今月のはじめに修論を提出した。
とにかく時間がなくてたいへんだったけど、なんとかなった、と思う。
はっきりいうと、11月ごろまで論文と並行して仕事してたのはいろいろミスった感があった……。
なにはともあれ、いちおう出すには出した。そして今週中に口頭試問、来月にはD進のための試験がある。合格するかどうかはわからないけど。
ところで以前、このブログで井筒と牟宗三にかんする仕事の成果を都度報告する、みたいなことを言っていたのだが、申し訳ないことに完全に忘れていた。いや、じつは覚えてはいたけど意味不明なくらい時間がなくてそんな余裕はなかった。(Trello にめちゃくちゃ期限がきれてる「ブログ記事書く」的なカードが何枚かある。。)
それに、とくに井筒にかんして、たぶんふつうに個別の論文とか論考とかとして発表できそうな発見がひとつかふたつくらいはあって、そういうのはブログではなくべつの場所で発表したほうがいいかも、という気もちもある。
というわけで、去年は修論のほかにも結構いろいろ仕事をしたので、なんとなくまとめておく。だいたいゲンロンから個人で依頼してもらったものが中心。ありがたいなあ。
1)Geert Lovink, "Cybernetics for the Twenty-First Century: An Interview with Philosopher Yuk Hui" (e-flux journal, no. 102, September 2019)
philosophyandtechnology.network
これは翻訳。ユク・ホイの Recursivity and Contingency にかんするインタビュー。
この本の理解のためには有益だしおもしろい。ただ構成の仕方の関係なのか、あんまり対話になってない感があるのがちょっと気になる。それはそれでおもしろいけど。
いま見返すとちょっと訳を修正したいところもある。ウェブの記事なんで、今年中に時間をつくって修正版をアップするかも。。。
2)Yuk Hui "One Hundred Years of Crisis" (e-flux Journal, no. 108, April 2020)
これも翻訳。新型コロナウイルスの感染が世界的な問題になりはじめた昨年4月に書かれた論考。
こういう時事的な問題とつなげて論じられると、ユク・ホイの「宇宙技芸」の概念が、抽象的な哲学的概念であると同時に、かなりアクチュアルな問題にも関係しうるものであることがよくわかる。
とてもいい記事。でも、記事の性質上(丁寧さは前提だけど)めっちゃ急がねばならず、かるく生命を削った。
3)Yuk Hui, "Art and Cosmotechnics #2: After Europe, Beyond the Tragic" (書き下ろしなので『ゲンロン11』が初出)
これも翻訳。今年は前半にたくさん翻訳の仕事をさせてもらった。
西洋的な文脈では芸術と技術はおなじくテクネー technē から展開してきたということになっている。ユク・ホイの仕事のひとつのねらいは、技術にかんする思考の多様性を追求することだが、この連載は、各地域のもつ芸術的な思考の複数性を(ここでは中国を例に)探究しつつ、それによって技術にかんする思考の多様性をすこしちがった角度から考えるもの。今回は悲劇論。読み応えがある。
なおこの『ゲンロン11』に掲載された安藤礼二+中島隆博の対談の企画・構成・編集をした。勉強になった。
4)料理と宇宙技芸
ひょんなことから、なぞの中華料理連載をはじめることになった。
経緯はこんな感じ。
「弊社ウェブサイトの「ゲンロンα」、硬いガチな論考が多いから、なんか軽い記事でものせよう、レシピとかどうかな」
「ゐせ氏は中華つくれるらしい」
「いいね」
「ユク・ホイの翻訳やってるし、タイトルは『中華料理と宇宙技芸』でいこうww」
なお、ぼくはこの対話が発生した現場にいなかった……。
ただ、いざ書こうとしたら意外といろいろ書けそうなことが浮かんできて、
いまやなかなか本気の連載になってしまったという始末。
タイトル負けしないものを書かないと、という焦りもあった。編集の妙だなあ。
結果的に、連載をはじめてから読む本の種類が増えて料理本も結構読むようになったし、料理自体も多少上達した気がする。いやはや、ありがたいかぎり。
ひとことでいうと、中華料理の哲学? みたいなものの探究。でもレシピ(本)としてもちゃんと実用的。
さしあたって中華料理を支える思想をきっちり描くことが目下の課題だけれど、中華料理自体も変わってきてるわけだから、それにあわせてそこにひっついている思想のほうもアップデートしたいという野望もある。
あと、修論でちょっと止まってたけど、つぎは2月か3月に炒飯回で復活する予定。
6)あたらしい東洋哲学はどこにあるのか
『ゲンロン11』の対談の続編的な立ち位置で開催されたゲンロンカフェのイベントのレポート……という体のまじめな論考。同時並行で書いてた修論の論点が一部登場している。ちなみにさっき言った井筒にかんするちょっといい議論、というのはここには出ていない。
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ほかにもあったかも。思い出したら追加する予定。
大学院で人文系を研究すると「テクストを読むとき一文字もゆるがせにしない」ような姿勢が要求される/つちかわれる、的な話がある。これは事実だと思うけど、それはそれとして、ここ数年の率直な印象として、ひとたび報酬が介入すると、書くにも訳すにも編集するにも、また別種の厳密さ、というか本気さが発生するように思う。
あと翻訳とか、「料理と宇宙技芸」のような軽いノリ(だが結構本気の)の文章書いたりとか、そういうことをやるととてもいい文体の鍛錬になる。そもそも翻訳は、あらかじめ書くべき内容がすべて与えられている状態で、それをどういう形式で書きあらわしていくかという作業。だから(まずはきちんと読解をするという前提のうえで)ほとんど純粋に文体の力を問われる仕事、というのがぼくの理解。
今年の目標は、『中国における技術への問い』の邦訳をなるべく早く出すこと、それから「料理と宇宙技芸」を4、5回は書きたいかなあ……。まだ来年度の進路は決まってないんだけど、どこに所属することになっても、この二点は確実に達成したいところ。