暁命堂雑記

ときどき書きます。

論文を書きました。「観念と力動——牟宗三の「唯心論」再考」

中国哲学研究』という雑誌の第33号に、「観念と力動——牟宗三の「唯心論」再考」という論文を寄稿しました。

 

牟宗三という中国の哲学者について論じたものです。かれは20世紀の中頃以降に、おもにカント哲学との比較のなかで中国哲学を再構築した、なかなかとんでもない人物です。以前このブログでも少し言及していました。

 

tsubuan1525.hatenablog.com

 

この記事を書いたのは修士論文に着手するまえだったかと思います。結局思いのほかいい議論ができそうな手応えとひらめきを得たので、そのまま深掘りして修論にして、いまこうしてじっくり練りなおしたものを雑誌に投稿したわけです。井筒論もちゃんとまとまったので、今年のうちに学会で発表したり論文を提出したりしていくと思います。博士論文も早く完成させられるといいですね。

 

ちなみに雑誌はまだデータベースやリポジトリの類に登録されていないので、ウェブ上からPDFをダウンロードしたりできないのですが、神保町の東方書店さんの店頭や通販サイトで購入できるそうです。よかったらご覧ください。(何らかの方法でご連絡いただければ、こっそりご対応することも可能ではあります)

 

www.toho-shoten.co.jp

Adobe Acrobat Reader が Preview より明らかに優れている点について

翻訳仕事(英→日)の際に pdf ファイルを表示するソフトウェアを、Mac にデフォルトで入っている Preview から(無料の)Adobe Acrobat Reader に変えてみた。数ヶ月ほど使用した結果、明確に後者のほうがよいと思われたので、その理由を簡単にまとめておく。

 

◯検索の精度と使い勝手
1)Preview は語句の検索モレが時折発生するが、Acrobat Reader(以下AR)では現状とくに発生していない
2)Preview は日本語ファイルの検索機能に問題がある。単語の途中で改行されたものが、検索にかからなくなってしまうのだ。これを回避できるだけでも、ARを使用するメリットは十分に高いといえる

 

2)の一例。拙訳『中国における技術への問い』より、「技術性 technicity」の検索結果。ここでは該当する語が黄色くハイライトされている

 

ところが、右頁本文の段落の右から四行目にある「技術性」は、途中で改行された結果、検索に引っかかっていない。これは原稿の確認や索引の制作において大きなミスを生む原因となる、危険な問題である

 

※じっさいに上記の拙訳の作業をしていたときは、ARでこの問題がおおよそ解決できていたのだが、いま調べたところ、じつは例に挙げた「技術性」の箇所が AR の検索でも見落とされてしまった。ここにかんしてはもとのインデザインの処理や調整に要因があるかもしれないが、いずれにせよ日本語ファイルでの検索には注意しなければならないという意味で、自分自身にとってもよい戒めになった。とはいえ少なくとも私の経験則では、AR のほうがこの問題の発生率はかなり低いはずである。

 

3)ARでは、候補となる単語を検索窓に表示してくれる。これにより、異なる品詞や活用形の情報が整理しやすくなる

 

こちらは現在翻訳中の Art and Cosmotechnics より


◯ARのコピー機

・ヨーロッパ言語のテクストでは、単語を途中で改行したときにハイフンが入る。上の図の第二段落にある「appre-ciate」がその一例。これは体裁と意味を両立するために不可欠のものだが、単語を調べたり文を引用したりする場合このハイフンは不要になるため、都度消さなければならない。ところがARでは、単語をコピーした際にこの種のハイフンをすべて消したうえでクリップボードに保存してくれるのだ。しかも上図の「pre-pictorial」のように消してはいけないものはきちんと残してくれる。これは非常に便利な機能といえる

 

◯ARのデメリット

1)ファイルの表示形式(ページの切り替え方法や表示倍率など)が都度リセットされる点が気になったが、これは設定で解決できるので問題ない

 

この一番上にチェックを入れる

 

2)Mac の辞書のショートカットが使用できなさそう。これは端的に困った点だ。Preview やブラウザ等では、トラックパッドの操作で辞書を呼び出し、単語の意味を調べることができる。じつのところ、本気でものを書いたり翻訳する場合にはこの辞書だけでは少々役不足なのだが、ざっと確認したいときや、ある英単語がほかの言語——中国語やドイツ語、フランス語など——ではどう表現されるのかを把握したい場合など、いろいろと役に立つ。

ところが、ARだとトラックパッドの操作でもキーボードのショートカット(command+control+d)でも辞書を使えなかった。どうやら weblio の英和辞典をプラグインで導入できるらしいが、それを使うくらいなら、さすがに JapanKnowledge やその他もろもろの普段づかいの辞書を使用する。これは明確な欠点ではあるが、PCで読書でもしないかぎり、そこまで大きな問題ではないと思われる。

 

以上。またなにかあれば追記するかもしれない。

ここ半年ほどの仕事と今後の予定

昨年8月末に『中国における技術への問い』の邦訳を出してから、結構いろいろと仕事をしました。自分のためにも以下にまとめておきます。研究会などでの発表や報告はのぞく。モレはあるかもしれない。

 

(1)原稿、翻訳仕事
「ユク・ホイと地域性の問題——ホー・ツーニェンの「虎」から考える」、『ゲンロン13』、2022年

www.genron-alpha.com

 

「技術多様性の論理と中華料理の哲学」、『群像 2023年4月号』特集:テックと倫理

gunzo.kodansha.co.jp

 

「肉は切らねど骨は断て——排骨湯と『庖丁解牛』の自然哲学」(料理と宇宙技芸 第6回)、「Web ゲンロン」

www.genron-alpha.com

 

(2)翻訳
ユク・ホイ「共生の言葉について」(惑星的なものにかんする覚書 第1回)、『ゲンロン14』、2023年

www.genron-alpha.com

 

 

ユク・ホイ「ケーニヒスベルク人の夢をたどる観光客──東浩紀『観光客の哲学』評」

www.genron-alpha.com

 

(3)登壇
伊勢康平 聞き手 = 横山宏介「はじめての宇宙技芸──『中国における技術への問い』訳者解説トーク」、2022 09/01(公開終了)

genron-cafe.jp

 

石田英敬 × 原島大輔 × 伊勢康平「宇宙技芸の世紀にむけて──ユク・ホイ『中国における技術への問い』刊行記念」、2022 09/22(公開終了)

genron-cafe.jp

 

伊勢康平 聞き手 = 栁田詩織「学問のミライ#1 「東洋哲学」をつくりなおす──中国思想のミライ」2023 02/24 

genron-cafe.jp

 

ユク・ホイ × 石田英敬 × 原島大輔 × 伊勢康平(+東浩紀)「ユク・ホイと『現代思想』を語る」、「石田英敬の「現代思想の教室」」、2022/05/26

shirasu.io

 

(4)今後の予定(モレもあるかもしれない)
1:「料理と宇宙技芸」の第7回に向けて作業中です。夏には公開したいと思います。

→8月に公開されました

www.genron-alpha.com

2:中国の哲学者・牟宗三にかんする論文を4月末に提出します。

→提出しました(20230430)

3:今年の3月から、ユク・ホイ『芸術と宇宙技芸(仮)』の翻訳に着手しました。4月現在の進捗は5分の1くらい。秋には訳出を終えて、来年には刊行したい。

→翻訳しました。2024年2月現在、初校ゲラを修正中です。6月までには出るかな…。

4:東大EAA(東アジア藝文書院)で昨年度に行なわれたオムニバス講義の書籍化に協力します。ホイさんの講義録を翻訳します。

→翻訳しました(20230508)。2023年10月刊行予定です。

→2024年3月に初校ゲラを受け取りました。今年中には出るんじゃないでしょうか。

5:6月にゲンロンカフェに登壇します。

→しました。

shirasu.io

 

6:『ゲンロン15』のホイさんの連載を翻訳します。

→翻訳しました(20230503)。たぶん秋には刊行されます。

7:5月に五反田で急きょホイさんのインタビューを録りました。東浩紀さんが(といちおう私も)聞き手をつとめ、私が英文の構成から翻訳までやりました。『ゲンロン15』に掲載されます。→掲載されました。

 

genron.co.jp

 

n?:秋には井筒俊彦の論文を仕上げる予定です。「料理と宇宙技芸」の第8回も年内に書きたい。年度内に吳汝鈞という中国の哲学者について論考を書きたい。

→2024年現在、井筒の論文はおおむね仕上がりました。学会発表をしてから刊行をめざす流れになるかも。「料理」の第8回はまだ書けていないけど、春には書きたい。呉汝鈞は今年以内の目標にズレました。

 

『中国における技術への問い』邦訳を出します

 このたび、香港の哲学者ユク・ホイ(許煜)の著書である The Question Concerning Technology in China: An Essay in Cosmotechnics (Falmouth: Urbanomic, 2016.) の邦訳を刊行することになった。

 

 

また、版元のゲンロンが特設サイトを作成し、著者書き下ろしの「日本語版へのまえがき」を無料で読めるようにしてくれている。本書の重要な論点を簡潔にまとめたよいまえがきだと思う。

 

www.genron-alpha.com

 

それから、つい先日こんな記事も書いた。こちらは本書の問題意識や鍵概念に焦点を当てつつ、より簡潔に内容を紹介したもの。じっさいに読むにあたっていい足がかりになればと思う。

 

note.com

 

すでにいくつかの書店さんでブックフェアが決まっており、注目されているのを実感する。読者からの反響が楽しみである一方、このような本を出することの責任を感じてもいる。

 

 

「野球」という訳語について

甲子園の中継を漫然と流していた昼下がり、ふと baseball を「野球」とするのはあまりよい翻訳ではないんじゃないかと思った。というのも、屋外でフィールド=「野」を必要とするすべての球技は原理的に「野球」になるはずだから。

他方原語の baseball は、ある意味すごろくのように選手が塁間を進む(のを阻止する)という野球の特徴を、じつにうまくとらえた表現になっている。じゃあなんで「塁球」にならなかったんだろう?

