンロン11』に掲載された安藤礼二中島隆博の対談の企画・構成・編集をした。勉強になった。

 

4)料理と宇宙技芸

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ひょんなことから、なぞの中華料理連載をはじめることになった。

経緯はこんな感じ。

「弊社ウェブサイトの「ゲンロンα」、硬いガチな論考が多いから、なんか軽い記事でものせよう、レシピとかどうかな」

「ゐせ氏は中華つくれるらしい」

「いいね」

「ユク・ホイの翻訳やってるし、タイトルは『中華料理と宇宙技芸』でいこうww」

 

なお、ぼくはこの対話が発生した現場にいなかった……。

ただ、いざ書こうとしたら意外といろいろ書けそうなことが浮かんできて、

いまやなかなか本気の連載になってしまったという始末。

タイトル負けしないものを書かないと、という焦りもあった。編集の妙だなあ。

 

結果的に、連載をはじめてから読む本の種類が増えて料理本も結構読むようになったし、料理自体も多少上達した気がする。いやはや、ありがたいかぎり。

ひとことでいうと、中華料理の哲学? みたいなものの探究。でもレシピ(本)としてもちゃんと実用的。

さしあたって中華料理を支える思想をきっちり描くことが目下の課題だけれど、中華料理自体も変わってきてるわけだから、それにあわせてそこにひっついている思想のほうもアップデートしたいという野望もある。

あと、修論でちょっと止まってたけど、つぎは2月か3月に炒飯回で復活する予定。

 

6)あたらしい東洋哲学はどこにあるのか

genron-alpha.com

 

『ゲンロン11』の対談の続編的な立ち位置で開催されたゲンロンカフェのイベントのレポート……という体のまじめな論考。同時並行で書いてた修論の論点が一部登場している。ちなみにさっき言った井筒にかんするちょっといい議論、というのはここには出ていない。

 

***

 

ほかにもあったかも。思い出したら追加する予定。

 大学院で人文系を研究すると「テクストを読むとき一文字もゆるがせにしない」ような姿勢が要求される/つちかわれる、的な話がある。これは事実だと思うけど、それはそれとして、ここ数年の率直な印象として、ひとたび報酬が介入すると、書くにも訳すにも編集するにも、また別種の厳密さ、というか本気さが発生するように思う。

あと翻訳とか、「料理と宇宙技芸」のような軽いノリ(だが結構本気の)の文章書いたりとか、そういうことをやるととてもいい文体の鍛錬になる。そもそも翻訳は、あらかじめ書くべき内容がすべて与えられている状態で、それをどういう形式で書きあらわしていくかという作業。だから(まずはきちんと読解をするという前提のうえで)ほとんど純粋に文体の力を問われる仕事、というのがぼくの理解。

 

今年の目標は、『中国における技術への問い』の邦訳をなるべく早く出すこと、それから「料理と宇宙技芸」を4、5回は書きたいかなあ……。まだ来年度の進路は決まってないんだけど、どこに所属することになっても、この二点は確実に達成したいところ。

 

 

 

 

井筒俊彦と牟宗三を比較する 第1回 導入(1)

 

 これからしばらくのあいだ、このブログ上で何度かにわけて、日本の井筒俊彦(1914-1993)と中国の牟宗三(1909-1995)という20世紀のふたりの哲学者にかんするはなしをしていきたいと思う。

 

 井筒俊彦の名前を聞いたことがあるひとは少なくないだろう。『コーラン』をはじめて原典から翻訳したとか、30以上もの外国語ができたとか、英語でたくさん本を書いているとか……。たとえいまやじっさいに井筒の著作を読んでいるひとはそれほどいないとしても、またじっさいに読んだ人々のあいだで評価がわかれるにしても、彼が20世紀とりわけ戦後日本の著名な哲学者であるという認識はある程度共有されているはずだ。
 しかしながら、ぼくの印象をいえば、中華圏での井筒俊彦知名度はきわめて低い。おそらくほぼゼロである。かつて北京にいたころ、頻繁に現地の書店をめぐり歩き、すみずみまで見てまわったものだが、井筒が読まれている気配はまったくなかった。もちろん、井筒に言及する中国語の研究もほとんどない(あってもたいてい概説的になぞるくらいのものだ)。

 

 他方、牟宗三(ぼう・そうさん/モウ・ゾンサン)については、日本でその名を知っているひとはかなり少ないだろう。彼にかんする日本語の研究はたいへん少ないし、もちろん彼の著作はまったく邦訳されていない。とはいえ、日本で井筒がある程度よく知られているように、中国、あるいは台湾や香港(さらには欧米の中国学)での牟宗三の知名度は高く、しばしば20世紀の中国哲学を代表する人物だとみなされている。
 ようするに、中国での井筒俊彦知名度は、日本での牟宗三の知名度とおなじくらい低い。井筒と牟宗三は、すくなくともそれぞれ自分の国(や地域)では20世紀の大哲学者ということになっているが、互いの隣国では一部の研究者をのぞきほぼ名前すら知られていないのである。当然の結果として、両者が比較検討されることはなかった*1


 にもかかわらず、じつは両者にはきわめて豊かな比較の可能性がある。というのはつまり、このふたりの哲学者のあいだにはある絶妙な対照性と共通性があり、そこから20世紀の、ひいては21世紀の東洋の哲学を考えるうえで、非常に重要な論点が引き出せるのではないか、ということである。この点を示すというのが、ぼくのひとまずの目標になるだろう。今回はさしあたり、前提となる簡単な情報や、ふたりの比較をめぐる理論的な問題意識を共有しておこう。

 ちなみにこのはなしはぼくの修士論文のための準備、あるいは思考を整理するための研究メモのようなものとして書かれることになる。だから今後どこかで発表するとか、論文として提出するとかそういうことがあるかもしれないが、そのときは形式も内容もずいぶん変わったものになるはずだ。

 

  
 
 はじめに前提となる情報を簡単にまとめておこう。 

 

 井筒俊彦というひとは東京生まれの哲学者である。日本では広くイスラームの研究で知られているかもしれないが、彼は古代ギリシアや東アジアの哲学だけでなく、西洋の文学や現代思想までじつに幅広く研究した。
 井筒の生い立ちや関心などについては、慶應大学出版会のウェブサイトに掲載された「井筒俊彦入門」にいろいろと書いてあるので、ここではごく簡単に紹介するにとどめる。詳しく知りたい方はこちらを参照してほしい*2

 

 慶應大学の英文科を卒業して講師をしたのち、井筒は1959年から20年間、カナダや中東などの国々で研究生活をおくる。そこで井筒の人生はおおきく海外以前、海外時代、帰国後の三つの時期に分けられる。