そこでなんとなく Wikipedia をみると、中馬庚(ちゅうまん・かなえ)なる人物がはじめて「野球」と訳したらしい。で、「塁球」はソフトボールを指すとのこと。

中馬庚 - Wikipedia

中馬は「底球」という従来の訳語がテニス=「庭球」とまぎらわしいことから、1894年に「ball in the field」なる言い回しをもとに「野球」と名づけたそう。やはり「野」はフィールドだった。

ちなみにショートを「遊撃手」と訳したのもこのひとらしい。こちらはおしゃれなのに的確な意訳という、なかなかすごい訳業である。

いまからみれば「野球」という訳語は、まるでこのスポーツが屋外の球技を一身に背負っているかのような印象を抱かせる。偶然か必然か、それは後の日本で野球がやたらにメジャーな球技となっていることと符合しているが、おそらく実情としては、当時の日本では屋外の球技がそれほど多くなかったことが背景にあるのだろう。

興業としての社会的地位を考えれば、いまさら訳語を変えるのはさすがに無理な話ではある(文学や哲学の用語でもないわけだし)。けれども、これが訳語である以上、べつの表現の可能性を考えてみるのは重要な言葉のエクササイズであるはずだ。

そこでまず注目したいのが、中国語の「棒球」という訳語。ぼくはこれも訳語としては微妙だと思っている。まず打撃に焦点を当てすぎている。そのうえ、ビリヤード——日本語では「撞球」、中国語では「台球」——と混同するリスクもある。じっさい、中国語をまったく知らない多くの日本人からすれば、「棒球」はビリヤードを、「台球」は卓球を意味するように見えるかもしれない。

とはいえ、個人的には「野球」より「棒球」のほうがましな翻訳だと思う。それはなによりまず、「棒球」のほうがより特徴をとらえられているからだけれども、「野」という漢字の問題もある。

この語は、むろん名詞としては中立的な意味をもつわけだが、形容詞的には粗野なことや野蛮なこと、あるいはがさつなことを意味する場合がある。たとえば「野哉由也」(がさつだね、由は)という孔子の発言がその一例(『論語子路第十三)。こうした文脈において、「野」は相当にネガティブな意味を帯びる。ちなみにこうした「野」と対をなすのが「文」、つまり文明の「文」である。

要するに、「野球」が「野原の球技」を意味するのは明らかではあるけれど、漢字の性質上、「『野』な球技」を意味するようにも見えてしまう。あくまで推測だけれども、近代以来多くの造語を日本語から輸入してきた中国語において、「野球」がその例外となったひとつの原因がここにあるように思う。

もちろん、かと言っていまさら訳語を変えるのも不可能なことはすでに言ったとおりだし、ぼく自身はほぼ野球と無縁の生活をしている。なので結局のところ、あまり気にせず生きていくしかないというしかないだろう。

およそありうべき最善でただひとつの結末——『月球植民地小説』について

 もう5年以上まえ、まだ大学生だったころに書いた文章がみつかった。卒論の構想すら立っていなかったころだ。いま見返すと、あまりスマートではないし、よくないかたちで「批評」の影響を受けている——率直にいうと毒されている——感じが否めない(もちろん「批評」自体はよいものだ)。とはいえ、最低限ポイントを押さえているようには見えるし、扱っている小説もまあ珍しいものなので、ここに置いておくくらいならよいかと思った。あまりこのブログを見ているひともいないだろうから、いわば公の場に死蔵するといったところだろうか。

 

   ***

 

空を飛んで旅をする、だって ! あいつは今、鷲をうらやましがっているんだ。でも、そんなことをさせちゃだめだ ! わしはやめさせてみせる。あいつに好きなようにさせておくと、いつか月にむかって飛んでいってしまうぞ!
ーージュール・ヴェルヌ『気球に乗って五週間』

 

 

 ケン・リュウ(劉宇昆)の短編集『紙の動物園』や『もののあはれ』が日本で話題となり、テッド・チャン(姜峯楠)の「あなたの人生の物語」をもとにした映画『メッセージ』が大ヒットしたことなどを受けて、中華系の作家によるSF、いわゆる「中華SF」がにわかに日本で脚光を浴びつつある。早川書房の発行する「S-Fマガジン」の2017年6月号では「アジア系SF作家特集」が組まれ、ケン・リュウや「折りたたみ北京(北京折叠)」で知られる郝景芳らが紹介された。おそらく、中国人によるSFの金字塔である劉慈欣の『三体』が翻訳されたとき、この流れは一度ピークを迎えることとなるだろう。
 とはいえ、当然ながら、中国人(あるいは中華系の人びと)は近年になってはじめてSFを書きはじめたわけではない。一般的に、中国のSF史は、「SFの父」ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』が翻訳されたことをもってはじまるとされている*1。1900年のことだ。つまり、中国のSFにはおおよそ100年あまりの歴史があることになる。そして中国人の手によるはじめてのSF小説は、1904年に書かれた「月球植民地小説」(以下「月球」)である*2

 

 ## 1

 

「月球」の作者は荒江釣叟だとされているが、このあからさまなペンネームの持ち主が誰なのかはよくわかっていない。雑誌「綉像小説」に第31回まで連載されたのち休止し、やがて再開したものの第35回で再び連載が止まり、そのまま未完となった。そしてその後の長い忘却を経て、1981年に作家の葉永烈によって「再発見」される*3
「月球」の物語は、中国の文人龍孟華が敵討ちと称して役人を殺害するところから始まる。龍孟華は妻と国外逃亡を図るものの、船の事故で妻が行方不明となってしまう。龍孟華は失意のままに南洋(具体的には英国領マレー半島)で八年の時を過ごすのだが、ある日「気球」に乗って突然あらわれた日本人藤田玉太郎らの協力を得て、妻を探してニューヨークからロンドン、アフリカ、インドや東南アジアをめぐる旅に出る。
「月球」を少し紐解けば明らかなように、この作品は旧態依然たる文人気質の龍孟華と、科学やテクノロジーに明るく先進的な藤田玉太郎のくっきりした対比を軸に物語を展開させている。英語と中国語を自在に操り、欧米人にも作れないほどのすぐれた「気球」を発明し*4、なおかつ冷静沈着で義侠心も持ち合わせる玉太郎が順調に旅を進めるいっぽうで、外国語も出来ず*5、酒と詩作にばかりふけり、折に触れて妻の不在を嘆いては吐血し卒倒し続ける龍孟華は、一貫して足手まとい以外の何者でもない。とはいえ、近代化≒西洋化が日本人によって象徴され、伝統中国がそれに対置されるというこの構図自体はさほど興味深いものではない。この小説で興味深いのは、むしろ物語の最後でこの構図が逆転するところにある。
 玉太郎らの尽力によって、龍孟華は無事に妻の鳳氏と再会するのだが、その直後に彼らは月から来たという宇宙人と遭遇する。そこで龍孟華は鳳氏が漂流中に生んだという息子と奇跡的な出会いを果たし、いっぽう玉太郎は月から来た「気球」が「自分のものよりはるかに強力である」と感じ、宇宙人との技術の差に絶望する。

 

    このちっぽけな月だけ見たとしても、文明はここまで発達しているのだ。あるいはもう数年もすれば、植民地を開拓するためにわれわれの地球へやって来るかもしれない[……]月でさえこうなのだから、金・木・水・火・土の五つの惑星や天王星海王星のすべてに人が生息しているなら、そしてそれぞれが文明を持っているなら、その強さはわれわれの何千何万倍、いや数えきれないほどのものとなるだろう。もし彼らがわれわれと接触してきたら、一体どう対処すればよいのだ?*6

 

 かくて終始冷静沈着だった玉太郎は発狂し、月へ行けるほどの新しい「気球」を開発しようとして重傷を負うのだが、いっぽうで、龍孟華は鳳氏との再会によってすっかり元の気力を取り戻し、宇宙人(および息子)に従って月へ「遊学」にいってしまう。小説はここで未完のまま終わってしまうため、この後どうなるかは誰にもわからないが、おおかた月で最先端の技術を習得した龍孟華らが玉太郎を超える科学者、発明家となって帰還すると見て間違いないだろう。なかには、北京師範大学の賈立元のように「地球が月と〔武力〕衝突を起こし、〔敗北して〕月の植民地となるのだが、龍孟華ら親子の活躍によって中国は災厄をまぬがれ、物語は大団円をむかえることを暗示している」とまでいう人もいる*7。つまり、「月球植民地小説」とは、地球人が月を植民地にする小説ではなく、月によって地球が植民地にされる(かもしれない)小説なのだ。