 海外以前の時代のおもな仕事は『神秘哲学』と Language and Magic (1956年、邦題は『言語と呪術』)だ。『神秘哲学』はソクラテス以前からいわゆる新プラトン主義のプロティノスまでを描く独特なギリシア哲学史の本である。『言語と呪術』とは、ごくおおざっぱにいえば、言語にはいまでいう「パフォーマティヴ」な側面がつねに備わっており、なおかつその機能の源泉は、根本的には「呪術的」と呼ぶほかないある種の力によってもたらされているのではないか、と主張する本である。
 ふたつめの時期は海外生活時代である。この時期井筒は、カナダやイランなど各国を転々とし、イスラーム哲学、とくにスーフィズムと呼ばれる神秘思想や、老荘思想など東洋の哲学にかんする仕事を英語で発表している。このときの主著が Sufism and Taoism である。これはイランのイスラーム哲学者、イブン・アラビー(1165-1240)と、中国の老荘思想をもちだして、それぞれの鍵概念を分析し、両者のあいだにある種の構造的類似性をみいだすものだ。
 1979年にイラン革命が勃発したため、井筒は滞在先のテヘランから帰国し、以後は日本語で著作を行なった。これが第三の時期だ。この時期の特徴は「東洋哲学」を主題にしたことである。井筒は、いわば自身の仕事の集大成として「東洋哲学の共時的構造化」というプロジェクトに着手する。その代表的な仕事が『意識と本質』である。以後詳しく展開されるぼくたちの思索は、基本的にこの時期の諸著作をおもな対象とすることになるだろう。

 

          ■

 

「東洋哲学の共時的構造化」について、井筒はつぎのように語っている。

 

いま仮に極東、中東、近東と普通呼び慣わされている広大なアジア文化圏に古来展開された哲学的思惟の様々な伝統を東洋哲学という名で一括して通観する〔…〕東洋哲学全体を、その諸伝統にまつわる複雑な歴史的聯関から引き離して、共時的思考の次元に移し、そこで新しく構造化しなおしてみたい*3

 

東洋哲学に通底する共時論的構造の把握〔…〕要は、古いテクストを新しく読むということだ。「読む」、新しく読む、読みなおす。古いテクストを古いテクストではなく〔…〕古典的テクストの示唆する哲学的思惟の可能性を、創造的、かつ未来志向的、に読み展開させていくこと*4

 

 簡単にいうと、「東洋哲学の共時的構造化」とは、現代の文脈にあわせて東洋の古いテクストを再解釈し(共時的)、ひとつの体系のもとに再構築すること(構造化)だ。彼はこれによって西洋と東洋の比較が真に可能になると考えた。すでに述べたように、この試みを代表するのが『意識と本質』という作品である。具体的な分析は以後にゆずるが、あえて一言でいえば、『意識と本質』というのは、人間の意識が現象と本体——井筒の言葉でいうと存在者の「本質」と「存在」——とのあいだに、どのような関係性をもつのかという観点から、東洋哲学の根本的な性質を明らかにしようとした本だ。ここでの井筒のおもな主張のひとつは、ようするに東洋の思想においては、究極的に人間の意識が存在と端的に一致するというものだった。

 

「未発」とは〔…〕第一次的には心の未発動状態。だがしかし〔…〕それは全存在世界の未展開状態をも意味する。意識のゼロ・ポイントであって、同時に存在のゼロ・ポイント。〔…〕これは宋学だけでなく、東洋哲学の大部分に共通する顕著な特徴であるのだが〔…〕意識と存在、内と外、は密接な相関関係にあり、窮極的には全く一つである*5

 

 単純にいうと、井筒はたとえば老子宇宙論における「道」のような、ある絶対的なひとつの「存在」が自己分節することで世界が形成されると考えている(「道は一を生み、一は二を生み、二は三を生み、三は万物を生む…」)。そのうえで彼は、このような単一の存在が自己分節してゆくプロセスと、人間が言語や意識によって事物を分節してゆくプロセスとのあいだには、たんなる相関性があるだけでなく、むしろ万物が無分節になる一点、つまり「ゼロ・ポイント」で意識が存在そのものに到達し、両者は統一されると考えた。そして、それこそが東洋の形而上学的思考のひとつのおおきな傾向であると述べたのである。井筒はこの傾向を「意識即存在」という言葉で表現している*6

 

 意識と存在がたんに相関的な分節プロセスをたどるだけでなく、究極的には両者が端的に一致する。そこには人間の意識と存在そのものを隔てるものはない。これが井筒が「東洋哲学」のなかにみいだした理論的な傾向である。一見してあきらかなように、ここにはいわゆるカント的な意味での(有限性をもった)認識という次元が介在していない。のちほど確認するが、この観点は、ある意味で中国の牟宗三とかなり近いものがある。 

 

 西洋の文脈を把握したうえで、新しい「東洋哲学」の構築を試みた井筒俊彦だが、しかし彼は自分自身とおなじ時代にべつの地域で同様の試みがあったことには無頓着だったようにみえる。ぼくがここで念頭に置いているのは、20世紀後半のいわゆる現代新儒家である。じっさい、井筒の本を読んでいると、彼は京都学派をのぞき、東アジアにある類似の試みにはいっさい触れないまま、新しい「東洋哲学」について語っている。
 これは井筒本人に限ったことではない。目下日本で行なわれている井筒俊彦研究は、おおむね井筒の思想体系の分析やおのおのの古典解釈の検討にくわえ、井筒が提示したあらたな「東洋哲学」を継承し発展させるといった方向に分類できるのだが、このあらたな「東洋哲学」を語るときには、ひとはいまだに中国とくに現代中国といった観点をまったく欠いたまま、「東洋哲学」の未来を語っているのである*7


 井筒本人にかんしていえば、彼はあまりに広大な領域に目を向けていたので、このような見落としがあったとしても多少やむをえないところがある。とはいえ、後世のぼくたちがそれにならって無頓着でありつづけているのはよくないだろう。つまりぼくたちは、さまざまな国や地域に分散する「東洋哲学の共時的構造化」という試みそのものを共時的に接続し、継承しなければならないのだ。そこで井筒と同時代のべつの試みとして、いわゆる現代新儒家の、とりわけもっとも理論的な成功をおさめた人物のひとりである牟宗三を参照したい。これからみていくように、牟もまた、20世紀後半の東アジアで、東洋哲学(彼は一貫して「中国哲学」というが)の体系的な再構築を試みた人物だ。(つづく)

 

 

*1:儒家井筒俊彦という比較の組み合わせはぼくの知るかぎり皆無だが、西田幾多郎ら京都学派と新儒家を比較する試みはすでにある程度行なわれている。たとえば、朝倉友海『「東アジアに哲学はない」のか——京都学派と新儒家』(岩波書店、2014年) 、吳汝鈞 《純粹力動現象學》(台灣商務印書館,2005年)、Yuk Hui, The Question Concerning Technology in China: An Essay in Cosmotechnics (Urbanomic, 2016)など参照。つまりぼくは、ややマニアックな文脈でいえば、「京都学派と新儒家」という比較研究の存在を念頭においたうえで、いやむしろ井筒と新儒家ではないか、と言ってみようとしているわけだ。