 こうして全体を俯瞰するだけでも明らかなように、この小説には近代化と伝統や、人種をめぐる対立、それから科学技術や植民地主義の問題にまつわる論点がいくつも配置されており、「月球」に関するほとんどの議論はこれらの点をめぐって展開しているといってよい。
 とはいえ、こうした点にのみ注目した場合、この小説でもっとも興味深い点は、終始一貫する「未開(東南アジア、伝統中国、有色人種…)と文明(日本人、西欧人、白人…)」の対立の構図(むろん、単純な二項対立ではない)が、そのすべてを超越する「宇宙」という審級によって相対化され、ひいては「未開」の象徴だった伝統中国の文人が一足飛びに「宇宙」的な存在へと変身を遂げることによる価値転倒にある、ということになる。それはそれで結構だが、しかしそのように判断を下した瞬間、われわれは必然的にこの小説が未完であることを欠陥としてしか捉えられなくなってしまう。なぜなら、上記の価値転倒は、作品が未完であるために、あくまで可能性として見出されるにすぎないからだ。たとえば、さきほど引用した賈立元は次のように述べている。

 

    小説は第35回で中断されており、作者の“荒江釣叟”の正体はいまだによく分かっていない。すでに書かれた十数万字の〔テクストの〕中には、同時代を批判しようとする熱い思いや広大な構想が見られるが、しかし妻を探す冒険の旅や亡国を救う志士〔の物語〕から宇宙戦争に至るまでを同時に語ることは、じつに作者の力に余ることであって、物語のテンポも悪く構造もバラバラになってしまい、結局連載の継続が困難となった。*8

 

 こうした見解そのものはじつにもっともであり、中断された後に続いたであろう物語の可能性を想起すれば、もはや反論する余地も理由もない。しかし/だからこそ、われわれはここで、あえて「月球」が未完であることの意味を積極的に考えてみたい。つまり、じつは中国最初のSF小説「月球植民地小説」は、ほかでもなく未完であることにこそ意義があるといいたいのだ。それは、可能性としての価値転倒をあえて見出さないこと、いやむしろ価値が転倒しないまま終わったことに注目することで可能になるだろう。
「月球」が未完であることに意義を見出すこと。そのためには、物語に通底する「未開−文明」の構図は引き受けつつも、そこから人種や植民地の問題へゆかないようにしなければならない。そこで、われわれはまず、この小説が旅の物語であることに注目したい。

 

 ## 2

 

「月球」における旅について考えるためにふたつの小説を参照することにしよう。ひとつめはジュール・ヴェルヌの『気球に乗って五週間』だ。
『気球に乗って五週間』は、みずから発明した気球によって初の空路によるアフリカ横断を目指すイギリスのファーガソン博士らの冒険を描いたもので、同様に気球を用いた旅を物語の中心とする「月球」は、しばしばこの作品の影響を色濃く受けているとされる*9。とはいえ、たいへん重要なことに、「月球」に登場する玉太郎の「気球」は、「客を迎え入れるロビーや、身体を鍛えるためのジムに加えて寝室や大きな食堂がある」*10とあるように、じつは気球と呼べるようなものではまったくなく、むしろ巨大な飛行船や飛行機に近い。「月球」が旅のツールとして「気球」を導入したのは『気球に乗って五週間』の影響かもしれないが、その「気球」とヴェルヌの気球の間には相当のずれがある。そしてこのずれの中にこそ、「月球」における旅を考える重要なカギが隠されているのだが、それを確認するためには、ひとまず『気球に乗って五週間』の内容を簡単に追う必要がある。
 さきほどもいったとおり、この小説は空路によるアフリカ横断を目指す探検家ファーガソン博士の冒険を描いた物語である。当時空路によるアフリカ横断はまったく前例のない試みであり、ファーガソン博士の計画が公表されるやいなや、たちまち「嵐のような疑いの声」が上がった*11
 とはいえ、ファーガソン博士が空路を選んだのは、それがなにより安全な手段だったからだ。ファーガソンは空路のリスクを危惧する友人(彼も旅に同行する)にこのようにいっている。

 

    恐れることなんかあるだろうか。気球が墜落しないように、わたしがどんなに念入りに考えているか今にわかる。もし万が一落ちたとしても、地面に下りてふつうの探検家と同じ条件になるだけだ。だが、わたしの気球は大丈夫だ。そんなことは考えなくていい。[……]気球がなかったら、こういう探検につきものの危険と障害のまっ只中にほうりこまれる。気球に乗っていれば暑さも、急流も、嵐も、熱風も、からだにわるい風土も、野獣も、原住民も、恐れるものはなにひとつない。*12

 

 それからいささかくどいほどに技術的細部が語られたあと(とくに7章や10章)、博士は勝ち誇ったように宣言する。「成功に必要な条件は全て整った」(第29段落)。
 ところが、旅のなかでは「暑さも、急流も、嵐も、熱風も、からだにわるい風土も、野獣も、原住民も」、どれ一つ欠けることなく博士たちの前に立ちはだかることになる。彼らは熱にうなされ、雷雲を突き抜け、砂漠で極限状態に追い込まれ、鷲に気球を破られ、たびたび原住民に襲われる。結局博士たちは横断に成功するのだが、気球は急流に流され、滝壺の奥底へ消えてしまう。
 彼らの冒険譚自体はじつにスリルに満ちていてよいのだが、そもそもこの旅は博士の最先端のテクノロジー(気球)によってあらゆる「危険と障害」から解放されるべきものであったことを忘れてはならない。つまりこの小説は、人びとが科学やテクノロジーに託す安全性への信頼が、ときに幻想にすぎないことをわれわれに教えてくれる。とはいえ、元も子もないことをいえば、そもそも多少なりとも冒険的要素のあるSFにとって、「最先端のテクノロジー」ほど危なっかしいものはない。それはつねに「予期せぬ」アクシデントにみまわれる。安全な冒険などないのだ。

 しかし、である。このやや平凡な知見を念頭に置いたわれわれにとって、「月球」における旅は少なからず異様にうつる。なぜなら、彼らの旅はあまりに安全だからだ。玉太郎の「気球」は一度たりとも損われないし、龍孟華を除いては、だれも事故らしい事故に遭わない(龍孟華については後述する)。例外的にインド洋にあるという架空の島々をめぐって冒険する場面があるが、玉太郎らはつねに科学とテクノロジーによって完璧に守られる。原住民や野獣に襲われても、彼らはまったく歯牙にもかけないか、せいぜい圧倒的な火力でねじ伏せるだけである。たとえば、中国の南宋末期に蒙古軍からのがれた人びとの末裔が住んでいる「魚鱗国」という島で、玉太郎らは帰り際に現地の「秀才」たちに襲われるのだが、その場面は次のようになっている。

 

 魚拉伍〔一時的に同行していたイギリス人医師〕が窓にもたれて下を見ていると、とつぜん馬車から矢が何本か飛んできた。彼らが何をしたいのかはよく分からなかったが、とにかくモーゼル銃を手に打って出ようとすると、玉太郎が彼を止めて言った。「あいつらはあいつらで矢を飛ばしてるだけだ、われわれには関係ない。いまはやるべきことがある、あんな古くさい秀才どもを相手にするな。」そう言って、技師に南方へ迂回するよう言った。*13

 

 このほか、魚拉伍が獅子に腕を食いちぎられるというアクシデントがあり、おそらくこの場面で(あるいは作中で)最大の危機であるのだが、しかし彼らはまったく怯むことなく腕を取り返し、爆薬で獅子の群れを秒殺したあと、西洋医学に通じたインドの医者によってたちどころに「いつもとなんら変わらない」状態まで完璧に回復してしまう*14
『気球に乗って五週間』がそうであったように、「月球」には科学とテクノロジーへの期待と信頼が通底している*15。しかし「月球」では、それが裏切られることは決してない。そして、その限りにおいて彼らの旅は絶対的な安全を保証されるのだ。

 少し旅からは遠ざかるが、ここで「月球」と科学およびテクノロジーについてもう少し掘り下げてみよう。
「月球」において玉太郎が「気球」に乗って登場するのは第五回なのだが(玉太郎単体ではそれ以前にも登場している)、興味深いことに、それまでの四回分の間、物語はおどろくほどに悲劇的な色彩を帯びている。冒頭で龍孟華が妻とはぐれるだけではない。マレー半島へたどり着いてすぐに、龍孟華は優秀で人望厚い唐蕙良という女性と出会うのだが、彼女は登場後まもなく父を無くしてしまう。南方系の中国商人とユダヤ人宣教師らの資本をバックに、門人を率いて長江一帯で反乱をおこそうとしたのが露呈して処刑されたのだ*16。それにともなって、マレー半島に滞在していた彼の門人の一族が連座に遭って本国で皆殺しにされるなど、冒頭ではとにかく災難がつづく。そして彼らに出来ることは、せいぜい恨みを引きずるか、あるいは天を恨み、嘆くことだけである。龍孟華はしばしば酒杯を片手に月へ嘆息し、冒頭で龍孟華夫妻を助けた憂国の志士・李安武は中国を「暗黒地獄」だと断じ、不条理な世界を嘆く。

 

 蒼天よ、ああ蒼天よ! なぜお前はこんな世界をつくり上げたのだ? まさか、この世界のほかに別世界は存在しないとでもいうのだろうか?*17

 

 しかし、玉太郎(というよりむしろ「気球」)の登場によって事態は一変する。玉太郎は決して天に嘆くことはない。もっとも象徴的なのは旅の最初に立ち寄ったニューヨークから出発する場面だ。そのとき、唯一あった妻の手がかりが失われたショックで「内臓を吐き出さんばかりに」激しく吐血したあげく、自殺したいと泣き言をいい出した龍孟華へ玉太郎が次のようにいうところである。

 

    龍さん、物事を計画して進めるのは人間の仕事ですが、それがうまくいくかどうかは天次第です。ですからわれわれは出来る限りやり遂げなければなりません。天をうらんでもむだなことです[……]ましてやあなたもご存じのとおり、私の気球は汽車のように遅くはないのですから*18

 

 こうした玉太郎の世界観を支えているのは、「気球」をはじめとする自身の科学とテクノロジーへの信頼である。そして、すでに見てきたとおり、玉太郎らはテクノロジーに守られた安全な旅をつづけ、無事に妻の鳳氏のもとへとたどりつくのだが、その後すべてを取り戻した龍孟華らが宇宙へ旅立ち、いっぽうの玉太郎は宇宙へ行けずに(絶対的な技術的優位性を失ったことで)発狂することも念頭に置くと、この小説における科学やテクノロジーへのまなざしがより一層明瞭になるだろう。つまり、われわれが「月球」から読み取れるのは、人生の不条理から人間を救済するのは科学であって詩でも酒でもない。蒼天とは仰ぐものではなく、むしろ文字通り蒼天へとゆけるものだけが不条理な世界から救済されるという、一種の極端なテクノ・オプティミズムなのだ*19(それを裏づけるように、後半第30回には、李安武が中国で反乱を企てたことで政府に捕らえられるという場面がある。冒頭で世界の不条理を示す要素としてあった唐蕙良の父の死がここで反復される。しかしこの場面では、玉太郎の「気球」と塩素を用いた兵器によって、処刑されるすんでのところで救出に成功する。ここでも人間を悲劇から救い出すのは科学である。この対比はじつに印象的だ)。

 さて、話を旅へ戻そう。さきほども述べたとおり、「月球」における旅は絶対的な安全性を確保されたものであった。それは決して主観的な安心感ではない。そして「月球」の旅には、安全性に加えてもうひとつの大きな特徴がある。それは反復すること、つまり作中での旅がほとんど既知の場所へおもむくものであることだ。
 じつは、玉太郎は龍孟華らと旅立つ以前から、すでに「気球」でなんども世界各国を旅している*20。さきほど唯一冒険的であるといったインド洋の島々に関しても、「[人が住んでいる]110の島のなかでも、玉太郎が遊びに行ったことのあるのが20以上はあ」ったという*21。また、賈立元がいうように、玉太郎の「気球」は世界中を飛び回っているように見えて、じつは「つねに日本およびその[当時の]盟友である大英帝国アメリカの勢力範囲内から出ることがない」*22
 ところで、哲学者の東浩紀は、大衆消費は「反復」と深く関わっており、観光もその例外でないと述べた上で、次のように述べている。

   

ぼくは観光客をテーマに本を書きましたが、知らないところに行く探検家と、知っているところに行く観光客は根本的にちがう存在ですね。そして観光の本質は、この「すでに知っている場所に行く」というところにある。*23

 

 また、「反復」とならんで観光の本質的条件となるものに安全性があるという。「観光客は、そこが安全な場所であり、だれからも特別の配慮を求められないからこそ、自由に町を歩き、食事をし、お土産を買って買って自宅へ帰ることができる。」*24
「月球」における旅は、「気球」をはじめとする最先端の科学とテクノロジーによって絶対的な安全を約束されている。そして玉太郎にとって、ほとんどの目的地はすでに知っている場所である。要するに、「月球」の旅は『気球に乗って五週間』のような探検の旅ではなく、むしろ観光旅行というべきものなのだ(この旅には玉太郎の妻である濮玉環も同行するのだが、興味深いことに彼らはそれを「新婚旅行」だとみなしている*25)。

 とはいえ、これはあくまで「気球」の発明者である玉太郎(やその妻)にのみいえることであって、龍孟華は事情が大きく異なっている。
 たいへん興味深いことに、じつは龍孟華は、玉太郎らの旅の多くにそもそも参加していない。正確にいうと、彼は訪問先で拘束されたり折に触れて吐血・卒倒し続けたために、ほとんどの時間を「気球」や監獄、病院のなかですごすのである。
 たとえば、ニューヨークではパスポートを所持していなかったために到着直後に拘束され*26、ロンドンでも到着直後にかつて見合いでトラブルになった女性を見つけて激しく狼狽し、玉太郎に急いで「気球」へ押し戻される*27。その後ムンバイで彼の一連の体調不良や吐血癖が八股文に心臓を侵された(!)ためだと発覚し、「心臓を洗う」手術を受けるのだが*28、その結果、「月球」の旅の山場であるインド洋の島々をめぐる旅にはまったく参加せず、およそ一週間に渡って「気球」のなかで眠り続けることになる*29

 玉太郎は信頼すべき科学とテクノロジーに守られた観光客である。しかし、彼と同行しているはずの龍孟華は、大胆にいえば、その徹底した不能性ゆえにいくども世界の旅に失敗しつづける存在であるといえるだろう。(旅先でインフルエンザにかかって観光旅行を棒に振るタイプの人間だと卑近にいい換えてもいいかもしれない)では、この対比はなにを意味しうるか。

 そのためにはもうひとつの小説を読まねばならない。それは『カンディード』である。

 

カンディード』はフランスの思想家ヴォルテールが書いた小説であり、ウエストファリアに住む青年カンディードの旅を描いたものである。カンディードは家庭教師パングロスからライプニッツの「最善説」を教わり、美しい貴族の娘キュネゴンドに恋をしていた。
 しかし、そんなカンディードは、ある日キュネゴンドをめぐるトラブルから町を追われてしまい、ヨーロッパ北部や地中海から南米へいたるまで世界各地をさまよう旅に出る。その旅のなかで、彼はときに戦争に巻き込まれ、大地震に遭い、大量の宝石を手に入れるなど波乱に満ちた経験をする。同時に、旅のなかで多くの人と出会うことによって、カンディード自身には想像もつかないような悲惨なことが世の中には存在することを知ってゆく*30。そうしたなかで、カンディードは、かつてパングロスから教わった最善説を疑うようになっていく。

 

「おおパングロスよ!」とカンディードは叫んだ。「お前にはこのようなあさましいことを見抜く明がなかった。万事休すだ。とうとうわたしはお前の楽天主義を棄てねばならないのか」

楽天主義って何なんで?」とカカンボがいった。

「ああ!」とカンディードは答えた。「それは不幸な目にあってもすべては善だときちがいのようにいい張ることだ」*31

 

 そして、長い旅の果てに、カンディードはパングロスやキュネゴンドらと再会する。パングロスは梅毒にかかってやつれ果て、キュネゴンドは見るも無残なほどにかつての美貌を失っていた。しかし、それでもなおパングロスは自身の最善説を否定しない。なぜなら「個々の不幸が多ければ多いほど、すべては善」であるからだ*32

 これが『カンディード』の内容だ。一見して明らかなように、この物語は最善説の批判を目的としている。つまり、カンディードをはじめ多くの人が悲惨な経験をし、カンディード自身が最善説を疑うようになるまでのプロセスを提示することによって、この世界には「まちがい」があるということ、あるいは現実には、つねに想像を超えた悲惨な現実があるかもしれないという認識を読み手に与えようとしているということだ。東浩紀はこうした『カンディード』における試みを「思考実験としての世界旅行」と呼んだ*33

 旅によって人びとの価値観や世界観が変わること、またはその過程をフィクションのかたちで、一種の思考実験として提示すること。『カンディード』は、旅の物語のもつそのような可能性をわれわれに示している。そして、『カンディード』が最善説とその否定の対立構図を軸に、前者から後者への変化を描いていたように、「月球」はその旅の物語の中で、いくども未開と文明と対比させ、後者の卓越を描いた。
カンディードは旅によって最善説を疑い、その過程を通じて読者は世界の「まちがい」の可能性を考える。ならば、同じ「思考実験としての世界旅行」として「月球」に期待されたのは、ほかでもなく未開の象徴である龍孟華が、旅を通じて文明の卓越や未開であることの悲惨さを知り、多少なりとも文明の側へと変化するという物語だといえるだろう。じっさい、多くの人が指摘するように、玉太郎らが遭遇する架空の島々に住む架空の原住民は伝統中国を戯画化したものであり*34、こうした要素や、科学やテクノロジーを中心とする文明の強力さを描くことを通じて、作者の荒江釣叟は同時代の中国を批判しようとしていた。つまり「思考実験としての世界旅行」を通じて、読者に近代化の重要性を認識させようとしたわけだ。
 とはいえ、肝心の龍孟華には、作品の冒頭からほとんど変化がない。なんどもいってきたように、龍孟華は最初から最後まで無知蒙昧な役立たずであり、八股文による心臓疾患から回復したあとも懲りずに詩を書きつづけている。作者によるその描き方はときにかなり皮肉的だ。たとえば第23回には、龍孟華が自分の詩に夢中になるあまり尿壺を蹴倒してしまう場面がある。たまった尿が部屋中にぶちまかれて「気球」内はたちまち騒ぎになるのだが、当の本人は気にもかけずにじっくり清書推敲をし、慌ただしく処理をする玉太郎に「杜工部〔杜甫〕と比べてどうだろう?」と笑顔で問いかけるのだった*35
 旅の物語によってカンディードが変わったようには龍孟華が変わらなかったのはなぜか。それは、さきほどもいったように、龍孟華が旅をしているようでじつはあまり旅に参加していなかったからだ。とりわけ、伝統中国の縮図であったインド洋の架空の島々にほぼ立ち入っていないことは注目すべきである。読者はすぐれた思考実験としてあの探検の場面を読むだろうが、そのとき龍孟華は術後の回復を待って「気球」で眠りつづけていたのだ。この点はなんど強調してもしすぎることはない。