*2:さらに詳しく知りたいひとは、まず若松英輔井筒俊彦 叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会、2011年)を読むべきである。また、このあいだ刊行された『群像』の2020年7月号に掲載された安藤礼二の「井筒俊彦——ディオニュソス的人間の肖像」も参考になる。目下、ある一貫性のもとに井筒俊彦の全体像を示し、彼を近代日本の精神史のなかに位置づけるという作業は基本的にこのふたりの批評的な仕事によって進められている。若松・安藤編『言語の根源と哲学の発生 増補新版』(河出書房新社、2017年)なども参照。

*3:井筒俊彦『意識と本質——精神的東洋を索めて』、岩波文庫、1991年、7頁。

*4:井筒『意識の形而上学——「大乗起信論」の哲学』、中央公論社、1993年、11-12頁。

*5:井筒『意識と本質』、82頁。

*6:「意識と存在の統一」にかんする議論は『意識と本質』に詳しく書かれているが、『イスラーム哲学の原像』(岩波新書、1980年)110頁以降にも簡潔にまとめられているので、そちらも参照のこと。

*7:たとえば近年相次いで刊行されている論集を見ると、わずかな例外をのぞき、中国に関連する論考はほとんどないことがわかる。もちろん、近代以降の中国(思想)はまるで存在しないかのような扱いである(ただ論集全体としては興味深く、たいへん勉強になる)。若松編『井筒俊彦ざんまい』(慶應義塾大学出版、2019年)、澤井義次・鎌田繁編『井筒俊彦の東洋哲学』(慶應義塾大学出版会、2018年)、若松・安藤編『言語の根源と哲学の発生 増補新版』(河出書房新社、2017年)など参照。

【发言稿】井筒俊彦与牟宗三_导言

 

 

之前在研究室里做了简单的发言,题目是“井筒俊彦与牟宗三”。由于发言时间的关系,我只能介绍基础性的信息以及自己想探讨的关键问题。下面所发表的是此时所用的发言稿。

 

          ■

 

 作为硕士论文的主题,我打算对中国的牟宗三和日本的井筒俊彦这两位20世纪的哲学家进行比较。井筒俊彦和牟宗三在他们自己的国家里被认为是20世纪的具有代表性哲学家之一,不过遗憾的是牟宗三在日本的知名度以及井筒俊彦在中国的知名度都非常低。因此,自然就从来没有人对两者进行对比*1尽管如此,我认为两者之间有丰富的比较的可能性。由于时间的关系,我想在这次的发表中简单地说明一下我的论文的导言的部分和以后想展开的讨论的方向。

 关于牟宗三的工作或至少他的名字,可能有很多人都知道或听说过,但恐怕知道井筒俊彦的人并不多,所以首先我介绍一下井筒俊彦

 

 ## 1

 

 井筒是出生于东京的哲学家,他不仅研究古希腊、伊斯兰和东亚的哲学,也研究西方文学和法国当代思想。他庆应大学毕业以后就当了讲师,然后从1959年开始在加拿大和中东各国度过了20年的研究生活,那时他用英文写了很多书。那个时期的井筒的代表作是《Sufism and Taoism》,即是彻底地分析伊朗的哲学家伊本・阿拉比(Ibn Arabi)和中国的道家思想。后来由于1979年的伊朗伊斯兰革命的爆发,井筒从伊朗回到日本去,然后开始用日文写作。从那以后,作为自己的研究的集大成,井筒就着手“东方哲学的共时的结构化”这个项目。

 

掌握东方哲学之共同的共时的结构〔…〕就是要重新阅读传统的文本。要“阅读”、以新的视角阅读、重新阅读。不是将传统文本看做传统的〔…〕而为了使古典的文本所暗示的哲学思维的可能性,创造性地、面向未来性地展开而阅读。*2

 

 根据井筒,“东方哲学的共时的结构化” 是指在当代思想的文脉下重新解释东方传统的一些文本,以及在一个体系的基础上将它们重新作为新的一个结构。井筒认为经过这样的结构化,我们才能真正意义上进行东西哲学的比较。《意识与本质》这本书就是代表着井筒的这个尝试的一部作品。用一句话来说,在《意识与本质》里,通过探讨在东方的一些传统思想中的人的意识跟现象和本体——用井筒的话来说是“本质和存在”——之间的关系,井筒试图阐明东方哲学的一个根本的性质。他的主要的一个结论是在东方的哲学中有一个倾向,就是人的意识能够在它的最高的境界上和存在合而为一。

 

这意识的绝对零点(zero point),同时也是存在的绝对零点。〔…〕这不仅是宋明理学的特色,也是大部分的东方哲学之间的共同的显著特点。意识与存在,内面与外面是密切相关的,归根结底是一体的。*3

 

简单地说,井筒认为就像老子的宇宙论中的“道”一样,世界是由一个绝对的“存在”的自我分节(self-articulation)而形成的。与此同时,他强调在这样的存在的自我分节的过程和人类通过语言和意识来分节各种事物的过程之间具有一种同一性。据此他断言在这两个过程的起点上,也就是绝对零点上就实现意识和存在的统一。根据井筒,这是东方的形上学的主要的一个思维倾向。他将这种倾向叫做“意识即存在”*4

 

 意识和存在不仅分享几乎同一的分节过程,甚至也能够合而为一。我们很容易发现在这样的思维方式里就缺少着康德意义上的认识的有限性的视角,尽管井筒他基本上不提到康德的哲学,但我们可以说,在井筒的东方哲学中人类能超越康德式的认识之限制而直接达到存在本身。稍后我们确认一下这个论点在某种程度上很接近于中国的牟宗三的观点。

 

 虽然井筒俊彦在西方现当代的文脉下,试图构建新的“东方哲学”的体系,但是他却似乎完全没有注意到当时有人在不同的地域上从事着类似的尝试,比如说香港和台湾等地区的现代新儒家。我们看一些井筒的书就能发现,虽然他讲的是“新的东方哲学”,但除了京都学派的哲学以外,东亚国家的其他的尝试一概不谈。

 这个问题并不限于井筒本人。目前在日本有些人试图将井筒所构想的“新的东方哲学”进一步发展,不过那些人讲“新的东方哲学”以及它的未来的时候,他们仍然没有中国尤其是现当代中国这个观点*5

 牟宗三以他的中国哲学史的全面性的重新构建和中国哲学与康德的批判哲学的比较等工作而闻名,这次我主要关注后者的工作。这在《智的直觉与中国哲学》以及随后出版的的《现象与物自身》等著作中进行。用一句话来讲,牟宗三的主要策略之一就是根据康德所说的现象界和本体界的区别阐明西方哲学和中国哲学的差异,并且表示后者的重要性。比如牟宗三说:

 

依康德智的直觉只属于上帝,吾人不能有之。我以为这影响太大。我反观中国的哲学,若以康德的词语衡之,我乃见出无论儒释或道,似乎都以肯定了吾人可有智的直觉,否则成圣成佛,乃至成真人,具不可能。*6

 

牟宗三说,康德认为因为人没有智的直觉,它只属于上帝,因此人不能超越认识这个层次而直接掌握事物本身,然而在中国哲学之中,人也能达到事物本身。那么牟宗三提出这种主张的根据是什么呢?

 

存有轮是如何骄傲的一个名称!康德把它谦和化而为超越的哲学,纯粹知性底超越分解。我再就康德的谦和,如期本性,把它说为使知性之执之所至。存有论就是成就遍计执以为经验知识的可能立基础。因此,这个存有论就是执的存有论,因而亦就是现象界的存有论,因为现象本亦就是执成的。*7

 

简单地说,牟宗三认为康德所讲的作为规定人类经验的可能性的条件的认识就相当于佛家所说的“执着”。除此之外,牟宗三拿出宋明理学中的“见闻之知”等类似的概念,总之他认为在中国哲学里,成为圣人、佛陀或真人,可以说是脱离被“执着”限定的认识层次而达到更高的一个认识层次,因此在这一阶段上能获得到的直觉就是康德意义的智的直觉。

 正如上面所述,井筒俊彦所构想的东方哲学的根本特点就是“意识即存在”,也就是人的意识和存在能够统一。因为牟宗三不会说日语,井筒也对当代中国没有兴趣,所以恐怕生前的井筒和牟宗三之间一个交流都没有,他们也都不会知道彼此的工作。而且,像我以后在论文里叙述一般,他们的哲学之间有很多的区别。尽管如此,他们具有一个根本的共同之处:那就是,东方哲学的一个本质就是最广义的思考能跟存在一致,而且这里面不会介入康德式的认识这一层次。

 

## 2

 

 刚才我将井筒和牟宗三的主张概括为“思考和存在的一致”,这是有理由的。犹太人的哲学家汉娜・阿伦特在“什么是存在哲学?”这一篇文章中说到:

 

康德是现代哲学之隐秘的、但也可以说是真正的创始人。不仅如此,他还一直是隐秘之王。打破思考和存在的一致的人无非是康德。〔…〕如今,我们既不能确信现世的基督教世界的意义和存在,也不能确信古代的宇宙具有的永远在场(present)的存在。除此之外,连“知与物者即一也(aequatio intellectus et rei)”这一传统的真理的定义都维持不了了。*8

 

 康德的批判哲学表明,一方面存在超越了我们的思考领域,另一方面我们对现实的判断也超出了给予的存在概念。换句话说,即使人的思考要使用概念来说明各种各样的存在的性质,仍然完全不能说明存在的现实。

 在她的文章中,阿伦特分析了海德格尔等面对这个思考和存在的断绝的一些哲学家的尝试,但关于这点我们暂且不提,现在想提问的是;20世纪后期井筒和牟宗三在西方哲学的影响下,试图重新构建东方哲学以及通过各自独特的方法去肯定人达到存在本身的可能性,我们是否将这些挑战看做一种在康德以后的时代上重新恢复“思考和存在的一致”的东亚式的尝试?

 但问题是,今天对西方和东方的思想进行比较的时候,井筒和牟宗三的观点有多少有效性。例如,关于牟宗三哲学的一条生命线,即是“在中国哲学中,人也能有智的直觉”这一命题,康德本人给予了严厉的批评。

 

〔中国的哲人〕只要像是属于感性世界的理智居民,停留在感性界的内部就好了,不过他们却不这么做,总是想沉迷于妄想。〔…〕由此产生了将虚无视为最高善的老子教的奇怪体系。所谓虚无是指一种意识;这意识具有通过主观与神性的融合,从而又通过消灭自己的人格,而陷入在神性的深渊的一种感觉。*9

 

 康德在这里说的是,对于人类来说,理性(Vernunft,即不是知性 Verstand)的作用本来是经过在我们的心里起作用让我们进行实践,但是在像老子那样的中国思想中理性就超出这个作用,将理性的对象实在化(即将那对象看为能经验到的东西),并且感觉到人的思考和神性的一致,然而那是错误的妄想。因为康德讨论中国思想的地方非常有限,所以我们不知道他对中国思想的理解有多么正确,但是这个话不会仅限于对老子的批评。因为康德的批判哲学提出了人的知性认识的界限的目的之一就是以此遏制“人也能有智的直觉”这样的思维方式。我们能从《万物的终结》这个文本看出来,作为批判哲学应该遏制的对象,康德本人明显地意识到中国的哲学家以及他们的思维方式。

 牟宗三认为根据康德所说智的直觉只属于上帝,而人没有,可是在中国哲学中人也能有智的直觉。不过事实是相反的。也就是说,如果继续用康德的词来讲,首先中国的先贤们相信人能有智的直觉(甚至根据 Michael Puett 的研究,他们简直断言能够成为和上帝相同的存在((See Michael J. Puett, To Become a God: Cosmology, Sacrifice, and Self-Divinization in Early China, Harvard University Asia Center, 2002.),后来康德对这种思想说道智的直觉只属于上帝。那么,牟宗三的主张只不过是为了超越康德甚至整个西方哲学,在康德以后的时代将康德本人想要压制的思想形态再次拿出来而已吗? 更简单地说,牟宗三的讨论会不会只是将哲学的历史推翻过来而已?

 这不仅仅是牟宗三一个人的问题。井筒俊彦也为了表示“东西哲学的区别”,明确地提出了作为东方哲学的特点的“意识和存在的一致”。不过从康德的立场来说,这可能与其说是东西哲学的区别,不如说是近代和古代的区别? 如果是的话,那么今天我们如何能真正意义上进行东西哲学的比较呢? 或者如果这样的怀疑是不正确的话,那么到底是根据什么理由来否定它呢? 因此,为了探讨这些问题,首先我想从井筒俊彦和牟宗三的一些文章的分析开始讲我的论文的本论。

 

 目前我打算将本论分为两个部分。第一是分析井筒和牟宗三的文章。虽然今天我发表的内容有着相当粗略的地方,但在下面的第一部分我就会从如何实现“思考和存在的一致”或者思考和存在的关系是怎么样的等这样的角度出发,仔细探讨井筒俊彦和牟宗三的著作。第二是整理一下从两者的分析中得出的论点以及对两人进行对比。井筒和牟宗三之间有不少区别。我想明确那些区别的同时,最终能从两人的哲学中抽出我们能继承的一个或者几个共同问题就好了。关于本论的这些论点我还在思考和整理的过程中,希望在下一次发表的时候比较清楚地讲给大家。今天我的发表到此为止。谢谢大家!