 

 いったん整理しよう。
『月球植民地小説』は「気球」に乗って世界を旅する物語である。「気球」の持ち主である玉太郎にとって、その旅は危険と発見にみちた冒険の旅というより、むしろ安全ですでに知っている場所へいくような観光旅行であり、その安全性は特権的な科学とテクノロジーによって保証されていた。とはいえ、「未開」の象徴である龍孟華は、その不能性ゆえに何度も旅から離脱する。その結果、彼は無事に妻と再会したものの、旅による変化も成長もなく、結局「未開」の状態に甘んじつづけることになる。そしてわれわれ読者は、このすべてを「思考実験としての世界旅行」として受け取ることになるだろう。

 玉太郎は観光客である。だが龍孟華はそうではない。龍孟華がいつまでも蒙昧で古くさくて「未開」なのは、彼が旅をしているようでじつはあまり旅をしていないからだ。これが、旅に注目して「月球」を読み解いたわれわれの、ひとまずの結論である。
 だが、すでにお気づきの方もいるだろうが、これ以上話を進めるのはいささか危険である。なぜなら、われわれは龍孟華が最後の最後で月へ旅立つことを知っているからだ。つまり、これ以上旅に関する話を進めることによって、われわれは必然的に龍孟華が宇宙を旅することによって「未開」から劇的な変化を遂げる可能性に言及せざるを得なくなる。それはそれで面白いかもしれないが、はじめにいったとおり、今回の目的はあくまで「月球」が未完であることにこそ意義があると言うことである。そのためには、ここで「月球」と旅に関する議論を終えるしかない。それはやむを得ないことだ。

 

 ## 3

 

「月球」は未完の小説である。それゆえ、そこには無数のありえたかもしれない結末の可能性が見出されることになるだろう。そして、おそらくそのほとんどが、最後に示された龍孟華らの月への「遊学」を手がかりに、物語に通底していた「未開−文明」の構造の転倒を、いわば伝統中国の文人による「宇宙」的存在への転換を前提するだろう。だが現実には小説は第35回で終了し、龍孟華はあくまで「未開」の存在のままであり続ける(厳密には、月への旅による変化が明らかにされないまま、物語が宙吊りにされる)。その理由はすでになんども述べた。
 たしかに、この小説が未完という結末を迎えたことは惜しむべきかもしれない。物語としての面白さを追求するならなおさらだ。しかし、「月球」の連載から百年以上がたったいま、われわれにとって重要なのはむしろ、この小説がかくも科学とテクノロジーの全能性を説き、文明や社会の優劣すらそれによってはかられるような世界観を提示しているにもかかわらず、その主人公*36に対しては、いわば個人のあり方として、伝統中国の価値観を保持することを許している——いや、むしろ結果的に許すことになってしまった——という点である。なぜなら、この構図は「月球」が書かれた1904年における中国の思想史的状況と見事に一致しているからだ。

 どういうことか。
 思想史家の金観濤と劉青峰によれば、日清戦争義和団事件を経た20世紀初頭の中国において、儒学がその社会や普遍性への回路を絶たれつつも、たんなる学問的関心とはべつの「私徳」として、いわば個人のありかたとして居場所を確保しえた時代が、新文化運動までの十数年のあいだだけ存在したという。

 

    厳復が『天演論』を翻訳した直接的な動機のひとつは、道徳が時代とともに進化するということを証明することだった。しかしながら、1900年以後の知識人の多くは進化論を社会制度や宇宙的秩序に限定し、個人の道徳や家庭の倫理までには広げなかった。つまり、1900年から1915年のあいだ、科学一元論は不完全さを強いられ、道徳と宇宙がふたつの異なる領域に分断されたのだ。*37

 

 結論へ急ぐまえに、金観濤らの議論を簡単に整理しておこう。
金らによれば、中国の伝統社会の特質とは、個人や家族から皇帝へ至るあらゆる社会組織や政治的権力が儒家思想というひとつの統一的なイデオロギーによって基礎づけられていること、もっと本質的にいえば「社会の制度と道徳的理想が同一化している」ことである*38。彼らはこれを念頭に置きつつ、これを補強する役割を果たしていた儒家の道徳論を「天人合一(普遍的な「天」の道徳性を社会や個人へ演繹するかたちで道徳を説く)」モデルと「道徳価値一元論(個人に宿る道徳性を起点に、社会や国家を語る)」モデルの二つに分類している*39。とはいえ、いずれにせよ重要なのは、個人の道徳的な向上がそのまま社会の/での向上へと直結する(少なくともその可能性がある)と考えられていたことであって、その点ではどちらのモデルも同じである*40
 とはいえ、中国社会のこのような社会構造は、外来的な要因によってしばしば危機に瀕している。具体的には魏晋南北朝期(天災や異民族の侵入、それから仏教伝来)と清末民初(西洋文明あるいは日本の衝撃など)がそれであり、さきほど引用した『中国近代思想の起源』における問題意識は、おおよそ両者の比較を通じて、社会組織と一体化したイデオロギーの危機・解体と再構築のプロセスに一定の法則性を見出そうとするものだ。その法則とはすなわち、儒家思想の道徳性と社会の/での向上が一致しなくなったとき、はじめは道徳への強い拒否感が生じることで外来思想が儒家思想のアンチテーゼとして導入されるが、儒家思想が完全に否定されてしまうと、やがてそれに代わって社会組織と一体化しうる「道徳」が要請されるため、結局「天人合一」モデルか「道徳価値一元論」モデルの構造を持つ思想が選択的に受容され影響力を持ち始めるようになるというものだ*41
 以上の観点をもとに宋明理学の形成や近代中国の思想的挑戦を論じてゆく金らの議論はたいへん興味深いものだが、ここではさきほど引用した箇所に関わる部分だけ紹介しよう。よくいわれるように、清末の中国で最大の衝撃は(アヘン戦争などではなく)日清戦争の敗北であった。それはたんに伝統的な価値観における「夷狄」への敗北というだけでなく、李鴻章曾国藩らを中心に、19世紀後半にわたって推進された洋務運動の失敗を意味するものでもあった。
 こうして儒学と一体化した社会構築そのものに疑念が生じた結果、儒学打ち砕くためのアンチテーゼとして導入されたのがマルクス主義的な唯物論と社会ダーウィニズムだった。ところが、きわめて重要なことに、ヨーロッパではほぼ同時に誕生した両者だが、じつは中国への受容には15年ほどの隔たりがある。つまり、厳復によって『天演論』が翻訳されたのは1898年だが、マルクス主義の翻訳は新文化運動が活発化する1915年以後を待たねばならない。そして、金観濤らは受容のずれによって偶然生じた十数年における儒学の特殊な状態——「儒家の倫理と社会の制度を相互に無関係なふたつの領域に分断し」、「儒学を私的な生活空間まで退却させ、一切の公共的な領域では近代的な価値観を採用した」——を「二元論の儒学」と呼んだ*42。そして「月球」は、ほかでもなく「二元論の儒学」の時代に書かれた小説だったのである。

 すでに見てきたように、「月球」は科学が完全勝利を収めた世界で、伝統中国の価値観を引きずる文人が、みじめながらも伝統的な文人として生き続ける小説である。いや、ほんとうは月への旅で変われたのかもしれない。もはや社会の/での向上をこれっぽっちも約束してくれなくなった伝統的な価値観を、宇宙の彼方へ投げ捨てることができたのかもしれない。しかし彼はそうはしなかった。いや、結果的にしないままに終わってしまった。なぜなら小説が未完に終わったからだ。
「未完」ということばほど可能性への想像をかきたてるものはない。だが、それでもなお、龍孟華がみじめな文人のまま終わってしまったこの結末こそ、およそありうべき最善でただひとつの結末だと断言したい。なぜなら、「月球植民地小説」はこのアクシデンタルな幕切れによって、またおそらく書き手の意図に反して、中国の思想史上じつに稀有な「二元論の儒学」の時代をこれ以上になく象徴する小説となってしまったからだ。

 

 