 

*1:根据我的理解,虽然目前没有新儒家井筒俊彦的比较研究,但新儒家和京都学派的比较的话,已经有些前例。请参考朝仓友海《「东アジアに哲学はない」のか——京都学派と新儒家》(岩波书店、2014年) 、吴汝钧 《纯粹力动现象学》(台湾商务印书馆,2005年)、Yuk Hui, The Question Concerning Technology in China: An Essay on Cosmotechnics(Urbanomic, 2016)等。

*2:井筒俊彦《意识の形而上学——「大乘起信论」の哲学》、中央公论社、1993年、11-12页。

*3:井筒《意识と本质——精神的東洋を索めて》、岩波文库、1991年、82页。

*4:关于“意识和存在的统一”的讨论,除了《意识与本质》以外,也可以参考《イスラーム哲学の原像》(岩波新书、1980年)。

*5:请看若松英輔编《井筒俊彦ざんまい》(庆应义塾大学出版、2019年)、泽井义次・镰田繁编《井筒俊彦の東洋哲学》(庆应义塾大学出版、2018年)、若松・安藤礼二编《言语の根源と哲学の发生 增补新版》(河出书房新社、2017年)等。。这样我们不能不说他们的视野的确很狭窄。于是作为和井筒同一时代的另一个尝试,我想讨论牟宗三的思想体系的同时,将它作为井筒的比较对象。因为在所谓的新儒家里,牟宗三是在理论方面取得了最高成就的人物之一。

 

 牟宗三是来自于山东的哲学家。北京大学毕业后,他在大陆的几所大学里当逻辑学等学科的讲师。在1949年的初夏,他只身逃往台湾,后来在香港和台湾进行中国哲学的研究。虽然现在牟宗三被认为是新儒家的主要代表人物之一,但我们要注意在他活跃的时代新儒家作为学派和框架还不存在,牟宗三他们的历史地位也在80年代以后才被追溯而确定下来((See John Makeham, "The Retrospective Creation of New Confucianism", Makeham ed., New Confucianism: A Critical Examination, Palgrave Macmillan, 2003.

*6:牟宗三《现象与物自身》,台湾学生书局,1990年,页5。

*7:《现象与物自身》,页399。

*8:Hannah Arendt, "What Is Existential Philosophy?", ed., Jerome Kohn, Essays in Understanding: 1930-1954kindle edition), Schocken, 2011.

*9:カント《万物の終わり》,《启蒙とは何か》,篠田英雄译,岩波文库,1974年所収,页99。

ひとの目を気にしないで生きるために

 

※もしあなたがこの題にまつわるなんらかの教訓や有効な手段を求めるならば、ただちにこのページを消し去らねばならない。いますぐにだ。そして可能であるならば、いつもブラウザの閲覧履歴を消すような仕方で、この雑文にたどり着く数分前からの記憶を抹消するべきである。なぜなら、以下の議論は、あなたがひとの目を気にしないで生きることを完全に不可能としてしまうからだ。

 

ぼくはけっこう他人の目を気にする人間であるが、できれば他人の目を気にしないで生きていきたい。けれども、他人の目を気にしないでいることはきわめて困難だ。じつのところ、どうすればよいかまったく想像もつかない。もちろん、「自分を信じればいいんだよ!」とか「気持ちの持ちようだよ!」などといった助言は蔑むことすら惜しまれるなにかとしてただちに棄却される。それらは完全に無益であるばかりか、時と呼気の無駄であるという点においては有害ですらある。そのことを示すために、ここで少し抽象的に考えてみよう。

 

抽象的といったが、さほど難しいことではない。ぼくのあまり頑張ってない文章を読むひまなどない忙しいひとのために*1、以下に要点を示そう。

 

1、他人の目を気にしないひととは、およそ自分の言動が他人にたいしてどのような結果をもたらすか、またそれによって他人がどのように(とりわけ自分にたいして)思うかについてまったく無頓着なひとのことである。

 

2、他人の目を気にしないひとは、「私は他人の目など気にしない」といってはならない。

 

3、他人の目を気にしないひとは、「私は『私は他人の目など気にしない』などといってはならない」と考えてはならない(以下無限後退)。

 

4、ゆえに他人の目を気にしないひとは、自分が他人の目を気にしているかどうかという問いからまったく隔絶されていなければならない。

 

5、意味とはつねになんらかの心的作用であるのではなく、むしろ知覚可能なしるしの使われ方であると考えるならば、あなたはじつに計算深く「他人の目を気にしないひと」になることもできる。しかしながら、それはとりもなおさず、もっとも他人の目を気にする生き方のひとつである。

 

それではくわしくみていこう。
他人の目を気にしないでいるために必要なのは、なによりまず「他人の目を気にしないひと」とはなにかを知ることである。そこでひとまず以下のように定義する。

 

1、他人の目を気にしないひととは、およそ自分の言動が他人にたいしてどのような結果をもたらすか、またそれによって他人がどのように(とりわけ自分にたいして)思うかについてまったく無頓着なひとのことである。

 

とくに難しいことはないだろう。
多少文句があっても我慢していただきたい。ぼくもこんなトピックについてあまりまじめに考えたくはないからだ。とりあえずこれで定義されたことにしよう。

 

他人の目を気にしないひとがどういうものかはわかった。では、つぎにどうすればなれるかを考えよう。いったいどうすればいいのか?

 

たとえば自分は他人の目など気にしていないと考えているひとが、だれかに向かって「私は他人の目など気にしない」というとき、それはいわばひとつの立場の表明であり、かならず「私はあなた(という他者あるいはひろく他者一般)に自分が『他人の目を気にしない人間』であると見なしてほしい」という欲望を暗示している(話し手が欲望を自覚しているかは問題ではない、言葉を発するというのはそういうことだ)。そうであるならば、じつは「私は他人の目など気にしない」という文言は、つねに(本質的に)他人の目を気にするひとによってのみ宣言されなければならない。だから:

 

2、他人の目を気にしないひとは、「私は他人の目など気にしない」といってはならない。

 

したがって、もしも他人の目を気にしないで生きようと思ったら、なによりまず「私は他人の目など気にしない」と言うことだけは避けなければならない。そしてじつに困ったことに、上記の理由で「私は『私は他人の目など気にしない』と言ってはならない」と考えるとき、ひとはすでにその宣言が他人に与える意味や印象にもとづいて自分の行動を決定あるいは制限していることになる。つまり、他人の目を気にしてしまっているのだ。だから、他人の目を気にしないひとは「『私は他人の目など気にしない』と言ってはならない」と考えることすら許されないのである(ここから無限の入れ子構造が立ち現れる)。ゆえに:

 

3、他人の目を気にしないひとは「私は『私は他人の目など気にしない』などといってはならない」と考えてはならない(以下無限後退)。

 

したがって、他人の目を気にしないで生きている(と自覚の有無にかかわらず信じている)ひとにとって、「あなたは他人の目を気にするか」という問いほど厄介なものはない。なぜなら、それを否定しようが肯定しようが、回答するやいなやかならず他人の目を気にするひととなってしまうからである。だからこそ:

 

4、ゆえに他人の目を気にしないひとは、自分が他人の目を気にしているかどうかという問いからまったく隔絶されていなければならない。

 

ぼくは他人の目を気にしないで生きてみたい。だけれども、ぼくにはそれがいったいどのようにして可能なのか、まったく見当もつかない。

 

ここですこし角度を変えて考えてみよう。

 

たとえばなにやら奇抜な格好をして外を出歩き、ひとから「あなたは他人の目を気にするひとですか」と聞かれるやいなや、まったくなんの打算もためらいもなく、即座に「納豆!」と宣言してラジオ体操を始め、まったく恥じる気配のないようなひとは、はたして他人の目を気にしていないのだろうか。「他人の目を気にしないひと」という言葉の常識的な用法を考えれば、それはただしいように思える。詳しく考えるのは面倒だが、私たちは通常そうした奇妙キテレツな行ないをするひとは、たいてい他人が自分をどう思うかなど考えていないはずだと思う。

 

しかしこれを読んだあなたが、そうか、そうすればよいのかと思って街へ繰り出し、おもむろに「納豆」と言ってのけたところで、もはやそれはのぞむような効果をもたらさないばかりか、それは「納豆」と口にすることの可能な帰結(ひとから「他人の目を気にしないひと」とみなされること)をあらかじめ想起しているという点で、じつはとても強く他人の目を気にしていることになるのである。それゆえ:

 

5、意味とはつねになんらかの心的作用であるのではなく、むしろ知覚可能なしるしの使われ方であると考えるならば、あなたはじつに計算深く「他人の目を気にしないひと」になることもできる。しかしながら、それはとりもなおさず、もっとも他人の目を気にする生き方のひとつである。

 

ここまで考えると、他人の目を気にしないで生きることがいかに難しいかがよくわかるだろう。いやむしろ、この困難さは思考そのものに由来している。つまり他人の目を気にしないで生きるにはどうすればよいだろうかとか、私は他人の目を気にしているのだろうか、などと考えはじめたとたん、この課題は限りなく不可能に近いものとなってしまうのである。つまりこれは問題自体にある種の罠が仕掛けられた悪質な問いなのだ。したがって、この文章をここまで読んでしまったひとはもはや後戻りができないだろう。ぼくが勧められる唯一の選択肢は、せいぜいいさぎよくあきらめて、現実的な落とし所をさぐるくらいだ。なんと平凡な答えだろう!

 

だからもし、あなたの身のまわりでいかにも他人の目を気にしないで生きていそうなひとを見かけたら、まずこのように問いかけてみよう。たとえ相手がどんな精神的境地に身をおいていようとも、彼女/彼はたちどころにこの悲劇的な沼に引きずりおろされるに違いない。残念だが、それが論理的帰結というものである。

 

 

*1:かくいうぼくもいまはわりと忙しいのだーーこんなつまらない情報のためだけに注を踏んでくださったすべてのひとにぼくは申し訳ないとおもう……。

【試論】再考“文”與“風土性”

  

  去年我花了大量的时间对中国传统的“文”的概念的现代性转化的可能性进行考察,结果我发现自己在追求的问题实在太大了,用几年的时光根本不会得到一定的“成果”。于是我暂时放弃了这个研究,最后去年12月在一个与台湾大学的工作坊里关于这个话题做了一次发言(下面的文章之所以用繁体字是因为这个原因)。还好大家的反应还好,但因为这是一种笔记,而不是正规的论文,当然逻辑也不完整,所以应该没有一个地方可以发表。于是发在自己的博客了……。

  将来有足够的能力和时间去探讨这个问题的时候,我就想写一本关于新的"文"的哲学的著作。

 

***

 

 前言


  隨著認知神經科學等方面的發展,我們能從新的一個角度來思考所謂“克服西方現代的二元論”那種已經相當陳腐的問題。那麼,通過這樣的思考方式重新看現有的文本,我們能講些什麼呢? 本稿主要有兩個目的。第一是擴展“風土”的概念。法國當代的東方學者邊留久(Augustin Berque)用“風土”的概念分析人類與自然環境互相結合的過程。我們試圖根據認知科學家 Mark Changizi and Shinsuke Shimojo 的一個理論,從符號與環境的關係這個角度來進一步擴展邊留久的風土概念。第二是對“文”的概念的再思考。我們想用邊留久的理論以及關於符號與環境的討論,從與經典解釋學的框架不一樣的方向重新思考“文”的概念,以及在《文心雕龍・原道篇》裡展開的人類與自然環境的關係。


 1 《文心雕龍・原道篇》的文的概念


  首先我簡單地梳理一下《文心雕龍・原道篇》。關注《原道篇》理由是因為這個文章通過利用文的概念的多義性[★1] ,說明人類與自然環境的一種連續性。原道篇的開頭是這樣的。

  

文之為德也大矣,與天地并生者何哉? 夫玄黃色雜,方圓體分,日月疊璧,以垂麗天之象;山川煥綺,以鋪理地之形:此蓋道之文也。仰觀吐曜,俯察含章,高卑定位,故兩儀既生矣。惟人參之,性靈所鍾,是謂三才。為五行之秀,實天地之心。心生而言立,言立而文明,自然之道也。傍及萬品,動植皆文。[★2]

 

從下劃線的部分可以看出,“文”這個字在這裡出現了四次,我們將它們分為兩個意思。第一個意思是像在《說文解字》所說的“文,錯畫也”這樣的線條的交叉的意思,這可以包含自然物的花紋。“文之為德也大矣”、“此蓋道之文也”以及“動植皆文”這三個句子中的文,基本上都有這個含義。另外,在“心生而言立,言立而文明,自然之道也”的部分的“文”是指文章或者文學。這裡值得注意的是,不僅是“道之文”和動植物的文,人的文章也來源於“自然之道”。也就是說,自然之文和人之文都是由同一個原理產生出來的。

 

龍鳳以藻繪呈瑞,虎豹以炳蔚凝姿,雲霞雕色,有踰畫工之妙;草木賁華,無待錦匠之奇。夫豈外飾,蓋自然耳。至於林籟結響,調如竽瑟。泉石激韻,和若球鍠,故形立則章成矣,聲發則文生矣。夫以無識之物,鬱然有采,有心之器,其無文歟?[★3]

 

從這個部分也可以看出同樣的想法。在這裡劉勰經過描寫“無識之物”——也就是沒有心的動植物和雲霞等東西之中的“文”,再一次強調作為“有心之器”的人也必然擁有“文”。關於《原道篇》的“文”的字的這種用法,日本的漢學家興膳宏先生說“劉勰講他的文學原理論時,巧妙地運用漢字獨特的雙重性或多義性” [★4]。確實在這裡,“文”這個漢字表達了“自然的花紋”和“人類的文章”這兩個從字面上看完全不同的含義。這不僅僅表現了這兩個詞語的同源性,也顯示出了一種(詞語間的)連續性。可是這個連續性為什麼成立呢? 這與文的概念的“美”這個含義很有關係。許多學者都指出,不管是自然的還是人的,《文心雕龍》中的文都以“美”為其特色。