*1:叶永烈“中国科幻小说发展简史”,叶永烈主编《大人国(中国科幻小说世纪回眸 第一卷)》,福建少年儿童出版社,1999年,第3页。

*2:同上,第6页。本稿では同書に収録された版を「月球」の底本とする。そのため、以後「月球」に関連して提示するページ番号もまた、同書にしたがうものとする。

*3:贾立元“晚清科幻小说中的殖民叙事——以《月球殖民地小说》为例”,《文学评论》2016年05期,第118页。

*4:《月球》,第35页。

*5:《月球》,第24页。

*6:《月球》,第167页。

*7:贾,2016年,第124页。

*8:同上,第118页。

*9:叶,1999年,第6页。

*10:《月球》,第21页。

*11:ジュール・ヴェルヌ『気球に乗って五週間』、手塚伸一訳、集英社、1993年、(Kindle版)、第2章第8段落。

*12:同上、第3章第64-66段落。強調筆者。

*13:《月球》,第78页。

*14:同上,第85-88页。

*15:同上,第28页。

*16:同上,第14页。

*17:同上,第8页。

*18:同上,第38页。強調筆者。

*19:本文では詳しく触れないが、「月球」における科学へのまなざしを如実にあらわす特徴として、およそ作中に登場する科学的意匠に対して、その技術的細部が描かれないという点が挙げられる。「気球」も内装の描写こそされるものの、『気球に乗って五週間』に見られたような素材や設計、作動原理についての説明はない。同様に、西洋医のあらゆる治療行為には「薬水」なる謎めいた万能の道具が登場するが、これも具体的にどのようなものなのかまったく明かされない。まるで「細かいことは何だかよくわからないけれど、とにかく科学はすごいんだ」とでも言いたげなこの態度は、あるいは西洋の科学とテクノロジーへの恐れの裏返しであると言えるかもしれない。とはいえ、この点について掘り下げるのは本稿の問題を越えている。いずれにせよ、本稿でオプティミズムと言っているのは、こうした点にもかかわっている。

*20:同上,第46页。

*21:同上,第62页。

*22:贾,2016年,第120页。

*23:佐藤大、さやわか、東浩紀サイバーパンクに未来はあるか」、東浩紀編『ゲンロン7』、ゲンロン、2017年、238頁。

*24:東「ダークツーリズム以後の世界」、『ゲンロン3』、ゲンロン、2016年、19頁。

*25:《月球》,第30页。

*26:同上,第31页。

*27:同上,第39页。

*28:同上,第55页。

*29:お同上,第60页。

*30:この小説に登場する人物はおしなべて悲惨な目にあっている。そして重要なことに、彼らは腹を割かれようが絞首刑にされようが決して死ぬことはない。なぜなら、生き残ったものだけが「世界が最善である」ことを疑えるからだ。

*31:ヴォルテールカンディード』、吉村正一郎訳、岩波文庫、1956年、98頁。

*32:同上、29頁。

*33:東『ゲンロン0 観光客の哲学』、ゲンロン、2017年、73頁。

*34:邹小娟:“二十世纪初中国“科幻”小说中的西方形象——以荒江钓叟《月球殖民地小说》为中心”,《海南师范大学学报》2013年02期,第25页。

*35:《月球》,第117页以下。

*36:玉太郎と龍孟華のどちらが主人公かというのはじつに難しい問題だが、おそらくどちらもというのがもっとも穏当な考えだろう。

*37:金观涛、刘青峰《中国现代思想的起源:超稳定结构与中国政治文化的演变》,法律出版社,2011年,第326页。

*38:同上,第15页以下。

*39:同上,第20页

*40:フランスの哲学者フランソワ・ジュリアンは、孟子についてこのように語っている。「孟子にとってこの道徳的な要請は、見てきたように、この世界で勝利を収める最善の方法であり、世俗的な幸福をもたらす「転ばぬ先の杖」にほかならない」。フランソワ・ジュリアン『道徳を基礎づける』、講談社学術文庫、2017年。

*41:金、刘,2011年,第47页。

*42:同上,第212页。

死なない身体の生かしかた——劉慈欣と技術的永生の問題

 香港の哲学者ユク・ホイは、2020年の世界的な感染症の危機に際して、医学的ないし技術的な手段によって死を克服しようとする精神は「ハムレットの文化」を継承するものではないかと述べている。

 

というのも、ヴァレリーの論考〔1919年の「精神の危機」〕から100年を経たいまもなお、私たちはいつか不死身になれると信じてきたし、まだ信じ込もうとしているのだから。つまりひとは、やがて免疫のシステムを向上させてあらゆるウイルスに対抗できるようになると、また最悪の事態がおこったときにはたんに火星へ逃げればよくなると信じているのだ。[1]

 

 「いつか不死身になれる」というこのような願望は、こんにちのいわゆるトランスヒューマニズムや資本家による宇宙開発によって端的にあらわされている。そこにあるのは、技術によって不死を実現しうるだけでなく、惑星の破滅といった決定的な外部要因にもとづく死すらも宇宙技術(space technology)によって克服できるという信念だ。しかしながら、それはあくまでひとつの信念にすぎず、ユク・ホイがいうように「いまだにこの地球と呼ばれる惑星に住みついているわれわれ死すべき者には、彼らの言葉どおり不死身になるまで待てる見込みなどない」[2]。とはいえ、当然ながら、そうした不死への欲望の根底には逃れがたい死への自覚がある。これは明白な事実だ。

 そうであるならば、不死を欲望し、多種多様なやりかたで喧伝するような言説は、じつのところ「ひとはやがて死ぬ」という至極まっとうな教説を逆説的に反復しつづけているといえるのかもしれない。つまりそこには、(乗り超えるべきものであったとしても)依然として生と死の根本的な対立が根強く存続しているのである。では、その対立の彼岸にはなにがあるというのか。いいかえれば、死が端的に否定されてしまったあとに、生はどのように変容するのだろうか。

 この記事(ちょっと高度な読書メモ?)では、中国のSF作家・劉慈欣のふたつのテクストからこの問題について簡単に考えてみたい。『三体』三部作で世界的に知られる劉だが、じつは彼は、人間の寿命を左右し、場合によっては永遠の生すなわち「永生」を可能にするような技術をしばしば主題的に描いている。

 

 ## 1

 

 ひとつめのテクストは「2018」である。これは劉の短編集『2018』(2014年、江蘇鳳凰文芸出版社)の表題作だ。

 この作品の主題は「遺延」(原文では「基延」)と呼ばれる遺伝子工学をもちいた延命技術である。技術的な細部は描かれないが、それによってひとは老化を大幅に減速させ、200年をゆうに超える寿命を手にするという。物語の舞台は遺延が商業化されはじめた2018年の中国で、そのころ遺延には莫大な料金がかかり、ごくわずかなひとしか手術を受けられなかったため、国内の各地で抗議活動が行なわれていた。

 他方、平凡な経理担当の会社員である主人公の「私」は、会社の資金を横領して秘密裏に遺延の手術を受けようと画策する。むろん、多額の資金を横領すれば重罪になるだろう。しかし「私」にとって、刑罰はそれほど大きな問題ではなかった。

 

かつて私は法律を細かく調べあげたのだが、汚職罪の量刑にもとづくと、500万元〔の横領〕では最長でも20年〔の懲役〕という判決になるようだ。だが、20年経ってしまえば、私の面前にはまだ200年以上もの魅惑的な歳月が待っているのだ[…]じっさい、遺延を受けた人々のグループに入ってしまえば、現行の法律のうち死刑を除くあらゆる罪が、一度は犯してみる価値のあるものになってしまうのである。[3]

 

これはじつに簡単な算数の問題だ。20年の懲役が重い刑罰になるのは、いまのところ人間がせいぜい80年前後しか生きられないからである。したがってその3倍近い寿命を獲得してしまった人間に対して、監獄と懲役に依存した刑罰の多くは十分に機能しなくなってしまう。さらにもし永生が実現すれば、無期懲役ですら同様の困難に直面することだろう。したがって、死なない身体に対して、既存の法は機能不全をおこす。とはいえ、これはほとんど自明であり、議論としては凡庸ですらある。私たちは、テクストをもう少しさきへ読み進めていこう。

「私」は資金調達のための準備を着実に進めていくのだが、計画の実行をまえにひどく逡巡してしまう。その最大の原因はガールフレンドの簡簡の存在だった。というのも、「私」だけが遺延を受けることで、彼女とは根本的にことなる時間を生きることを運命づけられてしまうからである。この葛藤は、「私」にとって愛の問題が計算(ないし交換)不可能なものの範疇にあることを端的に示しており興味深い——合理的に考えれば、200年間のあいだに似たような出会いの体験がある確率はきわめて高いはず——のだが、それはひとまずおいておこう。

 ここで注目したいのは、「私」が計画の実行を決意し、簡簡に別れを告げる場面である。そこで「私」は、彼女もまた手術を検討していることを知らされる。しかしそれは遺延ではなく人工冬眠(管理された低温状態で長期間の睡眠を行ない、代謝の速度を大幅に低下させること)であった。

 いうまでもなく、遺延は寿命を有限のまま延長する技術であって永生ではない。また冬眠にいたっては延命の技術ですらない。あえていうなら、それは一方通行のタイムトラベルの技術である。とはいえ、劉慈欣の小説においては、これらの技術がみな根本的な部分で永生につながっているのだ。たとえば劉は、『三体III 死神永生』のなかでつぎのように述べている。

 

冬眠技術が現実化する以前は、それは不治の病を抱えるひとに未来での治療の機会を与える程度のものだと考えられており、多少深く考えたところで、せいぜい遠距離の星間航行のための一種の手段でしかなかった。しかしこの技術が現実のものとなったとき[…]それが人間の文明の様相を完全に変えてしまう可能性をもつものだと気づいたのである。

 冬眠のすべては、ある信念の上に成り立っている。つまり、明日はもっとよくなる〔明天会更好〕というものだ。[4]

 

 一方通行のタイムトラベルである人工冬眠は、未来がいまよりよいものになる(最低でもよりわるくなることはない)という信念があってはじめて可能になる。というのも、裏返していえば、社会が下り坂にあると考えるひとは、より悪化した未来へ一足飛びに向かおうとは考えないからだ。さらに「2018」にはつぎのような対話がある。

 

簡簡がいった。「生きるのにほとほと疲れてしまったの。それにつまらないし。わたしはただ逃げたいだけなの」

「1世紀先なら逃げられるとでも? その頃じゃきみの学歴はもう認められないし、時代にもあわなくなっている。ちゃんと生きていけるのか?」

時代はいつだってよくなっていくものよ。ほんとうにダメならまた冬眠すればいいだけ。遺延をしてもいいわ。そのころならきっと安くなってるはずよ」[5]

 

明らかに、ここには『三体III』で提示された冬眠の条件としての楽観主義があらわれている。そしておそらく同じことが遺延に、まして永生にはなおさらいえるだろう。それを象徴するのが、「2018」の終盤にあるこの一節である。

 

「きっとご自身の決定を祝福することになりますよ」と〔遺延センターの〕主任がいった。「というのも、あなたが手にされたのは単なる二世紀あまりの寿命ではなく、永生かもしれないのですから」

私にもその意味がわかった。だれも二世紀後にどんな技術があらわれるかわからないのだ[…]

「じつは私自身は遺延をしていないのです」

「なぜですか?」

主任はしばらく沈黙してからいった。「この世界はあまりに目まぐるしく変わっています。あまりに多くの機会や誘惑、欲望、そして危険に満ちている。私はめまいがしそうなんです。まあ、歳を取ったということでしょう。でも安心してください」彼は続けて簡簡のあの言葉をいった。「時代はいつだってよくなっていくものです[6]

  

ここに引いた対話が示すのは、時代はかならずよりよくなっていくという楽観主義こそが、冬眠や遺延を、ひいては永生を可能にするということである。逆にいうと、未来がいまよりよくなることはないという予感を抱くひとにとって、寿命が撤廃されることほど絶望的なことはない(さらにいえば、冬眠や遺延の根底には、単なる未来への楽観にくわえて、やがて技術は死を克服しうるはずだという一種のテクノ-オプティミズムが二重に挿入されている)。つまり、死なない身体には無限の楽観主義が必要なのだ

 

 永生という問題に対して「2018」というテクストが提示したのは、法の機能不全という帰結であり、また無限の楽観主義という条件だった。ところでこのテクストには、可能な永生そのものについて具体的に触れた箇所はあまりない。劉はただ、一種の可能性として、精神転送によりデータ化した精神のバックアップを取り(SFドラマの「オルタードカーボン」のように)さまざまな身体に入れ替えていくことや、端的にウェブ上に生きるデータ的存在者になることなどに言及するにとどめている。それ自体いまやありふれたイメージではあるが、いずれにせよ「2018」のなかだけでは、死を克服した人間のなかで生がどのように変容するのかという問いには十分に答えられないのである。そこでもうひとつのテクストを参照することにしよう。

 

## 2

 

  ふたつめのテクストは「中国2185」という小説だ。これは1989年に書かれたとされる劉の幻の第一作である。「幻」というのはこの作品が刊行されなかったからだが、にもかかわらずウェブ上ではこれが劉の第一作として認知されており、各種小説系のサイトで全文の閲覧ができてしまう[7]。テクストの信憑性や著作権の問題など、あらゆる面において明らかに問題含みではあるが、ここではひとまず中国のウェブ上の慣習にしたがって「中国2185」を劉の作品としてあつかっておこう。

 

「中国2185」はかなり奇抜な設定のパニックものである。舞台は2185年の中国で、雑草の生い茂る天安門広場に安置された毛沢東の遺体の頭部に対し、分子レベルで3Dスキャンを行なったひとりの青年の手により、毛沢東がデータ的存在者としてウェブ上に「復活」するところから物語がはじまる。つまり「中国2185」は、「2018」で示唆されたデータによる永生の形式にくわえ、技術による復活というモチーフによって支えられている。さらに医療の発達の結果、平均寿命は200歳を超えており、「2018」の設定とも近い部分がある。ただ残念なことに、その後物語は青年が同時期にデータとして復活させた別の老人の暴走と、それに対処する中国政府の「最高執政官」である若い女性やその部下たちを中心に展開していき、毛沢東は終始傍観者の立場を保ち続けている。その結果、総じて毛沢東がウェブ上に復活するという魅力的なアイデアを活かしきれておらず、物語全体としてはやや低調な印象を受ける。なので、ここでは私たちの問題にかかわる箇所だけ引き出しておこう。

 それは物語の最後に展開される、デジタル毛沢東と最高執政官の女性との対話である。データ的存在者としての老人の暴走——絶えざる自己増殖と各種システムへのサイバー攻撃、そしてウェブ内での独立国家の建設など——を全国的なネットワークの遮断と停電によって食い止めたあと、(その間ウェブからは隔離されていた)デジタル毛沢東と最高執政官が永生について語りあう。

 

A〔最高執政官〕「電脳総網〔インターネットのこと、当時は「互联网」という中国語がまだなかったか〕におけるあの違法国家および彼らの行為についてどのようにお考えですか?」

B〔デジタル毛沢東〕「あの国家のなかでは、老人たちはもはや死んでいた」

 A「死んでいた!? では……」

B「ははは……ムダに一杯食わされたわけだ」

A「ですが私たちは、〔データ的存在者の誕生によって〕永生が実現したことを言祝ぎ、よろこびのあまり発狂しかねないほどでした」

B「なにが『永生』だ、こんなもの『永死』にすぎない」[8]

  

このように、永生は「永死」つまり永遠の死であると毛沢東は述べる。どういうことか。

 

生きることは変わることだ。だから永生とは永遠の変化である。百年程度であれば、その大本〔其宗〕を離れることなくいつづけられるかもしれないが、「永遠」となるとかならず大本から離れてしまうものだ。永遠といわずとも、一万年もあれば離れざるをえないだろう。その大本を離れてしまえば、「大本」は死んでしまうのではないか? 生きるのは新しいものであり、「大本」は永遠には生きられない。変わることがなければ、それはもう死んでしまっているということだ。[9]

 

たとえば生命体にとって新陳代謝が不可欠であることを想起すれば、「生きることは変わることだ」という彼なりのテーゼをひとまず素朴に(つまり世俗的な組織論などに応用することなく)受け取ることができるだろう。そして不断に変化する過程のなかで同一個体(あるいは同一のもの)としての状態を維持できなくなったとき、それは「大本から離れてしまう」。その意味で、「大本」をめぐる話は、いわゆる「テセウスの船」的なパラドックスの臨界点を問うていると考えてもよいだろう。

 とはいえ、デジタル技術による永生の問題を考えたとき、より重要なのは「大本」にかんする議論ではなくむしろ「変わることがなければ、それはもう死んでしまっているということだ」という最後の一文である。少なくとも「中国2185」に描かれたかぎりでのデータ的存在者は、有機体論的なフィードバックループによって自己を変容することができず、いわばコピー&ペーストで永遠に同一個体の自己増殖を続けるしかなかった。劉の描いたデジタル毛沢東は、その状態がまさしく「永遠の死」にほかならないと考えたのではないか。

 さらにいうと、前半の「大本」にかんする議論は、(作中では変容する中国という近代国家を対象としているが)私たちの議論の文脈では、おそらく「2018」が提示したふたつの永生の可能性のうちのもうひとつ、すなわち精神をデータ化してバックアップを取り、さまざまな身体に挿入していくという方法での永生の形式に適用できるだろう。というのも、そこでは生き続けるためにつねに変化がおきているが、千年万年の単位で身体をまるごと入れ替え続けるというのは、もはや「大本から離れ」るほどに大きな変化となりうるからである。私たちは、このセリフが二百年近い眠りの末に意識を復元され、身体から切り離されてしまったデータ的存在者によって語られている意味を考える必要があるだろう。してみれば、デジタル毛沢東のことばでいえば、この形式での永生もまた、永遠の死であるといわざるをえないのだ。

 

 永生とは永遠の死である。これが「中国2185」で提示された劉の永生観念だ。これを大胆に換言すれば、生と死という二項対立から片方の死というファクターを除去されたとき、ひとはもはや死んだように生きるしかないということを意味しているのかもしれない。そしてこれこそが、劉のテクストから考えうる可能な永生の形式であり、それによって起こりうる生の変容の内実である。

  

## 3

 

 この記事でまとめておくべきことはある程度明らかにされた。劉慈欣と技術的永生をめぐる問題系にはまだ多くの論点が含まれているが、ひとまずこのあたりにとどめておこう。最後に少しことなる角度から一点だけ補足して議論を終えることにしたい。

 

 さきほど引用した対話のあと、「中国2185」は若き最高執政官によってネットワーク再興のプランが語られる場面で幕を閉じる。そこでは、超高寿命社会が引き起こす人口問題や世代間ギャップ(代沟)の解決策として、高齢者をデータ化してウェブ上のユートピアに転送し、そこで永遠の生を謳歌させるとともに、「この星を青春の星に、少年時代の星に変える」という最高執政官の野望が語られる[10]。まるでウェブ上に底なしの姥捨山を実装するかのようなこのおそろしい計画は、はっきりいってディストピア以外のなにものでもない。