 

在動植物身上,風的聲音裡,水的細流中都普遍存在著美麗的自然之文,那麼擁有靈妙的心智的人如何没有文呢?[…] 就像美麗的雲霞,草木的色彩一樣,人的文章也應該具有自然之美[…][★5]

 

這是日本的漢學家目加田誠先生的評論。“就像美麗的雲霞,草木的色彩一樣,人的文章也應該具有自然之美”這句話表示,以“美”的含義為共同點,自然與人的兩種文之間存在一種類比性的連接關係。事實上,之前所引用的兩個部分也重複同一個說法,即先說明自然之文的存在以後,強調人之文的存在的必然性。
  但另一方面,根據語言的多義性和類比性的連接關係不同,現當代思想的研究更具體而詳細地表示人類與環境的連續性關係。邊留久是其中最具有代表性的一個思想家。


 2 風土性與符號的通態


  邊留久以中國的詩歌、繪畫以及西方和日本的關於風景的討論等為線索,分析了人類和自然環境的相互關係。對他來講,人和文化總是受到環境的影響,但環境也卻被人類不斷地改變。邊留久將這種相互關係以及人類所改變的環境本身稱作“風土”。“風土”這個詞是邊留久本人選擇的日文和中文的譯詞。他的“風土”概念有兩種含義的理由是作為環境的“風土”就是從人與環境的關係中產生出來的。
  邊留久的關於“風土”的討論主要有兩個目的。第一個是試圖解構人類與環境、主觀與客觀等二元論,而另一個是通過在人的“實存“的分析中引進環境和空間等要素,批判地繼承海德格爾的存在哲學與和辻哲郎的風土論。

 

風土是從通態的過程中產生出來的,而通過這個過程,人能將自己的身體功能投射到環境裡。我們的風物身體就是這樣形成的。此時人的存在分成兩個半球——即是我們的動物身體和風物身體——[…] 一個半球是風物身體,它被技術與符號嵌入在環境中。動物身體是另外一個半球。[…]儘管這兩個半球的性質不同,它們仍然屬於同一個存在。因此這個本體論結構,根據這兩個半球形成著充滿活力的統一性。[★6]

 

這是邊留久的風土理論的經典之作《風土學導論》的一部分。在這裡邊留久用“動物身體”和“風物身體”的統一這樣的說法說明的是,人一方面作為一種動物必須要符合於生理學的規律的同時,也能夠脫離於規律而用技術和符號對自然環境起作用。在邊留久的定義中,技術是將人的身體功能投影到環境中並對其產生影響,符號是將外部的環境表現在人的身上。也就是說,人類作為動物被自然環境界定的同時,也通過技術改變環境,通過符號描述環境。因此,人類總不是純粹的主體,而且作為純粹客體的自然環境也不存在。邊留久將這種相互結合的關係稱為“通態”。通態是風土性的本質。邊留久表示,通態是“兩個以上的系統的動態組合。主觀/客觀、自然/文化、偶然與界定的組合”[★7] 。根據我的分析,邊留久的通態概念有兩個階段,第一個階段是指人的動物性和風土性的結合,也就是生理學的界定和人類固有的性質的動態組合。第二個階段是人類固有的性質本身展開的跟環境之間的連續性。

 

在通態中,人類與非人類之間,並不存在可觸知的界限。的確,人類世界的技術與符號性拓展並不享有共通尺度,但原則上來說是同樣的[…]通過技術宇宙化的事物必然通過符號被身體化。[★8]

 

這是翻成中文的另外一篇文章。下劃線的部分可以看出,在邊留久的理論中,技術和符號被看作成人類與自然環境的通態關係的一個要素。反過來講,甚至在為了解構主體和客體的二元論而強調人類與環境的通態的邊留久的討論裡面,符號被認為是人類的文化產物,這是他討論的前。換句話說,他並沒有考慮符號本身的通態的可能性。
  當然,因為邊留久的分析基本上以人的實存為對象,所以我們可以說這也是沒有辦法的事情。但現在的科學研究提出了與這樣的符號觀不一樣的看法。根據美國的科學家 Mark Changizi 和日本的科學家下條信輔的理論[★9] ,包括漢字、拼音文字等幾乎所有的文字、符號系統之間存在著一個共同的結構傾向,而且這個傾向跟自然物的形狀和位置關係等信息有密切的關係。下面我簡單地介紹一下他們的研究。

 

 2-1 嵌入文字符號的自然性


  在分析文字符號的時候,Changizi 和下條注意到“拓撲性質(topological property)” 和 “幾何學性質(geometrical property)” 的區別。簡單地說,拓撲性質是指抽象的線條的交叉模式,幾何學性質是指各個線條的具體的形狀和角度。在他們的研究中,Changizi 和下條只有注重拓墣性質,而不關注幾何學性質。這是因為前者是不受各種條件影響的、更穩定的形狀概念。

 

This topological notion of shape has an advantage over more geometrically based notions, where the specific stroke/contour shape and orientation would matter: typically, any given human visual sign can undergo significant variability in its geometrical structure without losing its identity, but typically, its topology cannot vary.[★10]

 

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上圖[★11]表示了拓撲性質和幾何學性質的區別和關係。簡單地說,一個拓撲形狀能具有多樣的幾何學性質的變體。他們的實驗方法是:通過將文字、記號,還有自然物等東西看為拓撲性的“結構要素(configuration type)”的集合體,分析各種東西的結構的傾向性,即“結構分布(configuration distribution)”。結果他們發現,人類的幾乎所有的文字、符號之間有一種拓墣性質上的規律性,而且其規律性被自然物的存在方式所界定。

 

Our third and final result was that the signature configuration distribution for human visual signs closely matches that of natural scenes, in that their ranks are highly correlated. This serves to provide evidence for the ecological hypothesis that because we have evolved to be competent at processing the configuration types found in natural scenes, there has been cultural selection pressure for human visual signs to disproportionately possess the naturally common configuration types.[★12]

 

下劃線表示文字符號的結構要素的處理方式和空間的認知方式有對應關係。換個角度來講,各種文字、符號系統在其內部構造上模仿著自然環境的形狀。然而,值得注意的是,他們表明的文字符號的內部結構所擁有的跟自然環境的關係只限定於拓撲性質上。如上面所說,Changizi 和下條分別注意到拓撲性質和幾何學性質以後,又將後者故意地排除掉。

 

[T]he geometrical properties of such conglomerations will change substantially with the observer’s viewpoint (i.e., accidental properties), whereas the topological properties will be viewpoint invariant (non- accidental) to a much greater extent.[★13]