 とはいえ、この対応策が示唆しているのは、寿命が長くなればなるほど——そして永生を実現すればなおさら——莫大な居住地が必要になるという事実だ。つまり、ひとが死なずに増え続ければ土地が足りなくなるのは当然なので、この計画は(たとえ非人道的であっても)ある意味理にかなっている。つまり、いいかえれば死なない身体には無限の居住地が必要だ。たとえば「中国2185」の最高執政官がその居住地をウェブ上に求めたように、それはやがて地球上の土地では足りなくなることだろう。

 

 このような技術による復活や永生およびそれにともなう居住地の問題というきわめて類似した課題を抱えながら、「中国2185」とはまったくべつのアプローチを取ったのが、20世紀ロシアのいわゆる宇宙主義である。

 ロシア宇宙主義は、19世紀末の思想家、ニコライ・フョードロフにはじまり、彼の影響を受けたもろもろの科学者や思想家を曖昧に包括する用語として機能している。いま詳細を論じる余裕はないので、ここでは批評家のボリス・グロイスによる秀逸な宇宙主義論[11]を中心にその概要を確認し、劉のユートピア論と簡単に比較しておきたい。

 フョードロフのプログラムは、大きく二点に要約できる。ひとつはかつて地球上に生きたすべての人類を技術によって復活させるとともに、全人類の永生を実現すること。そしてふたつめは、復活した祖先のすみかを確保するために宇宙を植民地として開拓することである。このような主張の背景には、近代のロシアが経験した宗教的伝統の破綻があった。

 

フョードロフは魂の不死を信じず、キリストの再来を待つなどという消極的な考えは持たなかった[…]魂を信じずに、肉体を信じた。フョードロフにとっては、物理的、物質的な存在だけが、唯一可能な存在形式だった。また、技術を絶対視してもいた[…]しかしながら、フョードロフがなにより信じていたのは、社会組織の力だった。彼の考えでは、人間の人工的復活の事業に身を捧げるために必要なのは、ただ、しかるべき決断を下すことだけだった。[12] 

 

そこでフョードロフは、このような技術にもとづく不死と開拓の事業は中央集権的な世界国家の意志によって推進されねばならないと考えた。つまりグロイスのいうように、フョードロフの思想はいわばミシェル・フーコー的な「生権力」の完成形態である。というのも、それはあらゆる場所と時代の人間に対し徹底的に「生きることを強い、死ぬに任せない」ようにするからだ[13]

 すべての死者を復活させ、全人類の永生を実現したのち、あらたな植民地として宇宙を開拓しようというフョードロフの呼びかけは、一見荒唐無稽であり、夢物語でしかないようにも思える。だが興味深いことに、この思想は、のちにソ連のロケット工学を主導し「宇宙旅行の父」などと称されたコンスタンチン・ツィオルコフスキーによって継承されるのである。「ツィオルコフスキーが目的としたのは、復活した祖先をほかの惑星に運ぶための交通手段の開発であった。のちのソ連宇宙飛行学の歴史はここから始まったのだ」[14]

 

 ここでさきほど言及した「中国2185」のユートピア構想を思いだそう。そこでは、デジタル技術によって永生するデータ的存在者に転換した老人(やおそらく死者)をウェブ上の生活世界へ移住させる計画が語られた。表面的にみれば、これは復活した祖先をほかの惑星へ運ぼうと考えたロシア宇宙主義と似た排除の構造をもつように見受けられる。つまりさきほどの比喩を使えば、両者の構想にはいずれもある種の姥捨山的な発想が存在しており、単にその場所が宇宙かウェブ上かの違いがあるだけではないか? むろんそうではない。もちろん両者にはさまざまな細部の相違があるが、それ以上に根本的な差異がある。

 じつのところ、フョードロフの宇宙主義的プログラムは、近代的な「神の死」への唯物論的応答である以上に、当時の社会主義に対する彼自身の強い批判を起点としている。フョードロフは、社会主義の理論があらゆる規模における世代間の不平等に対してまったく無力であることを強く問題視していた。

 

社会主義は社会の完全な平等を約束する。しかし、社会主義は、その約束を進歩への信仰と同一視している。進歩への進行においては、新しい社会に生きる未来の世代だけが社会的な正義を享受することが前提とされている。逆に現代の世代と過去の世代には、進歩の一方的な犠牲者としての役割が割り当てられる。永遠の平等は、現在と過去の世代に対しては想定されていない。要するに、未来の世代が社会的平等を享受するためには、過去の世代を平等の帝国から追放し、許しがたい歴史的不平等を冷ややかに容認しなければならないのだ。[15]

 

つまり社会主義の来るべきユートピアにおいては、革命に参与した(あるいは現在している)死者や生者と、のちにユートピアを享受する未来の人々とのあいだに決定的な不平等がまったく手つかずのまま残される。フョードロフは、このような「生者のための死者の搾取、後世を生きる者のための現世を生きる者の搾取という社会主義の本質」を根本的に解決するために、技術の力によって社会主義を時間的な位相にも導入しなければならないと考えたのだ。したがってフョードロフの技術的永生と復活の問題の根本には、世代間の不平等への強い問題意識がある。

社会の生命は、歳を重ねてゆく老人と成長してゆく若者によって構成されている。成長を続け、死者への優越性を実現していく若い世代の人々は、進歩の法にしたがっており、年老いていく人々や死にゆく人々に対する自分たちの優越性に気づくことがない[…]もし若者が〔年老いた者に〕「私は成長していくが、あなたは墓場へいくのだ」といえば、それは進歩などではなくむしろ嫌悪のことばであり、いわば放蕩息子が示すような露骨な嫌悪にほかならない。[16]

 

 フョードロフの技術的永生論は、まさにこのような生者と死者、あるいは若者と老人といった世代間の齟齬を解消するために提唱された。したがって、老人をデータ化してウェブ上に送り、「この星を青春の星に、少年時代の星に変える」のだと何のためらいもなくいってのける「中国2185」の若き最高執政官の技術的永生論とは根本的に違う方向性からはじまっているのがわかる。くわえて、そもそも「中国2185」的な「ヴァーチャル姥捨山」にかぎらずしばしば見受けられる、世代間ギャップをあおり、より激化させようとする「若者」の態度に通底するのは、やがて自分も歳をとり「若者」の側にいられなくなるというあまりに明白な事実への無自覚さだろう。

 

                                                     ■

 

「中国2185」において、デジタル毛沢東は、最高執政官の計画を「天に登るより難しい」と評したうえで、つぎのように激励する。

 

ならば天へ登ってみることだ! 天へ登るのは難しいが、それもおまえたちはやってのけるのだろう。月のうえに街をつくろうというわけじゃないんだから。[17]

 

 

しかし理想の社会主義のために「月のうえに街をつくろうと」し、あるいはそれ以上の共同事業を夢見た宇宙主義者の観点からは、デジタル毛沢東によるこの肯定はいささか受け入れがたいもののように思われる。劉慈欣自身がこのようなユートピアの構想をどのように評価しているかは不明であり、また劉があえて毛沢東社会主義と平等性の問題にかんして鈍感な人物として描こうとしていたなどと考えるのも正しくないだろう。とはいえ、いずれにせよ「中国2185」が要請する技術的永生やそれにともなう居住地/ユートピアの問題は、平等性をめぐる根本問題を依然として抱え続けることになったのである。

 

[1] Hui, Yuk. "One Hundred Years of Crisis," e-flux Journal, no. 108, April, 2020. URL=https://www.e-flux.com/journal/108/326411/one-hundred-years-of-crisis/ 邦訳は伊勢康平「百年の危機」、「ゲンロンα」、2020年6月13日配信。URL=https://genron-alpha.com/article20200613\_01/

[2] Ibid.

[3] 刘慈欣, "2018",《2018》,江苏凤凰出版社,2014年,页3。

[4] 刘慈欣《三体Ⅲ 死神永生》(典藏版),重庆出版社,2016年,页57。なお強調は筆者(以下同)。

[5] 《2018》,页7-8。

[6] 《2018》,页8。

[7] 今回は「努努书坊」に掲載された「中国2185」(2012年2月7日配信、2020年7月20日閲覧)にもとづいて議論を行なう。URL=https://www.kanunu8.com/book3/6655/index.html

[8] 刘慈欣《中国2185》,第13章“永生和永死”。URL=https://www.kanunu8.com/book3/6655/116266.html

[9] 同上注。

[10] 同上注。

[11] ボリス・グロイス「ロシア宇宙主義——不死の生政治」上田洋子訳、東浩紀編『ゲンロン2 慰霊の空間』、ゲンロン、2016年所収。これはロシア語からの翻訳であり、英語で読めるものとしては以下がある。Grois, Boris. "Russian Cosmos and the Technology on Immortality," in Grois ed. Russian Cosmism (Cambridge: MIT Press, 2018). 以後は前者の邦訳論考のみを引用する。

[12] 同。頁106-107。

[13] 同。頁106。

[14] 同。頁115。

[15] 同。頁107。

[16] Fedorov, N.F. "The Philosophy of the Common Task," in What Was Man Created For?: The Philosophy of the Common Task (London: Honeyglen Publishing Ltd, 2008), p. 52.

[17] 刘慈欣《中国2185》,“永生和永死”。