 

這是他們排除幾何學性質的理。因為幾何性是太多樣化的、有太多的偶然性的性質,根本無法導出一個一般性的規律。由此可見,實際上文字、符號是由兩個不同的系統的組合而形成的,第一個系統是非偶然的、和自然環境之間有一種連續性的拓撲性質,第二個系統是偶然的、根據觀察者的觀點而變化的幾何學性質。大膽地說,以多樣性和偶然性為特色的、無法與自然規律完全一致的幾何學性質是一種人類固有的文化性的源泉。
  正如上面所述,邊留久將通態定義為“兩個以上的系統的動態組合。主觀/客觀、自然/文化、偶然與界定的組合”。雖然邊留久考慮的是人類與環境的相互關係的形式以及人類的動物身體與風物身體的組合,但是如果將文字、符號的性質理解為從自然環境受到結構性界定的拓撲性質與作為文化的多樣性和偶然性之根源的幾何學性質的動態組合,那麼文字、符號之中是否也有一種通態性? 如是的話,我們就可以說,雖然在邊留久所提倡的風土性關係當中符號只是成立人類與環境的相互關係的一個構成要素,但實際上,符號本身就體現了一種通態性,也就是自然環境和人類的文化的連續性。我們暫時將它稱為“符號的本體論的通態”


 3 文字符號的幾何學性通態?——Changizi and Shimojo 的理論和“文”的區別


  現在回到“文”的問題吧。對我們來講,在上面所述的文字及符號的通態性讓人想起“文”的概念。確實,兩者之間就有表面上的類似性;“自然之文”的“文”本來意味著線條的交叉以及由其構成的花紋,而且Changizi 和下條所關注的拓撲性質也是指線條的交叉模式。然而,我們不應該將“文”和符號或文字直接連在一起。因為兩者之間存在著明顯的差異。
  首先,《原道篇》說的“人之文”不是文字與符號,而是文章或文學。除此之外,“文”的概念所表示的人類與自然環境的連續性是以美為關鍵,這與關於符號的拓撲性質的討論完全不同。因為與美這種強烈的體驗不同,拓撲性質幾乎不會被意識到。

 

The part of our brains that performs visual computations is arranged in a hierarchy. The lower areas of the hierarchy——the first place where visual processing takes place on the brains’s way to object recognition——deal with simpler parts like contours, slightly higher areas then deal with simple combinations of contours, and finally, the highest areas of the hierarchy recognize and perceive full objects[…][when you see a cube in front of a pyramid,] You don’t ‘see’ the dozen-plus contours the same way. Nor do you ‘see’ the many corners and junctions where those contours intersect.[★14]

 

正如從下劃線的部分可以看出,與美這種強烈的體驗相反,拓撲性質幾乎不會被意識到,可是 Changizi 和下條表明的就是在無法看見的線條交叉的層次上展開的符號與自然環境的連續性。順便說一下,根據 Changizi他們的看法,拓撲性質的分析離不開計算機技術的發展和合適的算法的選擇。
  然而,美的感知必須要“認識和知覺整個物體(recognize and perceive full objects)”的信息處理方式,因此,用 Changizi 和下條的話來講,《原道篇》的文的概念所表現的人類與自然環境的連續性總是在幾何學性質的層次上展開的。簡單地說,文的連續性從原理上講是能被體驗到的,而拓撲性質上的連續性卻不能被體驗到。這個差異表示“文”的連續性暗示著與最近的科學成果中發現的“符號的通態性”不同的通態性的存在。那麼,這種連續性具有什麼意義呢?這是我們的最後的論點。
  首先,我們回憶一下邊留久的通態概念的兩個階段。第一個階段是動物身體與風物身體的結合,而第二個階段是人類固有的風物身體本身與自然環境之間的關係。雖然我們這次提出了“符號的本體論的通態”這個概念,但它仍然停留在邊留久所說的“通態”的第一個階段上,即是必須符合自然規律的側面(動物身體/拓撲性質)和人類固有的側面(風物身體/幾何學性質)的動態的結合,但還沒有說明通態的第二個階段,也就是人類固有的側面本身能展開的跟自然環境的關係。儘管我們不應將“文”和符號或文字直接連在一起,我們還是可以說,為了思考文字符號的幾何學性質上的通態性,“文”的連續性的確有成為一個線索的可能性。


 總結 


  這次我們考察了兩個問題。第一個問題是,在認知科學等發展的背景下,是否能夠擴展“風土”概念? 關於這個問題,通過分析 Changizi and Shimojo,我們提倡“符號的本體論的通態”。這個概念可以描述在人與環境的風土性關係之中幾乎沒有被思考過的文字符號和自然環境之間的一種連續性。第二個問題是,使用邊留久的“風土”概念和“符號的本體論的通態”,在“文”的概念的豐富的可能性中能夠添加一個什麼樣的觀點? 我們在將符號的通態性與文的連續性加以比較的過程當中,注意到《原道篇》的文的概念表示的人類與自然環境的連續性的關鍵因素是“美”,以及將它理解為書寫的幾何學性質上的通態可能性。由此可見,為了補充“符號的本體論的通態”的概念,文的連續性有可能成為一個重要的線索。

 

 

1:關於《文心雕龍》的“文”的概念的多義性以及其解釋歷史,請看威良徳《中国文論話語的還原——以『文心雕龍』之 “文”為中心》,《〈文心雕龍〉與 21 世紀文論研究》,中國《文心雕龍》學會編,學苑出版社,2009 年等。
2:詹鉠《文心雕龍義証》上,上海戶籍出版社,1989 年,第 2~8 頁。
3:詹鉠,1989 年,9 頁。
4:興膳宏「『文心雕龍』の自然観照——その源流を求めて——」、『中國の文學理論』、221 頁
5:目加田誠『文心雕⻯』,龍渓書舎,1986 年,第 11 頁。
6:オギュスタン・ベルク中山元譯『風土學序説』筑摩書房,2002 年,第 223-224 頁。
7:ベルク,篠田勝英譯『風土の日本——自然と文化の通態』,ちくま學藝文庫,212 頁。
8:Berque, Y-a-t-il un tequnique naturelle? Research Network for Philosophy and Technology, 2018, p.20.(劉楠譯『論一種 自然技術的存在』,器道哲学与技術網絡,2018 年,第 7 頁。譯文略微改變了)
9:Mark A. Changizi and Shinsuke Shimojo, et al., “The Structures of Letters and Symbols throughout Human History Are Selected to Match Those Found in Objects in Natural Scenes”, American Naturalists, vol.167 (2006), pp.117-139.
10:Ibid., p.128.
11:Changizi, Shimojo, et al., (2006) p.118
12:Ibid., p.129.
13:Ibid., p.119.
14:Changizi, The Vision Revolution: How the Latest Research Overturns Everything We Thought We Knew About Human Vision, BenBella Books, 2010, pp.178-180.

 


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